※ つれづれなるままに

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旧満鉄

2012-06-20 21:00:38 | 海外旅行 大連
旧満州鉄道本社

コの字型の中央部です。


地上2階 地下1階


社員数4万人 製鉄所、炭鉱、農事試験場などあり
家族にも満鉄のフリーパスが受けられ、満鉄乗り放題で
満州の主要都市総てに行く事が出来ました。

その当時すでに、福利厚生施設も充実していました。


満鉄 大連埠頭ターミナル玄関

戦後、ここから私達家族は日本へと引き揚げました。

道を挟んで6階建ての埠頭事務所があります。

上の白いのはターミナルの屋根です。
100年前には、すでにエレベーターが2基あり
当時では凄い事だったようです。
今でも、必要とされている建物です。
父は、ここで仕事をしていたと思われます。

この屋上は眺望が良く、観光スポットになっています。


その左に目をやると近代的な高層ビル

マンション 右の方のは、まだ建築中ですが
金額は 億と言う事です。

大連では至る所で高層ビルが建てられています。

大連埠頭
この正面の遠くに日本が・・見えませんが・

大連埠頭には1~4まであり、第1埠頭と
第2埠頭はロシア統治時代に、第3埠頭と
第4埠頭は日本が建設しました。

この写真には客船が見えますが、客船は
第2埠頭からで、他は貨物専用だそうです。

写真右から第1 左へ2,3,4埠頭となります。

ここに立って、当時の両親に想いを馳せました。
父が40歳 母31歳の時に終戦 引き揚げとなり
6歳、4歳、3才の子供を母が1人で連れ帰ったけど
母のお腹には8ヶ月の子供。

しかも、父は仕事の関係で一緒には帰れなかったので
母は、どれだけ心細かったことか まだ31歳

6歳の姉には、ロシア兵にいたずらされないように
髪は短く男の子の格好をさせたといいます。

持ち物には制限があり、殆んどが没収されたと
言う事ですが、身重の母は、両手で姉と私の
手を繋ぎ、妹をおぶって何も持てる筈もなく、
ただ子供達を無事に日本に連れ帰ることだけを
考えていたと言います。

海を見ながら、本当に大変だったんだろうなって
幼い時に居た場所で、当時の母の年齢を超えて
さらなる親の愛を感じます。
ここに来て良かった。

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