※ つれづれなるままに

日頃の気ままな記録です。
気楽にお付き合い頂ければ嬉しいです。

茅の輪くぐり

2012-06-30 22:26:15 | 神社・仏閣
一年の半分
6月30日 前半健康だった半年のお礼と
後半の半年の健康祈願の行事 茅の輪くぐりに
出かけました。

脇から見ると神橋での様子が良く見えます。


時間は午後5時10分
参道の図書館近くまで並んでいます。


列の最後に並んで少しずつ前進



脇では食べ物や朝顔など・・・

ほおずきもありますね


とっても綺麗です。


やっと鳥居が見えてきました。


長かったー
只今、時間は6時50分
ここで 8の字に周って・・・

茅の輪を収めると、神主さんが頭上で
お祓いをしてくれます。本殿で、家族の
健康安全祈願をして、さらに二つ目の
茅の輪をくぐって・・・

やっと帰路に。
来た時は、太陽がまぶしかったのに、
帰りは暗くなりかけていた。

でも毎年のように雨降りなのに今年は
お天気で良かった。お天気が良いから
人も多かったのかも。

お祓いをしてもらってすっきりしたけれど、
さらに自分でも気を付けて過ごさなければ。

一年は早い!
来年も元気で来られますように!


大連での料理

2012-06-22 20:16:04 | 海外旅行 大連

本場、中華料理も金額次第で大分違うのは当然です。
初日はツアー込みのお料理です。
 
                     

大連地ビール(サイダーのように薄い)

ごく普通に地元の人が食べているお料理で
野菜が多いけど味は良く、しっかり食べられました。


 

 

豚の角煮 長崎の角煮饅頭の元祖?


大連でも指折りの海鮮レストラン(オプション)


イケスから希望の魚をお料理してもらえます。


  鯛のお作り                             青島ビール(殿方は美味しいと)

 

 

 
     ほたて料理


     水餃子                             あわび料理

載せ切れないほど沢山の中華料理を食べてきました。
オプションのレストランは流石に美味しく、
お料理だけではなく一流の接客態度にも好感が持てました。

どの国とも仲良くしたい。
特に中国は接点がとても多いので尚更です。


3日間は短!
ホテルから空港へと向かっています。
道路は立体交差して、大連に行く前には想像出来なかった光景です。

産まれ故郷の大連に行って、はっきり見てきました。
聞いてきました。食べてきました。感じてきました。

時間の関係で飛ばした所もあって、まだまだ
知らない所は多いので、機会があったら又
訪ねてみたいと思うようになりました。

大連の様子を長々と記しましたが、最後まで見て
下さって有難うございました。

次回からは普通のブログに戻ります。  


 


大連市内

2012-06-22 10:52:10 | 海外旅行 大連

朝 5時30分 ホテル近くを散策
霧が多くて視界はイマイチです。

高層マンションの左の白くて横長の
建物が今回利用したホテルです。

大連の中心部から離れている高台で、ホテルの
窓からは海が見えます。

歩いて10分 漁港に出ました。

沢山の漁船が漁に出る準備をしています。




とっても素適な空間です。
ボートには NISSAN と入っていました。

洒落た建物はスタジオで、花婿、花嫁さん達が
建物の内外や、時計 ボートも 海も背景に使って
一生一度の素適な写真を、結婚式前に 衣装を
何度も取り変えて 100枚~300枚も撮って、
分厚いアルバム2,3冊にして手元に残すそうです。

昨年結婚したというガイドさんのアルバムを
見せてもらいました。 余りにもキレイ 様々なポーズ
若いから 素適な人と一緒だから 恥ずかしくは
ないのでしょうねー 

本人曰く「ダレ コレ?なのよ」って。

とっても素適なアルバムに仕上がっていました。



中国とは違和感がある建物のようですが、
ロシア統治時代の建物で、とてもお洒落です。



大連は広場が沢山あって、自転車や馬車で回ったり
海水浴や水族館、ボート遊びも出来、オブジェ、
四季折々の花など見所が沢山あります。

大連は1898年~1905年はロシアの租借地
1905年~1945年は日本の植民地支配を受けました。

港は不凍港で、上海と並ぶ貿易港です。
果物栽培、造船、重工業、化学工業も発達していて、
ソフト会社が多く、ソフトの専門大学もあります。

スーパーモデル育成の学校もある勢か、若い女性は
スタイルが良い人が多かったです。

ホテル連泊の3日間 たった3日間でしたが
想像していた大連とは全く違っていたのは
良い収穫でした。

中華料理はどうだった?って良く聞かれます。
ツアー料金内の食事はそれなり  でも
野菜が多いくらいで私には充分満足でした。

最終日はオプションで海鮮料理店へ行ったので
それを最後に載せましょう。

旅順 ヤマトホテル

2012-06-21 23:27:10 | 海外旅行 大連
満鉄ホテルグループのヤマトホテル
ここは、旅順のヤマトホテルです。

大連のヤマトホテルとは全く違いますが
当時は3階部分に飾りが付いた素適なデザインでした。


男装の麗人、川島芳子は、愛新覚羅 第14王女に
あたりますが、ここで蒙古属の将軍の次男と
結婚したり、スパイになったりと波乱万丈の
人生を送りました。


川島芳子をモデルにしたベストセラー「男装の麗人」
を、水谷八重子が舞台で演じています。

芳子の父 の家はヤマトホテルから徒歩10分
ラストエンペラーの溥儀も滞在していたとか。


ヤマトホテルの玄関

現在は民開放軍の招待所になって、外国人は
泊まれません。

ホテルの1Fは、殆んどが食堂になっているようです。
板垣征四郎が、満州国成立の盃を交わしたホテルと
聞いて、面影が無いけど当時のヤマトホテルは
立派だったのだと思います。


