日本の資本で経営の南満州鉄道で、
1934年~1943年まで
大連駅ーハルビン駅までの約950mを
走っていた夢の超特急“あじあ号”が
大連駅機関庫に保管されています。
誰もが「大きい~」と目を見張ります。
そして ゴッツイ! 鉄の塊?すごく重そうです。
最高速度120km
それまで、大連ー新京間が、2日かかっていたことろを
8時間半で走行して、世界を驚かせたと言います。
車輪の直径は、約2m 大きくて力強い!
運転席に上る垂直の梯子は腕力がいります。
この位の腕力は・・私にだって~ ウ・ウ・・・
石炭投入口です。周りはゴツゴツして男の仕事と言う感じ。
列車の屋根です。後部、石炭貨車から前方を見ています。
ロシア人女性がウエイトレスとして働いていた豪華な食堂車も
ありました。
6両編成で、手荷物郵便車 1両 3等客車(定員88名)2両
食堂車 1両、2等客車(定員68名)1両、展望1等車(定員48名)1両
旧満州の気候に対応する為に、2重窓にした冷暖房設備が
完備、当時の列車では珍しく、オリエント急行にも
匹敵すると言われています。
この機関車は「パシナ型蒸気機関車757号」で
「パシナ型蒸気機関車751号」は瀋陽機関車展示館に保管されています。
現在では、この2台だけが当時の遺産として
中国で見ることができ、日本人の家もそうですが、
中国が良く残しておいてくれたと当時の関係者に
「ありがとう」っていう気持ちです。
1934年~1943年まで
大連駅ーハルビン駅までの約950mを
走っていた夢の超特急“あじあ号”が
大連駅機関庫に保管されています。
誰もが「大きい~」と目を見張ります。
そして ゴッツイ! 鉄の塊?すごく重そうです。
最高速度120km
それまで、大連ー新京間が、2日かかっていたことろを
8時間半で走行して、世界を驚かせたと言います。
車輪の直径は、約2m 大きくて力強い!
運転席に上る垂直の梯子は腕力がいります。
この位の腕力は・・私にだって~ ウ・ウ・・・
石炭投入口です。周りはゴツゴツして男の仕事と言う感じ。
列車の屋根です。後部、石炭貨車から前方を見ています。
ロシア人女性がウエイトレスとして働いていた豪華な食堂車も
ありました。
6両編成で、手荷物郵便車 1両 3等客車(定員88名)2両
食堂車 1両、2等客車(定員68名)1両、展望1等車(定員48名)1両
旧満州の気候に対応する為に、2重窓にした冷暖房設備が
完備、当時の列車では珍しく、オリエント急行にも
匹敵すると言われています。
この機関車は「パシナ型蒸気機関車757号」で
「パシナ型蒸気機関車751号」は瀋陽機関車展示館に保管されています。
現在では、この2台だけが当時の遺産として
中国で見ることができ、日本人の家もそうですが、
中国が良く残しておいてくれたと当時の関係者に
「ありがとう」っていう気持ちです。
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