今日、南田洋子さんがお亡くなりになりました。くも膜下出血で人工呼吸器を装着したと報じられていましたので、可哀想だけど時間の問題だろうと思っていました。彼女は私が物心ついてから初めて知った女優さんでした。
私の生まれ故郷(大滝村今では秩父市大滝)に初めて映画のロケに彼女が来ました。Webで調べると1955年作品となっていましたから今から54年前、南田さんがまだ22歳の時です。私が小学校1年の時でした。日活に移って初めての作品で主演でした。映画は無医村をテーマにした映画で、私の家族もエキストラで参加したと記憶しています。
題名は「沙羅の花の峠」、私は「沙羅の花咲く峠」と覚えていたのですが、今日、日本映画のデータベースを調べていたらこうなっていましたのでこちらが正解でしょう。確かロケ用に白い花を折り紙で作った記憶もあります。当時の大滝村は正に無医村で、風邪をこじらせれば「ムルチン」肺炎が心配になれば「ペニシリン」下痢がひどければ「クロマイ」と亡くなった父が医者がわりでした。医師法に触れていましたが、幸い大きな事故も無く必要悪として黙認されていたのだと思います。小さい頃はよく注射器で遊んだものです。
現在の医療制度も様々な難問を抱え診療科を閉鎖する病院も多くなっていますが、こんな時代には戻らないで欲しいものです。
映画の詳しい内容はこちらのリンクをご覧下さい。
沙羅の花の峠(1955) - goo 映画
話を戻します。
彼女は数年前に認知症を発症、夫の長門裕之さんが懸命に看病されるところが話題になっていました。
私の中では女優さんは最後まで女優さんで居て欲しいという気持ちも無いわけではありませんでしたが、別の意味での役を演じられたのだと思います。ご冥福をお祈りします。 合掌
私の生まれ故郷(大滝村今では秩父市大滝)に初めて映画のロケに彼女が来ました。Webで調べると1955年作品となっていましたから今から54年前、南田さんがまだ22歳の時です。私が小学校1年の時でした。日活に移って初めての作品で主演でした。映画は無医村をテーマにした映画で、私の家族もエキストラで参加したと記憶しています。
題名は「沙羅の花の峠」、私は「沙羅の花咲く峠」と覚えていたのですが、今日、日本映画のデータベースを調べていたらこうなっていましたのでこちらが正解でしょう。確かロケ用に白い花を折り紙で作った記憶もあります。当時の大滝村は正に無医村で、風邪をこじらせれば「ムルチン」肺炎が心配になれば「ペニシリン」下痢がひどければ「クロマイ」と亡くなった父が医者がわりでした。医師法に触れていましたが、幸い大きな事故も無く必要悪として黙認されていたのだと思います。小さい頃はよく注射器で遊んだものです。
現在の医療制度も様々な難問を抱え診療科を閉鎖する病院も多くなっていますが、こんな時代には戻らないで欲しいものです。
映画の詳しい内容はこちらのリンクをご覧下さい。
沙羅の花の峠(1955) - goo 映画
話を戻します。
彼女は数年前に認知症を発症、夫の長門裕之さんが懸命に看病されるところが話題になっていました。
私の中では女優さんは最後まで女優さんで居て欲しいという気持ちも無いわけではありませんでしたが、別の意味での役を演じられたのだと思います。ご冥福をお祈りします。 合掌