卒業生達とお好み焼きを食べに行った。これまでにも何回か行った行きつけの店だ。いつも行った人数の数の種類を注文して、それぞれを等分して食べる。今回は5人だから5種類注文した。この店は大繁盛と言うわけではないが、店内は清潔で、気さくな女主人が孤軍奮闘してなかなか旨い物を作るので気に入っている。
お好み焼きは時々食べるが、野菜、肉、魚介類、卵などを使って、なかなかバランスの取れた食べ物のように思う。独り暮らしでとかく野菜などは不足になりがちだから、キャベツをたっぷりと入れて焼いたものを食べると、何となく満足する。
いつのころからこういうものを食するようになったのだろうか。私の少年時代は戦争直後だったが、小麦粉は配給で結構あったし、肉はともかくとして、滋賀県の大津に住んでいたから、野菜は十分にあり、それに子沢山の家庭だったから、お好み焼きはもってこいのものと思うがどうも食べた記憶がない。滋賀県だったからなのか、大阪あたりではあったのか定かでない。あったのかも知れないが、当時はお好み焼き文化圏から外れていたのかもしれない。
小学校1年生の頃、近所の友達と連れ立って小さな駄菓子屋のような店に入ったことがある。そこには鉄板を乗せた台があって、友達の一人の注文に応じて店番の老婆が小麦粉を溶いたものを直径10センチくらいの薄い円形に広げ、その上に確かキャベツだったと思うが、刻んだものを置き、裏返して焼き、それにソースのようなものを塗ったように記憶している。私はお金を持っていなかったので見ているだけだったが、香ばしい香りがいつまでも記憶に残っていた。「一銭焼」と言ったように思う。これが今のお好み焼きの原型だったのかも知れない。
お好み焼きでは、近頃は広島風と言うのが人気らしい。私は学生時代を広島で過ごしたが、食べた記憶はあまりない。その頃はあまり広島焼などと喧伝されることはなかったように思う。先日同窓会で広島に行った帰りに、広島駅の売店でパックしたものを売っていたので買って帰ったが、電子レンジで温めて食べたそれは、はなはだ不味かった。やはりお好み焼きは焼きたてのジューシーな食感のものでないとだめだと思ったことだった。
関東には「もんじゃ焼き」と言うものがあって、大阪でも食べさせる店があるようだが行ったことはない。作り方を見ると具を焼いて環形の土手のようなものを作り、中央に溶いた小麦粉を流し、火が通ったら端から押さえて食べていくとあったが、イメージが湧かず、あまり旨そうな感じがしなかった。
お好み焼きのように小麦粉といろいろな具を使って焼く食べ物にイタリアのピザがある。私が教師になった昭和30年代の初めの頃は、トマトを嫌う者はかなりいたし、チーズもそれほど食べられていたものではなかったから、今のように「イタリアン」が流行することなどは想像もしなかった。これだけ見てもこの半世紀足らずの間に日本人の嗜好が大きく変わってきたことが分かる。ちなみにチーズと言えば初めのうちはプロセスチーズばかりで、ピザに使われるようなナチュラルチーズが普及したのはずっと後のことだった。
中国も北方は小麦文化圏だから、小麦粉を使った食べ物は多い。よくあるのは餅(bing)で、小麦粉を溶いて薄い円盤状にしたものを焼いたり蒸したりしたもので、西安の李真の家でご馳走になった時は、これにいろいろな具を巻くようにして包んで食べた。具は餡(xian)と言って、野菜や肉などで作ったさまざまなものがあり、なかなか旨かった。邵利明の家では、私がその前に興味を持ったので、韮餅(jiubing)というものを作ってくれた。これは小麦粉を練って少し寝かせたものを丸めて伸ばし、韮や生姜、卵などの餡を半円形に折って包み、油を引いた鍋で焼いたもので、あっさりして旨かった。
小麦粉と具を使った食べ物は、まだ世界のあちこちにはあるのかも知れないが、機会があれば食べてみたい。
お好み焼きは時々食べるが、野菜、肉、魚介類、卵などを使って、なかなかバランスの取れた食べ物のように思う。独り暮らしでとかく野菜などは不足になりがちだから、キャベツをたっぷりと入れて焼いたものを食べると、何となく満足する。
いつのころからこういうものを食するようになったのだろうか。私の少年時代は戦争直後だったが、小麦粉は配給で結構あったし、肉はともかくとして、滋賀県の大津に住んでいたから、野菜は十分にあり、それに子沢山の家庭だったから、お好み焼きはもってこいのものと思うがどうも食べた記憶がない。滋賀県だったからなのか、大阪あたりではあったのか定かでない。あったのかも知れないが、当時はお好み焼き文化圏から外れていたのかもしれない。
小学校1年生の頃、近所の友達と連れ立って小さな駄菓子屋のような店に入ったことがある。そこには鉄板を乗せた台があって、友達の一人の注文に応じて店番の老婆が小麦粉を溶いたものを直径10センチくらいの薄い円形に広げ、その上に確かキャベツだったと思うが、刻んだものを置き、裏返して焼き、それにソースのようなものを塗ったように記憶している。私はお金を持っていなかったので見ているだけだったが、香ばしい香りがいつまでも記憶に残っていた。「一銭焼」と言ったように思う。これが今のお好み焼きの原型だったのかも知れない。
お好み焼きでは、近頃は広島風と言うのが人気らしい。私は学生時代を広島で過ごしたが、食べた記憶はあまりない。その頃はあまり広島焼などと喧伝されることはなかったように思う。先日同窓会で広島に行った帰りに、広島駅の売店でパックしたものを売っていたので買って帰ったが、電子レンジで温めて食べたそれは、はなはだ不味かった。やはりお好み焼きは焼きたてのジューシーな食感のものでないとだめだと思ったことだった。
関東には「もんじゃ焼き」と言うものがあって、大阪でも食べさせる店があるようだが行ったことはない。作り方を見ると具を焼いて環形の土手のようなものを作り、中央に溶いた小麦粉を流し、火が通ったら端から押さえて食べていくとあったが、イメージが湧かず、あまり旨そうな感じがしなかった。
お好み焼きのように小麦粉といろいろな具を使って焼く食べ物にイタリアのピザがある。私が教師になった昭和30年代の初めの頃は、トマトを嫌う者はかなりいたし、チーズもそれほど食べられていたものではなかったから、今のように「イタリアン」が流行することなどは想像もしなかった。これだけ見てもこの半世紀足らずの間に日本人の嗜好が大きく変わってきたことが分かる。ちなみにチーズと言えば初めのうちはプロセスチーズばかりで、ピザに使われるようなナチュラルチーズが普及したのはずっと後のことだった。
中国も北方は小麦文化圏だから、小麦粉を使った食べ物は多い。よくあるのは餅(bing)で、小麦粉を溶いて薄い円盤状にしたものを焼いたり蒸したりしたもので、西安の李真の家でご馳走になった時は、これにいろいろな具を巻くようにして包んで食べた。具は餡(xian)と言って、野菜や肉などで作ったさまざまなものがあり、なかなか旨かった。邵利明の家では、私がその前に興味を持ったので、韮餅(jiubing)というものを作ってくれた。これは小麦粉を練って少し寝かせたものを丸めて伸ばし、韮や生姜、卵などの餡を半円形に折って包み、油を引いた鍋で焼いたもので、あっさりして旨かった。
小麦粉と具を使った食べ物は、まだ世界のあちこちにはあるのかも知れないが、機会があれば食べてみたい。