「成田祇園祭」が7月8日(金)~10日(日)まで3年ぶりに執り行われます。3日間とも密を避ける為、全町内の山車・屋台が1ヶ所に集まるイベントや「総踊り」は行なわず、露天商さんの配慮により参道には出店しないことに。7日(木)からは「成田山祇園会」を奉修。期間中は「奥之院」を特別開扉し、「光明堂」では「天国宝剣」の加持が行なわれます。スケジュールが合わないので私は行けませんが・・・。
6月4日~7月10日(前期・後期)まで、昨年に引き続き《 関東の山車人形と成田祇園祭展 》が開催されていました。全部で24体(前期・8体/後期・16体)あって見応えがありました。「成田祇園祭展」は今回は撮影不可だったので、「ミニチュア模型」については2021年7月7日のブログを参照して下さい。
女性の「山車人形」は珍しかったので、まとめて撮ってみました。「武内宿禰」(たけのうちのすくね)は2体ありましたが、どちらも「横山 朝之」という人形師の制作なのに、顔付きがぜんぜん違っていて興味深く感じました。本庄市・泉町のは幼子を抱いている為か、とても優しい顔をしていました。「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)は観る角度によって表情が違って見えて面白かったです。「武内宿禰」 と 「素戔嗚尊」は「生き人形」と言われるもので、リアルで迫力がありました。
因みに、出雲地方が舞台になった「ヤマタノオロチ」(八岐大蛇)退治の神話で「スサノオノミコト」(素戔嗚尊)に助けられた出雲美人が「稲田姫」です。姫を守る為に神力で櫛に変え、髪に挿して戦いました。その為に「クシナダヒメ」(櫛稲田姫・櫛名田比売)とも呼ばれています。後に結婚しました。尚、この時に尾から出て来たのが「三種の神器」の一つである「草薙剣」です。
寄居町の「諫鼓鶏」(かんこどり)や「野猿」(やえん)といった変わった「山車人形」もありました。「諫鼓鶏」は【 善政であるため「諫鼓」を鳴らす必要がなく、上に止まっている鳥も逃げない 】 という故事に由来するそうです。天下泰平の象徴でした。江戸の「天下祭」は一番目の「山車」に「諫鼓鶏」、二番目には「猿」と決まっていたようです。寄居町の「山車」はその影響を受けて作られたと伝わっています。
お祭りに関する「錦絵」も何枚か展示されていました。「山王御祭禮之図」は「山王祭」(日枝神社)での「山車」の巡行を鳥瞰しています。ときわ橋・竹橋・半蔵御門・山王御宮~京橋・日本橋・江戸橋までの順路を知る事が出来ます。「山王祭」は「神田祭」と共に将軍上覧の栄誉を誇って「天下祭」(御用祭)と称され、50基位の「山車」と「神輿」が巡行して江戸城内にも入りました。当時は「山車」が主流で、文久2年(1862年)まで続きました。
成田祇園祭の山車人形 / 成田祇園祭展:「歴代ポスター」、「古写真」と「ミニチュア模型」
市川市の「武内宿禰」:中・上段 / 荒川区の「稲田姫」:右・下段
本庄市の「武内宿禰」:中・下段 / 青梅市の「静御前」:右・下段
寄居町の「諫鼓鶏」と「野猿」:左・下段 / 石岡市の「弁財天」:右・上段 / 桐生市の「素戔嗚尊」:右・下段
静御前(青梅市・仲町) / 弁財天(石岡市・金丸町) / 稲田姫(荒川区)
武内宿禰(本庄市・泉町) -抱いているのは応神天皇- / 武内宿禰(市川市・市川三丁目第一町)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)「松本 喜三郎」・作 -桐生市・本町四丁目-
山王御祭禮之図(歌川 芳綱・画) -安政2年(1855年)-
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