宮山登山会は毎年3月の半ば頃に有島武郎を偲び宮山に登る恒例の
登山会です。今朝は雪が降っていましたが、登り始めた頃には一時陽も
射して風もなく暖かい日和でした。しかし頂上付近では再び雪もちらつき
曇って、羊蹄山・ニセコアンヌプリの姿は見られませんでした。
参加者は全員で14人、その内一般町民の方々は10人でした。
今日12日に宮山登山会に参加した町民の方の中に一万人目の入館者
がおり、今年度は平成19年度以来、9年ぶりに一万人突破したことに
なります。
宮山は有島地区にある標高218mの小さな山です。もともと名前のない
山でしたが、神社が置かれたことからその呼び名がついたそうです。
1900年(明治33年)に笹を刈っただけの小道をつくり、頂上に朴(ホコ)?
の木の一尺角(一片が30.3㎝)で高さ12尺(約3.6m)のものを建て、
それに「天照皇大神宮(あまてらすこうたいじんぐう)」と書いたものを
祀ったのが始まりのようです。
しかし山の頂上までは道も険しく参拝に行くのが大変なので、数年後、
その山の南の麓に10坪の遥拝所(ようはいじょ)を建て、無名の社に
有島武郎の父武が「弥照神社(いやてるじんじゃ)」と命名します。
当時宮山は桜の木が茂り山はピンク色に染まったほどだったとあります。
その様子は「狩太八景」の中に描かれています。
しかしその遥拝所も小樽・函館間を徒歩で通行する浮浪者などが宿泊する
場所となり、1916年(大正5年)、先に武郎は1908年(明治41年)に父武
から譲り受けた有島農場にある現在の場所に「弥照神社」を移転し改築を
行い現在に至っています。
現在宮山は頂上までの道も整備され、千本以上の桜の木が植えられ、
順調に育ち、年々開花数も増えています。
雪が解ける5月頃から宮山を散策するのもニセコの歴史を体験する
良い機会になると思います。
登山会です。今朝は雪が降っていましたが、登り始めた頃には一時陽も
射して風もなく暖かい日和でした。しかし頂上付近では再び雪もちらつき
曇って、羊蹄山・ニセコアンヌプリの姿は見られませんでした。
参加者は全員で14人、その内一般町民の方々は10人でした。
今日12日に宮山登山会に参加した町民の方の中に一万人目の入館者
がおり、今年度は平成19年度以来、9年ぶりに一万人突破したことに
なります。
宮山は有島地区にある標高218mの小さな山です。もともと名前のない
山でしたが、神社が置かれたことからその呼び名がついたそうです。
1900年(明治33年)に笹を刈っただけの小道をつくり、頂上に朴(ホコ)?
の木の一尺角(一片が30.3㎝)で高さ12尺(約3.6m)のものを建て、
それに「天照皇大神宮(あまてらすこうたいじんぐう)」と書いたものを
祀ったのが始まりのようです。
しかし山の頂上までは道も険しく参拝に行くのが大変なので、数年後、
その山の南の麓に10坪の遥拝所(ようはいじょ)を建て、無名の社に
有島武郎の父武が「弥照神社(いやてるじんじゃ)」と命名します。
当時宮山は桜の木が茂り山はピンク色に染まったほどだったとあります。
その様子は「狩太八景」の中に描かれています。
しかしその遥拝所も小樽・函館間を徒歩で通行する浮浪者などが宿泊する
場所となり、1916年(大正5年)、先に武郎は1908年(明治41年)に父武
から譲り受けた有島農場にある現在の場所に「弥照神社」を移転し改築を
行い現在に至っています。
現在宮山は頂上までの道も整備され、千本以上の桜の木が植えられ、
順調に育ち、年々開花数も増えています。
雪が解ける5月頃から宮山を散策するのもニセコの歴史を体験する
良い機会になると思います。