穴にハマったアリスたち

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「サマータイム」の話の続き

2011年06月01日 | 王様の耳はロバの耳
昨日、自分で記事を書いておいて、自分で気分が悪くなったので、その原因を考えてみた。
この手の記事は大変に受けが悪いので、正直どうかとも思うのですが、まぁストレス発散の一種です。
深く気にしない。そんなわけで「サマータイム」の続き。

とりあえず「サマータイム」がどうして気持ちが悪いかと言えば、結論ありきで理屈が通っていない点。
そしてプライベートを侵害される点だと思う。
別に早起きしたい人はすればいい。だけど他人まで巻き込もうというのは、奴隷管理のような気持ち悪さを感じる。

特に今回で気になるのが、「震災への対応」という錦の御旗がくっついているところ。
実際問題、震災の被害は非常に大きく、私もできることでは協力したいし、私自身もそれなりに被害は受けている。
ただ、個人の善意で自発的に協力することには異論はないけれど、強制されるとなると話が違ってくる。

例えば、自発的に望んで募金をした人は多かったと思う。私もしたし、してる。
でもこれが「被災者のために、給料から天引きして募金」なんてことになったら、大反対するんじゃないかな。
何というか企業や国が、善意の行動を個人に求めるのであれば、そこにはちゃんと保障や手当が必要だと思うのです。

震災の際に、「自分も被災しているのにそれでも職務を全うした人」が美談として色々語られてます。
それは素晴らしいことだと思う。私もいざそういう状況になったならば、自分の責任を果たせるような人になりたい。
でも、それを賛美するのならば、企業はちゃんと彼らに特別手当を出すべきだと思う。それがプロに応えることのはず。

で、今回の「サマータイム」(と節電)に関していえば、企業や国がそれを行うのならば「どうか協力してください。代わりにこれこれを提供します」というのが筋のはず。
繰り返しになりますが、個人が自発的に節電する分にはいいと思う。私もしてる。
でも企業や国が行うのなら、私ら個人もまた「被害者」(何せ待遇が悪化している)なのだから、相応の対価が出るべき。

この辺、「始業5分前出社」と似た話じゃないかな。
よく「始業時間ちょうどに出勤するのはダメ。5分前には来なさい。仕事を始める準備をしたりするのに、時間が必要でしょ」と言われます。
ですがこれ、そのように考えて自発的にやる分には問題ないのですが、企業が従業員に通達したら残業になり、5分の残業代の支払い義務が発生する。

「いや準備は仕事をするにあたって必要だから、早めに来るのが当然」という言い分は正しいのだけど、「仕事をするために必要な行為を」「企業が指示」したら、それはいたって普通に「業務行為」です。
これは私の勝手な屁理屈ではなくて、労働局や判例の見解。
まぁだからといって、始業時間ジャストを狙って出勤する方が面倒なので、多少早めにでるわけですが、それはあくまで自発的行為であって、強制される謂れは無い。

そういったようなわけで、今回の節電。
「被災された方の支援」といった大義名分を除外するなら、会社人としては単なる待遇悪化です。
ですので気持ちよく節電をするためにも、何らかの対価を検討して欲しい。
(当然のことながら、節電しないと停電し、もっと大きな被害を受ける…という事情はある。でもそれは「商品」を納品できない東電さんに文句を言えばいいことなので、私的にはさして気にしない。
個人的には東電さんは擁護したい心境なので、あんまり言いたくはないけれど)

例えば「昨年の同月と比べ、節約できた分の電気料金を、従業員に一時金として支給する」とか。
会社としては出費が増えるわけでもなく、国の節電目標を達成できる。社員としては喜んで節電に協力できる。双方にとってメリットがある。
そういうのが「会社としての対応」だと思う。

【蛇足】

私個人は夜型の人間なので、夜型のメリットを書いてみる。
一番は「自然に生活してるとそうなるから」という極めて主観的かつ個人的なもの。
それ以外だと、ピークの直後に睡眠を持ってくることで、睡眠による学習効果をフルに活かせる点。

どういうわけか、眠りを挟むとスキルや記憶が強化されることが実験により判明しています。
つまり何か一仕事したならば、一旦寝た方が定着率は高い。
(これは、夜に書いた手紙は一晩置け…といった教訓にも表れてる)
もちろんこれは、単に起床・就寝時間がずれるだけの場合には関係ないですが、「朝と夜のどちらにピークを持ってくるか」の話ならば大きな意味を持つと思う。(従って朝型で活動するのなら、昼寝は必須)

他には不確定要素を避けられるという点。
朝一番に会議を設定する人は、かなりの問題児。だって電車の遅延等々、幾らでも崩壊する要素があるから。
同様の理由で、「明日の昼からの会議の資料をいつ作るか」といった時、「明日の朝」よりも「今日の夜」の方が安全。
拡大すると「納期を設定する際は、金曜日ではなく火曜日にすべきだ」とかにも通じる話ですね。
可能な限り、間に休息(睡眠)を置き続けた方が有利。

と、それっぽいことを偉そうに並べましたが、やっぱり一番は「その方が楽だから」だと思う。
ホモサピエンスが昼行性とは、どうしても信じられない。
(実験から昼行性と証明されてはいるそうですけれど)

【更に蛇足】

「会社からの対価」に拘ってしまうのは、世代的に「会社や国から恩恵を受けたと感じることが少ない」からだと思う。
エコや節約、グローバル競争のダンピングや原材料高騰、それに伴う不景気等々…。
もはや個人の努力や結果と無関係の部分で、更なるコストダウンや成果を求められる。
それは仕方がないこととはいえ、たまには「無条件でラッキー」と思えるようなことがあっても良いだろうに、実感できることがあまりに少ない。
(実際にはインターネットに代表されるような強力な環境改善が行われている時代なので、決して不遇なわけではないのですが、「会社や国から何かをしてもらった」感は非常に希薄)

愛社精神の減退といったことが語られる際には、個人主義の台頭のようなことが言われるけれど、それ以前に、会社が個人に対して何もしなくなったことが問題だと思う。

【更に更に蛇足】

私がプリキュアさんおよびそれに関わる方々を尊敬しているのは、上記のような不満の裏返しの面もある。
残業代やら待遇やらと書いたものの、一番幸せなのは「その仕事をしていることが楽しくて、仕事そのものに意義があると感じられる」状態だと思います。
実際のところ、プリキュアさんやスタッフ様も、それぞれの生活がありますので、似たような不満は持っておられるのかもしれない。
でも第三者として見ている分には、仕事に大して非常な情熱を持っておられるし、結果も伴ってる。
ああいう働き方がどうして自分にはできないのか。かなり悩む。

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