すぐ脇にある市場

果物が安くて種類も多い



旅順駅 ロシア統治時代の駅
異国情緒があって素適です。




203高地

2012-06-21 20:40:10 | 海外旅行 大連

テクテク テクテク海抜203mを登ります。
写真では登りに見えませんが、結構息が・・・。


ゆっくり ゆっくり 杖を着いたお母様と娘さん達
良く登ってきました。

海抜206mだったのが、戦争で3m削られて
203mになったとか。


爾霊山の碑
「あなたの霊の山」と言う意味
乃木大将が戦死者の霊を慰める為に
付けたということです。


ロシア砲 車が付いている。
筒は、長くて直径は15cm


日本砲 車が無いので、担いで移動
筒は、短く直径は 18cm

他にもロシア軍は33cm、日本も28cmと
巨大なのもあったと言う事です。


お土産屋さんのティーシャツには・・・。
このような当時に関係のある物を
売っていましたが、中国元だったらもっと
安い筈なのに日本の金額と変らないのは???


水師営会見所

2012-06-21 18:15:19 | 海外旅行 大連
ここは、日露戦争が終り、乃木大将と
ステッセル将軍が降伏調印をした所。




屋根の上には草が生えていますが、入口を
入り、左の部屋で調印されました。
右の部屋では、当時の写真が貼られています。

乃木将軍とステッセル それに銃持参のロシア兵
通訳が一緒に写っているのがありましたが、
乃木将軍がロシア兵が銃を持つのを許したと言います。

この建物の近くにナツメの木があります。
このナツメは4代目になっていましたが、ステッセルが
会談の為に乗ってきたアラブ産の白馬を繋いで
おいたそうです。

その後、白馬は乃木将軍に送られたと言うことです。

東鶏冠山

2012-06-21 17:57:19 | 海外旅行 大連
日露戦争、旅順争奪戦になった激戦地


天然の岩盤で、強固な要塞
ロシア軍の兵舎です。

2階建てで、下は爆薬などの倉庫 上で生活していたと言う。
壁には、日本軍の爆破跡が生々しく残されています。


堡塁(石などで固められた陣地)の正面で2,3トンのダイナマイトを
爆破させて、日本軍が占領したが、日本軍は
8000人の死者を出しました。





昆布騒動

2012-06-21 16:24:53 | 海外旅行 大連
バスの中からの写真で見づらくてご免なさい。


大連から旅順に向かうバスの前に
これ以上はムリと言わんばかりの
大量の昆布を積んだトラック

車内は「すごいねー」「沢山取れるんだねー」とか
ワイワイ がやがや・・・
やがて、姿は見えなくなりました。

しばらくガイドさんがお話を続けていると
道の真ん中で作業をしている人達・・・

あれっ? あれってー 




ナント、落ちた昆布拾いをしている人達でした。
トラックは見えません。

こんなハプニングで、車内は大盛り上がり
ガイドさんは「どこまで話したかしら?」って。

すっかり話を持って行かれたのでした。


アジア号

2012-06-21 10:01:40 | 海外旅行 大連
日本の資本で経営の南満州鉄道で、
1934年~1943年まで
大連駅ーハルビン駅までの約950mを
走っていた夢の超特急“あじあ号”が
大連駅機関庫に保管されています。



誰もが「大きい~」と目を見張ります。
そして ゴッツイ! 鉄の塊?すごく重そうです。
最高速度120km

それまで、大連ー新京間が、2日かかっていたことろを
8時間半で走行して、世界を驚かせたと言います。



車輪の直径は、約2m 大きくて力強い!


運転席に上る垂直の梯子は腕力がいります。
この位の腕力は・・私にだって~ ウ・ウ・・・


石炭投入口です。周りはゴツゴツして男の仕事と言う感じ。


列車の屋根です。後部、石炭貨車から前方を見ています。

ロシア人女性がウエイトレスとして働いていた豪華な食堂車も
ありました。

6両編成で、手荷物郵便車 1両   3等客車(定員88名)2両
食堂車 1両、2等客車(定員68名)1両、展望1等車(定員48名)1両

旧満州の気候に対応する為に、2重窓にした冷暖房設備が
完備、当時の列車では珍しく、オリエント急行にも
匹敵すると言われています。


この機関車は「パシナ型蒸気機関車757号」で
「パシナ型蒸気機関車751号」は瀋陽機関車展示館に保管されています。

現在では、この2台だけが当時の遺産として
中国で見ることができ、日本人の家もそうですが、
中国が良く残しておいてくれたと当時の関係者に
「ありがとう」っていう気持ちです。







大連の夜

2012-06-20 21:18:56 | 海外旅行 大連


労働公園を見下ろす山の上にあるテレビ塔。
中々綺麗です。

大連はどこも夜になるとライトアップをして
綺麗な印象を受けました。

上に展望台があるので、エレベーターで
登ってみました。


海抜360m
ちょっとガッカリ
霧がかかっているのと、ガラスが汚れている。
上海や、香港の展望台でもガラスが汚れていると
言うのを聞いて、これは国民性なのかもしれない
と思えますが。


夜の市場です。

日用雑貨、服などが多く雑貨、果物、
ソックスは安いので、日本人はソックスを沢山
買っていくそうです。
私は♪見るだけ~