東京大法学部長や最高裁判事を歴任した刑事法の権威・団藤重光氏(一九一三~二〇一二年)側から龍谷大(京都市)に寄贈されたノートが一部公開されました。
この中に、飛行機騒音に苦しむ住民らが起こした「大阪国際空港公害訴訟」の記述があります。大阪高裁では「夜間の飛行停止」を訴えた住民側の勝訴でしたが、一九八一年に最高裁で逆転敗訴しました。なぜ結論が覆ったのか。
ノートには、審理過程で元最高裁長官の介入があったとして「この種の介入は怪(け)しからぬことだ」と記されていました。
NHKはノートを基に「誰のための司法か」というドキュメンタリー番組を四月に放送しました。
団藤氏を含む小法廷では「住民側勝訴」を固めつつありましたが、唐突に大法廷に回付された上に判事の交代もあり、十五人の判事の中で「住民側敗訴」を支持する数が上回りました。その内幕を番組は描きます。
公害を巡り初めて国の責任が問われた裁判で、最高裁判決が「住民側勝訴」だったとしたら、その後の公害裁判にも大きな影響を与えたことでしょう。番組は司法の暗部にも迫る内容でした。
ノートの表題は「雑記帳」ですが、表紙の一番目には「大阪空港事件」と記され、三番目に「選挙無効訴訟」の文字が見えます。今でも国政選挙のたびに起こされる「一票の格差訴訟」を指します。
団藤氏が最高裁判事を務めたのは一九七四~八三年。その間、八三年には衆参ともに一票の格差を巡る大法廷判決が出ています。
◆「国会の怠慢」指摘の意見
衆院選に関しては最大格差三・九四倍で「違憲状態」という判決でしたが、団藤氏は大法廷の多数意見に対し、次のような「反対意見」を書きました。
<(衆院選については)選挙人数または人口と配分議員数との比率の平等がもっとも重要かつ基本的な基準とされるべき>
<比率が一対二を超えるような事態になったときは、合理的な理由の有無を検討することなく簡単にこれを合憲とみとめることは許されないとおもう>
実に明快です。参院選に至っては最大格差五・二六倍にもかかわらず最高裁は「合憲」。団藤氏は当然「反対意見」を書きます。
<多数意見に賛同することに躊躇(ちゅうちょ)を感じるのは、多数意見が国会の怠慢ともいうべき単なる不作為をもその裁量権の行使に属するものと考えている点についてである。(中略)異常な格差を生じている事態を立法府は単に看過放置して来たのである>
大事なのは次の一文です。
<五一(一九七六)年大法廷判決が「投票価値の平等もまた、憲法の要求するところである」としているのは両議院に共通の説示とみるべきで(以下略)>
半数改選である参院選だからといって、衆院選よりも不平等であっていいはずはない。団藤氏はそのように訴えて、このときの反対意見では「主文で選挙は違法である旨の宣言をするのが相当」と記したのです。
ほぼ同時期の一九八〇年の「法律時報」では、憲法学者の故芦部信喜東大教授と政治学者の故京極純一東大教授が「選挙をめぐる法理と条理」と題して対談し、そこでも一票の不平等が語られています。芦部氏は言います。
<一票の重みが特別の合理的な根拠もなしに、選挙区間で二倍以上の開きがあるのはやはり一人一票の原則の趣旨を押し広げて考えると、平等原則上問題がある>
芦部説は二倍を限度としていますが、京極氏が「できれば一対一が一番いいということですね」と念を押すと、芦部氏も「それが一番望ましい」と答えています。二倍まで許容すれば「限りない一対一の立法努力が放棄される」と二人は考えていたのです。票の価値に不平等があってはならない、というのは当然の考え方です。
◆いまだ残る一票の格差
現在、二〇二一年衆院選は格差が二倍超でも最高裁は「合憲」。三倍超の格差があった二二年参院選は高裁段階で判断が分かれています。四十年を経ても、議論がいかに停滞しているかが分かります。団藤氏や芦部、京極両氏も苦りきっていることでしょう。
本紙は龍谷大に「団藤ノート」の閲覧を要請しましたが、「研究中で成果がまとまった段階で情報公開する」との返事でした。団藤氏は選挙無効訴訟にどんな記録を残しているのか。ノートの公開を楽しみに待ちたいと思います。
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