政治家・安倍晋三の30年とは…「節目になった4つの年」を検証する
ドン底から這い上がり、絶頂を極めたあと、銃弾に倒れた安倍元首相。30年間の政治家人生は、どのようなものだったのか。節目になった年を中心に政治ジャーナリストの泉宏氏に解説してもらった。
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故安倍晋三元首相の政界デビューは1993年7月の衆院選。当時の宮沢喜一首相(故人)が、小選挙区制導入を軸とする政治改革関連法案の通常国会での成立を「宣言」したが、自民党内の反発で難航し、野党各党が提出した内閣不信任決議案が政治改革推進派の小沢一郎氏らの同調で可決、突然の衆院解散になった。
この激動の衆院選で初当選したのが安倍氏だった。政界でのスタートが野党議員だったことが、その後の安倍氏の政治行動に大きな影響を与え、政権復帰に向けた旧民主党などへの激しい敵愾心(てきがいしん)の原点となったのは間違いない。
その一方で、衆院初当選組の多くが、その後の四半世紀を超える政争の主役や脇役となっているのも興味深い。
同期では細川、安倍両氏に加え、野田佳彦、岸田文雄の計4氏が首相となり、現在の自民党では茂木敏充、野田聖子、高市早苗各氏ら、野党では前原誠司(国民民主)、枝野幸男(立憲民主)、志位和夫(共産)各氏らが、第1次、第2次の安倍政権下で有力議員として活躍。さらに小池百合子東京都知事、田中真紀子氏と、一時は政局を動かした女性リーダーも同期生だ。
初当選時から首相を目指していた安倍氏にとって、「敵も味方もほとんどが同期生」だったことが、その後の政治行動に大きな影響を及ぼしたことは否定できない。
安倍氏は2006年秋からの1年間、「栄光と挫折」を味わった。
国民的人気を背景に長期政権を築いた小泉純一郎氏が、安倍氏を後継指名。
多くの先輩首相候補を飛び越え、初の戦後生まれ、しかも故田中角栄首相の54歳よりさらに若い52歳での首相就任だった。祖父の故岸信介元首相の遺志を継ぐべく、憲法改正や教育改革に果敢に挑んだ。
安倍氏が宰相の座についたのは06年9月26日。新内閣を「美しい国づくり内閣」と命名し、「戦後レジームからの脱却」を掲げて自民党内保守勢力を束ねた滑り出しは順調に見えた。
新内閣の顔ぶれをみると、外相に麻生太郎氏、経産相に甘利明氏、総務相に菅義偉氏と、第2次安倍政権
首相として初の国政選挙となった07年夏の参院選で記録的惨敗を喫し、内閣改造で延命を図ったものの、ストレスから持病の潰瘍性大腸炎が再発。同年9月10日召集の臨時国会冒頭の各党代表質問直前の突然の退陣表明で、失意のどん底に。
2012年 はじまった野党の弱体化
「政治家としてのどん底を味わった」安倍氏が、不死鳥のように復活したのが2012年。
9月26日の自民党総裁選で事前の劣勢予測を覆し、本命・対抗とされた石破茂、石原伸晃両氏や、安倍氏の所属する清和会の領袖だった町村信孝氏、宏池会(当時古賀派)の林芳正参院議員を破り、総裁経験者として初の返り咲きを果たした。
総裁選は党員も含めた第1回投票で石破氏が安倍氏を圧倒したが、議員だけの決選投票で安倍氏が大逆転するという総裁選の歴史に残る戦いだった。
安倍氏は、政権交代から3年が経った民主党政権の打倒を目指し、11月中旬の党首討論で、野田首相の「解散発言」を引き出した。12月4日公示・同16日投開票となった衆院選では、自民・公明両党が325議席と大勝。安倍氏は同26日に第2次安倍政権を発足させた。
「安倍1強」をほしいままにし、国政選挙6連勝で史上最長政権に。
首相に返り咲いた安倍氏は、ことあるごとに「悪夢の民主党」と口にし、野党批判を繰り返した。野党の弱体化は、ここからはじまったと見ていいだろう。「安倍1強」と「野党弱体化」は裏表の関係だった。
しかし、世界を襲ったコロナ禍への対応で苦闘し、持病再発を理由に20年8月に突然、退陣表明した。
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