中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

禁錮1000年

2013-08-10 20:11:20 | 海外あれこれ

  米国オハイオ州クリーブランドで53歳の男が2002年から04年にかけて、14歳と16歳、20歳だった女性3人を拉致して10年以上自宅に監禁していたという非道なものですが、この男の不在時に1人の女性が脱出して事件が発覚しました。今月になって裁判所は被告に対して仮釈放がない終身刑に加えて禁錮1000年とする有罪判決を言い渡しました。

 禁錮1000年とは現実離れした刑ですが、米国では起訴した罪状の1つ1つに刑を当てはめるのでこういうことになるようです。犯した罪の重さを示しているのでしょう。この男の罪状は937件あり被告は死刑を回避するために検察と司法取引をしていました。この司法取引というのも日本にはない制度ですが、「被告人と検察官が取引をし、被告人が罪状を認めるか、あるいは共犯者を法廷で告発する、あるいは捜査に協力することで、求刑の軽減、またはいくつかの罪状の取り下げを行うこと」です(Wikipedia)。

 司法取引はともかくとしても、罪状ごとに量刑を科すことはいいのではないかと思います。仮釈放なしの終身刑に禁固1000年と言うのは、それだけ被告の罪の重さを表しています。日本でも、例えば婦女暴行などは、1件づつに量刑してその累積で刑期を決めれば。場合によっては何十年と言う刑になるでしょう。それでいいと思います。

 また「仮釈放なしの終身刑」というのも考えるべきです。私は死刑制度存続論ですが、もし死刑を廃止するならばぜひもうけてほしいものです。

 


卒業生の古希の祝い

2013-08-09 07:20:47 | 身辺雑記

  高校1年から3年まで3年間担任をしたY君の古希の祝いに招かれました。10年前にも還暦の祝いに招れていて、ずいぶん速く日が経ったような気がします。

 彼はまだ現役で、会社を経営しているのですが順調のようで、会には主に取引先の人たちが80人以上招かれていて盛会でした。私にとって何よりも嬉しかったのはY君の同期生でいずれも私が担任したN君、O君、M君の3名も出席していたことでした。3人も長く会っていなかったようで懐かしがって話が弾んでいました。

 Y君はいわゆる「ワル」でしたが、校内の生徒指導や校外の補導にかかったりするようなことはなく、校内で喧嘩する程度でした。それでもかなり悪童として名が知られていまして、どういうわけか私が3年間担任しました。Y君によると1年生の終わりの時に彼に「他の先生には任せられないから、俺がずっと担任する」と言ったそうなのですが覚えはありません。N、O、Mの3君もそれぞれ何やら彼やらちょっとした問題を起こして、親を呼び出したりしましたが、大したことはありませんでした。

 私の妻はY君を可愛く思っていたようで、彼が一度仲間と一緒に私の家に遊びに来た時、夕方になって門限があるとあわてて帰ったのですが、学生帽を押さえながら駅に向かって走って行った姿が忘れられないと言っていました。卒業後何年かして3年の時のクラス会があり、妻も出席しましたが、その時妻が彼に向って「Y君、あなたはゴンタだったねえ」と言ったので、皆が大笑いし彼は頭をかいていました。そんなことがあってか、妻の通夜の時には来てくれて、私に挨拶した時は目に涙をいっぱい溜め、後で聞いたのですが、出口でひどく泣いて、一緒に来ていた奥さんがびっくりしたそうです。

 彼は確かにゴンタでしたが、帰宅の門限を守っていたことでもわかるように、限度をわきまえていました。そのあたりが今時のワルの生徒と違うところだと思っています。

 会の最初に私が乾杯の音頭をとったのですが、先日80歳の傘壽になり、担任した生徒の古希を祝うことができたのは本当に幸せなことでした。

 

 

 

                                                                                                                       


小学校長の体罰

2013-08-07 07:22:59 | 身辺雑記

 大阪市教委は7人の児童の頭を手で叩いたとして、都島区内の市立小学校の62歳の校長を戒告の懲戒処分にし、校長は「指導のつもりだった。深く反省している」として、依願退職しました。

 校長は5月に、6年男子児童が校内にナイフを持ち込んで他の児童を脅し、一緒にいた同級生6人も先生らに知らせなかったことを知り、7人を別室に呼び出して頭を1発ずつ叩いたのだそうです。どの程度本気だったのか、冗談半分だったのかはわかりませんし、校長はどの程度叩いたのかもわかりません。市教委は、7人にけがはなかったが、「市立桜宮高の体罰自殺問題を受けて、暴力に頼らない指導を目指す中、管理職が手を上げた責任は重い」として懲戒処分にしたそうです。

 5月にあったことを今頃処分するのは当該児童の保護者か職員が市教委に「ちくった」のかも知れません。体罰はいけないことはわかるのですが、この事件、ナイフで脅した児童をどのように指導したのか、保護者に厳しく注意したのかはわかりません。前にも書いたことがありますが、私が隣の市の市教委の事務局にいたとき、ある中学校の若い男性教師が、給食の準備中に一人の生徒を殴って鼓膜を破ったということがあり、新聞にも載りました。市教委はこの教師を戒告処分にしましたが、話を聞いてみますと、その生徒が給食準備中にダラダラしていたので注意すると「こんな飯が食えるか」と言ったのでかっとなり殴ったそうです。私はこれを聞いてその生徒の言動に腹が立ち、新聞も体罰の原因になった生徒の言動も書くべきだと言ったことがありました。

 近頃の子供は中学生にもなると、本当に「悪い」のがいて、教師に雑言を吐くだけでなく時には暴力をふるったりします。それでも教師は体罰を加えると処分され、生徒の指導はなおざりになることが少なくないようです。それに今は保護者にも無理解な者がいて、何かというと学校や教委にクレームをつけるのがいます。何もかも教師のせいにしては教師は事なかれ的な態度をとるようになります。このあたり、マスコミも教師を批判するだけでなく、生徒や保護者の在り方にも切り込んで報道すべきだと思います。


憲法改正はナチスの手法に学べ(?)

