政府が閣議決定した来年度予算案の一般歳出総額が約百十四兆三千八百億円となった。十一年連続で過去最大を更新し、百兆円超えも五年連続という記録的な膨張予算案だ。財源を安易に国債に頼る姿勢も常態化しており、予算案の査定機能はなきに等しい。
十分な議論も尽くさぬまま増額方針が決まった防衛費が膨張に拍車をかけたことは明白だが、財政規律が事実上崩壊した予算編成の実態も指摘せねばならない。
予算編成では毎年夏、概算要求基準が示される。各省庁の要求に一定の上限を設けて膨張を抑える仕組みだ。
だが近年、見通しの立ちにくい予算については金額を明示せずに要求できる「事項要求」を各省庁が乱発。本格的な編成作業の前から予算規模が大きく押し上げられる図式が定着している。
事態が刻々と変わるコロナ禍対策など正確な金額を出しにくい予算もあるが、政権の大きな課題を巧みに利用して増額を目指すのは官僚の典型的な手口だ。財務省には膨張の温床となっている事項要求に対しては厳しい態度で臨むよう強く求めたい。
予算の無駄遣いも見過ごせない。昨夏の東京五輪をめぐり、大会経費の国費負担分が大会組織委員会の報告より二千八百億円も大きかったことが会計検査院の調査で判明した。これとは別に地震対策費など五輪とは関係の薄い国費の支出が「関連経費」として約一兆三千億円も確認された。ずさんな使い方の典型例だが、予算全体の中でこれが氷山の一角であることも想像に難くない。
二二年度末の国債発行残高は千兆円を超える見通しだ。利払い費などに充てる本年度の国債費は二十四兆円を超え、来年度は二十五兆円に達する。
日銀が今月公表した資金循環統計によると日銀保有の国債の割合は初の五割超えとなった。国債を日銀が銀行経由で買い支えていることが比率増の原因だ。
政府・与党が日銀を「打ち出の小づち」のごとく扱い、野放図な国債発行を繰り返すなら歳出の抑制などできるはずもない。
査定機能が失われる中、国会での予算審議は一層重要度を増す。限りある予算を効率的に使って暮らしの向上を実現することは、最終的に国会の責任であることを政治家は肝に銘じるべきだ。
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【東京新聞社説】自公政権復帰から10年…この国の政治はどう変わったか 信任なき政策決定が常態化 野党は低迷続く
自民、公明両党は26日、政権復帰から10年を迎えた。この間、重要政策を国会や国民に十分説明しないまま進めることや、国政選挙で信任を得ることなく方針を決定・転換することが常態化し、社会の分断も深まった。権力監視を担う野党は離合集散を繰り返し、「政権批判の受け皿」になりきれていない。一方、デモやネットで声を上げ、民意を政治に反映させようとする動きは根付きつつある。 (佐藤裕介、市川千晴、曽田晋太郎)
◆社会の分断助長した安倍氏の手法
「日本を、取り戻す」
民主党から政権を奪還した2012年12月の衆院選でそう訴えた安倍晋三元首相が真っ先に取り組んだのは、日米同盟の強化に向けた安全保障政策の転換だった。
米国から軍事機密を得やすくする目的で13年、国民の知る権利を侵害する恐れがある特定秘密保護法を与党の賛成だけで成立させた。14年、憲法解釈で禁じられていた集団的自衛権行使を認める閣議決定を行うと、翌15年には法的な裏付けとなる安保関連法を制定。野党の反発だけでなく、多くの憲法学者らが違憲と指摘し、国会前の反対デモには10万人超とされる国民が参加。だが、政権は異論に耳を傾けなかった。
「敵」をつくることで「味方」から強固な支持を得る安倍氏の政治手法は社会の分断を助長した。「悪夢の民主党政権」と連呼し、街頭演説でやじを飛ばす聴衆を「こんな人たちに負けない」と挑発した。戦後最長となる7年8カ月の在任中、国政選挙で連勝し「安倍一強」の政治状況となったことも、民意と乖離した政策決定の一因となった。
安倍路線の継承を掲げ、19年9月に就任した菅義偉前首相は、新型コロナウイルス対応や東京五輪開催を巡る説明軽視の姿勢に批判が集まり、1年で退陣に追い込まれた。後を継いだ岸田文雄首相は両氏を反面教師に「聞く力」を標榜。経済政策「アベノミクス」の修正にも言及するなど、政策と政権運営の両面で刷新を打ち出した。
しかし、今年9月には国論を二分した安倍氏の国葬を野党の意向も確認せず、法的根拠もあいまいな中で実施。選挙公約に掲げていない防衛費確保のための増税や原発の60年超運転、次世代型への建て替えを相次いで表明した。民意をないがしろにし、国民の信任を得る手続きも度外視するような政権運営が続く。
公明党はタカ派に傾きがちな政権の「歯止め役」を自任する。自民党候補への選挙支援が影響力の源泉だが、支持母体・創価学会の会員の高齢化で集票力には陰りが見え、安保政策などでは譲歩も目立つ。
◆自ら声を上げる国民の姿が日常に
10年前に惨敗した民主党の流れをくむ勢力は、分裂と合併、協調と対立の歴史を刻む。憲法や安保などの主要政策の違いのほか、共産党も含めた「野党共闘」を巡る考え方に差があり、与党に対峙する「大きな塊」になれずにいる。安倍政権下の森友・加計学園や「桜を見る会」の問題など、権力私物化疑惑の追及で成果はあったが、その後の国政選挙で批判票を取り込むことはできなかった。
野党が低迷する中、国政にすくい上げられない民意を届けようと、有権者が直接声を上げる機会は増えた。重要政策の決定などに先立ち、官邸や国会前でデモが行われるのは日常的な光景になった。交流サイト(SNS)の利用も活発で、安倍氏の国葬では30万筆近い反対署名が集まった。間接民主主義を補完する動きは着実に広がっている。
◆「政権選択型の国政選挙が機能しなくなった」
後房雄・愛知大教授(政治学)の話 この10年で自民党と公明党が一つの盤石な政治勢力として固まった。公明はタカ派的な政策を進める自民に対し、与党内でチェック機能を果たしてきた面もあるが、ほとんどの政策決定は国会内の論戦ではなく、与党内の調整で完結している。政権交代がない政治の弊害だ。
強い自民に、さらに強力な組織をもった公明がつき、自公と対等に戦える勢力をつくることが難しくなり、政権選択型の国政選挙が機能しなくなった。複数の選択肢があるという実感が必要だ。自公の勝利が揺るがなければ、わざわざ投票に行く気にはならず、市民の政治への関心を弱めている側面もある。どう「二大勢力型」の政治にするかという課題が残されている。
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