橋下大阪市長が二度目の文楽鑑賞をしました。初めて観たのは府知事時代ですが、観た後で「二度と観たくない」と酷評し、市長になってからは今年度の補正予算案で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3900万円とし、技芸員が公開の面談に応じなければ補助金を支出さないとまで言いました。この何でも自分の思うようならないと気が済まない人物も、この問題では各方面から批判を受けたから妥協の姿勢を見せようとしたのでしょうか。
しかし鑑賞後の記者会見での発言は相変わら勇ましいものです。観たのは近松門左衛門作の古典中の古典「曽根崎心中」だったそうですが、彼は新聞記者会見で「大阪発祥の古典の芸能文化として守るべきものだということは十分、分かった。ただ、全体を見ると演出やプロデュース不足につきる。観客を増やすための努力が必要だ」と述べ、文楽を批判したそうです。また「新規のファンをどう獲得するのか。振興に軸足を置くなら、いろんな問題点がある。今までは保護の面が強かった」などと、持論を展開したそうです。当日は満員だったそうですが彼の眼には入らなかったようです。
「曽根崎心中」など古典文楽をどのように現代風にアレンジせよと言うのでしょうか。それでファンが増えるとでも言いたいのでしょうか。それなら具体的にどこをどうしたらいいと指摘するべきでしょう。創作落語や新しい歌舞伎でも頭にあるのかも知れません。欧米ではルネッサンス期の歌曲が今も演奏されています。私もCDを持っていますが、透明でゆったりとしていて美しいが、多分あまり多くのファンはないのかも知れません。しかしそれを守っていくことは大切ですし、必要あれば公共団体が運営を補助していくことも必要でしょう。
誰しも得手不得手がありますし、好みや素養もさまざまです。彼は文楽や大阪市吹奏楽団の問題も含めて、文化・芸術面には関心や理解が低いように思われます。それは別に恥ずかしいことではありませんし、まして市長の資質に影響するものではありません。作家の瀬戸内寂聴さんは、「いろいろな文化があり、全てに通じるのは難しい。ですから、評価されているものは、まずはそう考えることです。橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから」と言われているそうです。まさにそうなので、それならそれで謙虚になればいいのですが、「台本が古すぎる」とか「ラストシーンでグッと来るものがなかった」などと相変わらずの独り善がりぶりです。台本が古すぎると言うのなら江戸時代のものはすべて書き換えたらいいと言うのか、ラストでグッと来なかったからと言ってもそれは彼個人の感想でしょう。とにかく「民意我にあり」とばかりに、何かにつけ得々と弁を弄し、しばしば居丈高になるのは見苦しいものです。マスコミも含めてちやほやするものですから、自分でもスーパースターになったと錯覚しているのではありませんか。いったいどんな育ち方をしたのかといつも思います。かつて彼の教師だった人が「嫌な生徒だった」と評したという話を聞いたことがありますが、分かるような気がします。
(朝の散歩から)
このような彼の基本的政治スタンスから考えて、彼に市民のための政治を望むことはナンセンスです。彼の行動は彼の気分次第でいかようにも変化します。世の中が分かっていない、目立ちたがり屋の、しかし命令することが大好きな、市民にとっては全く危険な素人政治家です。
彼の強みは多弁さのようですが、これは弱点にもなります。何かの失言で社会から葬られる可能性の高い、哀れな素人政治家のように思います。