中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

秋灯や・・・

2006-09-16 00:09:37 | 身辺雑記
 秋の気配が感じられるようになってきた。長く残暑が続いたので一息つく思いだ。秋になると必ず口ずさんでしまう好きな句がある。

  秋灯や夫婦互に無き如く

 高浜虚子(1874~1959)の句である(朝日新聞社:大岡信「新編 折々のうた 第三」)。虚子73歳の句だそうで、ちょうど私と同じような年頃の作だ。それだけに、この句は私にはよく理解できるような気がする。「秋灯や」がいい。人生の晩秋を迎えた夫婦を象徴しているように思う。その灯火(蛍光灯ではない)のもとにいる老夫婦の姿が目に浮かぶようだ。

 このような句もそうだが、私達日本人にとって俳句はことさらに解釈しなくても、感覚的に理解できることは多いだろう。そしていわば余韻のようなものを感じ取る。これは外国人にはなかなか難しいようで、上海の外国語学院で日本語を教えている友人の孫旋が、ある現代俳句について質問してきたついでにこの句を紹介したが、彼女には深い意味は読み取れなかったようだ。逐語的な解釈はしてみたが、俳句はあまり解釈すると面白くないとは言っておいた。何かで読んだことがあるが、日本にいる留学生達に芭蕉の「古池やかわず飛び込む水の音」の情景を想像させたら、あるアフリカの学生は、たくさんの蛙がいっせいに池に飛び込む情景だと言ったそうだ。蛙が飛び込んだ後の静寂など味わいようもないが、味気ないにしてもこのような解釈も成り立つのかも知れないし、今の日本の若者に尋ねても、案外同じような答えが返ってくるかも知れない。

 次のような短歌も好きだ。

  老ふたり互に空気となり合いて
    有るには忘れ無きを思はず  (窪田空穂)        
 
 教え子の結婚式などではよく祝辞を頼まれたが、自分がかすかに年齢を感じるようになった頃からは、よくこの虚子の句や空穂の歌を紹介して、このような境遇に達するまで、ともに仲良くなどと言ったものだ。それなのに、思いもかけず妻が60歳になって間もなく逝ったので、私達夫婦はとうとうこのような味わい深い老境に達することはできなかった。

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2 コメント

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空気になりきれない・・・ (Betty)
2006-09-18 05:57:37
時には空気のようであったり?

互いにけん制したり・・・



分かりきってることなのに・・・

なかなか理解しがたい親分です。



子供に愚痴を言いますと

お母さん、お父さんはああいう人なんやからって・・・

子供の方が分析できているようです



我慢したり、そっぽを向いたり、でも縁あってむすばれ家族ができたんですから・・・



このまま慰めあったり励ましあって生きていこうと思っています
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親分は (中国迷爺爺)
2006-09-18 12:50:17
 いい方だと思いますよ。無愛想なようですが、時々ニコリとされると、とても優しく見えます。飾り気がなくて好感が持てます。お世辞じゃなくてほんと。

 縁あってのご夫婦です。「秋灯や・・・」までお幸せに。
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