熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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斎藤政広写真展と庄内平野の旅 Part 5

2010-06-05 07:37:09 | 旅行
 楽しかった庄内平野巡りの旅も最終回です。
昼食は「さかた海鮮市場」の海鮮丼を頂きたかったのですが、ちょうど昼時だったため長蛇の列、諦めて「木鉢」というお蕎麦やさんで頂き最終の目的地「本間美術館」へやってきました。
酒田といえば本間様ですよね。
本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇った、農地解放による解体まで日本最大の地主だった家です。その別荘だったところが美術館として開放されています。
美術館の沿革をHPより転載
<戦後昭和22年、全国に先駆けて開館した本間美術館は、荒廃した人心を励まし芸術文化の向上に資することを目的として、本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示活動を始めました。当時、特に雛人形展では露天商も出るほどの賑わいを見せたといいます。以来、棟方志功や中川一政をはじめ優れた作家たちの展覧会を数多く催すとともに、昭和43年には、創立20周年を記念して伊藤喜三郎氏設計の新館を建設し、多くの篤志家からの美術品のご寄贈や蒐集活動を通して、近世から現代に至る美術作品の展示を充実させてまいりました。
 美術館の本館と庭園は、本間家四代光道が文化10年(1813)、丁持(ちょうもち、港湾労働者)たちの冬期失業対策事業として築造した別荘です。鳥海山を借景に、蓬莱石組を中心とする回遊式庭園は、島の松に鶴が飛んできたことから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられました。北前船で運ばれた諸国の銘石と御影石の大小の灯籠が、時を経た木立の風情を引立たせています。本館「清遠閣」は、茶室「六明廬」を備え、藩主が領内巡視の折度々来臨された所、柱は檜の四方柾、床の間の脇床・違棚は欅の玉杢(たまもく)を用い、京風の精緻な造りとなっています。明治末、一部二階建てに改装、大正14年、東宮殿下(昭和帝)がご宿泊、以後、酒田の迎賓館として多くの貴賓・名士をお迎えしてきました。手漉きガラス窓や御座所のシャンデリアなどに大正ロマンが偲ばれます。
 先人が開拓し遺してくれた文化の風土を耕しながら、より多くのみなさま方に体感していただき、さらに次代のこどもたちへ引き継いでいくことが私たちの使命であると考えております。庄内の大地と海に育まれた豊かな文化の稔りをこころゆくまでご鑑賞ください。>

 鳥海山を借景にした「鶴舞園」には和服のご婦人が良く似合います。
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 別荘だった「清遠閣」には昭和天皇もご宿泊されたそうです。
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企画展は6月8日(火)まで伝来の茶道具、小生の縁の、小堀遠州の茶杓「銘浮雲」も展示されています。ガイドさんのお薦めは雛祭りの展示だそうです。期間は平成23年2月28日~4月3日(日)まで、庄内に伝わった各種古典人形を見られるとので奥様と是非お出掛け下さいとのことです。

 O氏のお薦めのお土産は酒田駅前の「清川屋」さんにありました。北川景子さんがTBSの「はなまるマーケット」で紹介した「ほわいとぱりろーる」です。何でも今お取り寄せスイーツのトップだとか。映画のロケで山形に来て出会ったとのことですが、「花のあと」という藤沢周平原作の時代劇のロケだったのでしょう。残念ながら小生は見逃しましたが、そのうちDVDを借りてみましょう。藤沢周平といえば鶴岡に今年記念館が出来ました。そこにも時間があれば寄りたかったのですが、またの機会にしました。
 酒田駅には斎藤御夫妻もお見送りにきてくれて再会を約していなほに乗り込みました。3日間の専属ガイド有難うございました。
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 最後の写真は車窓から見る月山です。
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今度は家内と出羽三山と立石寺を巡り、出来れば最上川の舟下りも体験したいものです。
皆さんも是非ゆっくりと時の流れる山形へお出掛け下さい。