展示会の記事の途中ですが、どうしても書いておきたいことがあったので、しばしおつきあい下さい。
新聞やテレビの報道でたまに取り上げられていましたが、今回の震災での障害を持った人や認知症の人たち、その家族の避難状況について様々な実態を見聞きして考えてしまいました。
災害がありえないほど大きかったこともあり、誰もが想定していなかった状況に戸惑われていることは間違いなく、それぞれ抱えている問題によっていろんなご苦労がある様子に他人事とは思えませんでした。
私は息子が重い自閉症であることで、そういうケースでしか想像がつかないのですが、環境の変化に大きな不安を抱えてパニックを起こしがちな人たちを連れての避難所生活は、家族として相当の心労があるだろうと容易に想像できます。
はっきり申し上げて、私には息子を連れての避難所暮らしは無理です。
そう言い切れます。
実際に、他の被災者に迷惑を掛けたくないと車中で暮らしているご家族が多いようです。
ほんとにその気持ちわかります。
わかるだけに切ないことこの上ない。
自閉症だろうとなんだろうと、自分の子どもは大事だし何が何でも守りたい。
でも、人様からの非難の目はこれまでだって多かれ少なかれ浴びてきているだけに、それでどんなに傷つくのかもわかってます。
世の中にはいろんな人がいます。当たり前ですが。
ちょっと前に(震災の前です)自閉症のメカニズムについての研究記事が発表されたことがありました。
その時に「自閉症のやつとか社会のクズ、ゴミ。そういうやつらに研究費を使うとかお金の無駄」と、堂々とブログに書いてる人がいました。
私は怒りとか悲しみとかというよりも、「やっぱりな」という諦めを感じました。
私は親として23年子供と社会に向き合ってきたけれど、日本の社会に期待しないという気持ちを強く持つことが多かった。
頼れるのは自分だけ。
だから私は自分の内側をどんどん掘り下げることに情熱を傾け続けてきました。
災害に遭遇してしまうと、自分だけでは解決がつかないことばかりかもしれない。
ひとつだけ希望の光があるとしたら、自分の中に柔軟性を育てておくことかもしれない。
どんな状況でもしなやかな心と思考はきっと自分を強くしてくれるだろう。
私ならどうするだろう。
このひと月以上ずっと心の中で考え続けています。