中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

京都の花見(2) 観修寺

2010-04-14 09:36:21 | 身辺雑記
 醍醐寺を後にして、山科にある観修寺(かじゅうじ)に行った。観修寺は真言宗山階派の大本山である門跡(もんせき、もんぜき)寺院。門跡寺院とは、皇族や貴族が住職を務める特定の寺院のことである。醍醐天皇が生母藤原胤子の追善のため、昌泰3年(900年)に創立したもので、このため昔から皇室と藤原氏とのゆかりが深かったと言う。「かんしゅうじ」とも「かんじゅじ」とも呼ばれることがあるようだが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼び名にしていると言う。所在地は京都市山科区勧修寺仁王堂町で、この場合の町名は「かんしゅうじ」と読むので少々混乱する。

 寺域はそれほど広くはないが閑静である。ここも醍醐寺ほど多くはないが桜が美しかった。













宸殿。元禄10(1697)年に明正天皇の御殿を下賜されたもので、江戸時代初期の御所の建物と言う。


 庭園には面白いものがある。これは「臥龍の老梅」と言い、親子3代の梅の古木である。江戸時代の京都御所から移植された白梅で、根の部分が残っているのが親、大きな枯木が子、成長中のものが孫と言う。


 
 偃柏槙(はいびゃくしん)。樹齢750年と言われるヒノキ科の植物。京都市の巨樹名木の一つに数えられている古木と言う。しかし、葉は青々として美しく古木という感じはしないし、背丈も低いから巨樹という感じもしない。実は中央の樹と、それを波打つように囲んでいる枝葉も含めて1株の樹であるのが珍奇である。枝が伸びて幹の周囲を囲むようになったのか、構造はよく分からない。

        
 頭部だけ見えている石灯籠は水戸光圀の寄進と伝えられ、「観修寺型灯籠」と言われているそうだ。


 根の造型。偃柏槙もこのようにしてできたのかも知れない。


 氷室の池。観修寺の庭は勧修寺氷池園という池泉庭園だそうだ。その中心のこの池は平安時代には1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し、その厚さによって五穀豊穣を占ったと言われている。夏は蓮で知られているとのこと。





 
              山門に至る参道。白壁の築地塀と桜が美しい。