高校1年から3年まで3年間担任をしたY君の古希の祝いに招かれました。10年前にも還暦の祝いに招れていて、ずいぶん速く日が経ったような気がします。
彼はまだ現役で、会社を経営しているのですが順調のようで、会には主に取引先の人たちが80人以上招かれていて盛会でした。私にとって何よりも嬉しかったのはY君の同期生でいずれも私が担任したN君、O君、M君の3名も出席していたことでした。3人も長く会っていなかったようで懐かしがって話が弾んでいました。
Y君はいわゆる「ワル」でしたが、校内の生徒指導や校外の補導にかかったりするようなことはなく、校内で喧嘩する程度でした。それでもかなり悪童として名が知られていまして、どういうわけか私が3年間担任しました。Y君によると1年生の終わりの時に彼に「他の先生には任せられないから、俺がずっと担任する」と言ったそうなのですが覚えはありません。N、O、Mの3君もそれぞれ何やら彼やらちょっとした問題を起こして、親を呼び出したりしましたが、大したことはありませんでした。
私の妻はY君を可愛く思っていたようで、彼が一度仲間と一緒に私の家に遊びに来た時、夕方になって門限があるとあわてて帰ったのですが、学生帽を押さえながら駅に向かって走って行った姿が忘れられないと言っていました。卒業後何年かして3年の時のクラス会があり、妻も出席しましたが、その時妻が彼に向って「Y君、あなたはゴンタだったねえ」と言ったので、皆が大笑いし彼は頭をかいていました。そんなことがあってか、妻の通夜の時には来てくれて、私に挨拶した時は目に涙をいっぱい溜め、後で聞いたのですが、出口でひどく泣いて、一緒に来ていた奥さんがびっくりしたそうです。
彼は確かにゴンタでしたが、帰宅の門限を守っていたことでもわかるように、限度をわきまえていました。そのあたりが今時のワルの生徒と違うところだと思っています。
会の最初に私が乾杯の音頭をとったのですが、先日80歳の傘壽になり、担任した生徒の古希を祝うことができたのは本当に幸せなことでした。