熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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芭蕉の足跡を訪ねて(最上川)

2014-06-11 11:05:36 | 憲ちゃんとの旅
 銀山温泉を発って最初に向かった先は最上川の船番所です。途中、本合海付近に芭蕉と曽良が乗船した場所があるとガイドブックで確認していたので、その付近に行って見ましたが探し当てられませんでした。
代わりに金子兜太夫妻の句碑を発見。
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 郭公の声降りやまぬ地蔵渦 兜太
 ひぐらしの網かぶりたり八向楯 皆子
 いずれもこの付近の名所を詠んだ挨拶句のようです。平成24年に建てられた碑でまだ句もハッキリ読めます。

 もう少し良く探せばこの近くに乗船地もあったようです。

 先を急ぐため戸沢村古口にある船番所に向かいます。ここから最上川舟下りが出来ますが、マイカーのため一人が乗って、一人が下流の草薙港で待たなければなりません。
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乗船料金2,030円も惜しいし、川の色を見てその気が失せてしまいました。雪解け水の頃はいつもこんな濁った川のようですね。
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 代わりに芭蕉丸の前でパチリ。
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 ここには「国保発祥の地」の大きな看板が立っていました。
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 戸沢村のHPによれば
>「この地山形県最上郡戸沢村大字角川村は、僻地で交通の便悪く、医師のいない村として民生の上まことに困難を感じた人達が、その対策としてできたのが、角川村保険組合で、昭和11年4月から発足した。昭和13年7月国民健康保険組合に改め、設立認可第1号をもって全国市町村にさきがけし、国保本来の使命である相扶共済の精神を旨として実践、現在に至ったものである。
 時代は進み、社会保障制度は著しく進展をみせ、特に国保の拡充愈々重大性を帯び、幸福はまず健康からの感を深くするものである。
 本来創設以来20周年を迎え発祥のちに記念碑を建て、これを後世に伝える。」
記念碑は別の場所にありますが、小生も無医村に育った経験から、他人事には思えません。

 いよいよ今日のメインの鶴岡市自然学習交流館「ほとりあ」に向かいますが、またここで道草です。車を走らせていると前方に大きな堰が見えてきました。
 最上川さみだれ大堰です。ここではフィッシュギャラリーが設置されていて、遡上する魚を見られると説明板にあります。それに何の目的で設置された堰なのかも知りたかったので、インターホンを押して案内をお願いしました。若いお姉さんの説明では、堰を造った目的は、上流の農業用水の取水を容易にするために、この堰で水位を上げてやるのだそうです。模型のゴム堰も展示されていましたが、空気を送り込んで膨らませて、堰き止め水位を上げるとのこと。
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 フィッシュギャラリーは地下に降りて、魚道を遡上する魚をガラス越しに見ます。
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でもこの濁りでは見えないだろうと思ったとおりでした。わずかに小さな魚を見ることができましたが、地下に降りるので、雪解け水が入らない夏場がお勧めかも知れません。

 次回はいよいよ、鶴岡の「ほとりあ」です。


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