『朝日』の「読者の声」欄に「中国に悪口 私の心も傷つく」という見出しで、広島市の中学3年生(13歳)の女生徒の投書が載っていました。
この女の子は父親の仕事の関係で3歳から6歳まで北京に住んでいて「中国が好きだ」と言っています。この子が知った中国人は優しい人が多く、1人になって困った時は声をかけてくれたし、日本語のあいさつを覚えて話しかけてくれる人もいたそうです。
日本の小学校で低学年の頃は、中国に住んでいたことを友人は「いいな」と言われていましたが、学年が上がるにつれて「中国ってニセ物ばっかだから嫌い」とか、「○○(この子の姓)って中国人なんで(両親ともに日本人)」と言われることが増え、とても悲しかったと言っています。そしてこの投書は最後に次のように言っています。
「中国が全く悪くないとは言えない。でも多くの人は悪い面しか見えなくなっているのではないか。よく知らないのに、全てを知っているように悪口を言うのはやめてほしい。良い面にも目を向けてくれる人が、少しでも増えることを願う。」
私が最近知った私より少し年下のある女性は、中国のことはまったく受け付けません。メイド・イン・チャイナの物は絶対に買いません。別に前に中国人に嫌な思いをさせられたことはないようですし、中国には一度も行ったことはありません。中国人の知人もいません。それでも、とにかく、頭から中国は受け付けないのです。生理的に嫌っているとしか思えないほどです。近くにいる色の黒い外国人を「黒ん坊」と言ったり、どうもレイシストの傾向があって、その延長で中国人を蔑視しているのかとも思います。こういう人は今時の日本には多いのかも知れません。その女性にすると、私がこれまで何度も中国に行き、中国人に親しい友人がいることなどはむしろ理解できないようです。
私は「中国迷爺爺」(中国好き爺さん)を自称しているように、中国が好きです。しかし中国のことなら何もかも好きで肯定しているということではありません。中国の今の体制は好きではありませんし、その体制の中で行われている人権侵害や報道規制、官僚の底なしの汚職、腐敗、領土問題についての覇権主義的態度には嫌悪や腹立たしさを覚えます。それでも中国には李真や謝俊麗など家族のように親しい友人もいますし、他にも多くの友人がいます。また行くたびにたくさんの好い庶民達に出会いました。中国の歴史、風物も大好きで、行くほどに惹かれました。
何もかもが素晴らしい国や民族はありませんし、逆に全てが悪いという国も民族もありません。この中学生は、「よく知らないのに、全てを知っているように悪口を言うのはやめてほしい。」と言っていますが、その通りです。しかし、このような当たりまえの気持ちや願いを逆撫でするように、日本の言論界には、何かあると訳知り顔、したり顔で反中国意識や嫌中国感を掻きたてる者がいます。過去に両国間に不幸な歴史があり、今もいろいろ問題はあるにしても、一衣帯水の位置にある国と仲良くしていくように言うのでなく、いたずらに嫌悪や敵対心を煽るのは言論人として無責任な恥ずべきことと思います。「南京事件」はなかったと主張しているある全国紙の電子版でも、事あるごとに中国のネガティーブな面を記事にしています。こういうことですから、投書した中学生が嘆くような、また、上に挙げた私の知人の女性のような「中国嫌い」が増えてくるのです。何も知らないのに他の国の悪口を言い、日本を無批判に誇るような偏狭なナショナリストを育てるのは、結局は日本の将来を誤らせるものです。
(朝の散歩から)
恋人たち