2013-08-05 07:34:24 | 身辺雑記

  前の阿部内閣の外相や首相だったときから幾度かの暴言、不適切な発言で物議を醸していた現副総理の麻生氏がまた問題発言をしました。憲法改正の論議は喧噪のなかでするのでなく、きちんと改正するべきだと言っておおよそ次のように論じました。

 「ヒトラーは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で取ったように思われるが全然違う。ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法下にあってヒトラーが出てきた。常に憲法が良くても、そういったことはあり得る。ワイマール憲法もいつの間にか変わっていて、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。本当に、みんな、いい憲法と、みんな納得して、あの憲法が変わっているからね。」

 ヒットラーはワイマール憲法下で合法的に政権を握りましたが、その後彼は国会放火事件をでっち上げ、「全権委任法」を成立させ、憲法の機能を停止させました。麻生氏は事実誤認をしていて,「ナチス憲法」などというものはありません。ヒットラーが独裁者になる過程は、確かに「合法的」な装いをとっていましたが、およそ民主主義的なものではありませんでした。このようなヒットラーの「手口に学んだらどうかね」という麻生氏の歴史感覚を疑います。当然のことながら麻生氏の発言は日本の野党や識者から批判され与党内からも批判の声がありましたが、国際的にも反響を呼びました。中でも米国の代表的なユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は批判声明を発表し、「真意を明確に説明せよ」と求めました。

 これらの批判に対して麻生氏は発言撤回のコメントを出しましたが、概略「憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、喧噪に紛れて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」というものですが、問題になった発言を読み直しても「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである」とは、到底読み取れません。上記のユダヤ人人権団体のクーパー副所長は『毎日』紙の電話インタビューに対して、「民主主義のプロセスの重要性を話すなら、なぜナチスを例示したのか不可思議だ」と述べたようです。これについては麻生氏は「誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」とあっさりしたものです。しばしば見られる日本の政治家の言葉の軽さをここでも感じました。 

 言葉の軽さと言えば、今回の麻生発言を日本維新の会の橋下共同代表は、「ナチスドイツを正当化したような趣旨では全くない」と理解を示し、「行き過ぎたブラックジョーク」として「政治家でこうした言動をやろうと思ったら、こういう批判は出るんだろう。エンターテイメントの世界とかならいくらでもあると、これまた軽率な発言をしています。例えエンターテイメントの世界ではあっても、ヒトラーやナチスドイツのことを軽々しく出すことは自粛されているはずです。この発言に対しても前述のクーパー副所長は「広島、長崎、ナチス、大虐殺でジョークが入り込む余地はない」と批判しています。麻生氏にしても橋下氏にしても問題発言をしても批判されると撤回はするが謝罪しないというところは共通しています。 

 なお麻生氏は問題発言の冒頭で「単なる護憲、護憲と叫んでいれば、平和が来るなんて思っていたら大間違いだ。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安寧と繁栄と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。従って狂騒、狂乱の中で決めてほしくない」とも言っています。「護憲」と言えば、狂騒、喧噪と捉える、彼の憲法改正論議に関する考えをよく示しています。

 

 

 


学士号の増加

2013-08-03 19:28:24 | 身辺雑記

  大学を出ますと学位(学士)の称号が与えられますが、この学士の名称は過去約20年間に大幅に増えていることが分かったそうです。『読売』新聞社は「大学の実力」調査を全国の大学740校を対象に行い、648校の回答を得た結果696種類が確認できたようで、その大学にしか存在しない名称も426種類に上り、約6割を占めたとのことです。  

 学士の名称は戦後省令の大学設置基準で決められてきて、1991(平成3)年に基準が緩和されるまでは25~29種類だったようです。私が大学を出たのは1956(昭和31年)ですが、その頃私が出た大学はマンモス大学と言われていましたが、それでも学部は、文学、理学、教育、工学、経済、水畜産の6つだけで、どこの大学も同じようなものでした。 

 基準緩和以降は学士の名称は自由につけられるようになり、大学志望者が増えるにしたがって各大学、特に私学が独自色を出そうとして様々な学部を設けましたが、その名称は時代に合わせて情報や文化、福祉、国際の言葉を使った名称が目立ってきました。それに合わせて学士号の種類も増えました。「キャリアデザイン」とか「観光交流文化学」などのユニークな名称が多いようですが、いったいどのようなことを教えるのか見当が付きません。「キャリアデザイン学士」と言われてもピンときません。「映像身体学」や「キャリア・マネジメント学」、「国際共生教育」など内容をイメージしにくいものも多く、当の学生自身もよく分かっていないのか、「就職の採用面接で学問内容を問われた学生が『即答できなかった』と嘆いていた」と、ある私大教授が言ったそうですが喜劇的です。老人くさい言いようですが、やはり簡潔に「文学士」、「理学士」などといったほうがわかりやすく、あまり奇を衒わないほうがいいと思います。 

 これでは進学指導をする高校も大変だとは思うのですが、その高校もかつての普通科、家庭科、商業科のようなものだけでなく、様々な名称の学科を置いているところが増えてきました。以前私がいた高校にも「グローバルサイエンス科」というのがあって、要するに大学進学を意識した学科で理数科なのですが、なかなかの人気のようです。しかし「グローバルサイエンス」というのはどのような概念のものなのか、今も私にはよく理解できずにいます。