桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

もうこんなことがないように

2015-03-18 22:42:20 | 自閉症のtoshiya

今日は、本気出して書くよ。

介護疲れ:長男絞殺容疑「母の私が死んだら生きていけない」

先日、このニュースが目に飛び込んできました。

これは私のうちのような家庭というか、親にとって、とても他人事とは思えない事件です。

ただ今の私ならば、子どもを生かす道を死にもの狂いで探すだろうと思います・・・・

が、しかし、それは私がまだ元気で活動できている世代だからこそ。

亡くなった長男はちょうど私と同い年。

世間の空気も、福祉の在り方も、当事者の社会における置かれ方も、人々の理解の度合いも、情報の量も、5年や10年も経てばガラリと変わっていきます。

このお母さんはおそらく、私などには想像もつかないような世間の偏見や介護の重圧に耐えて来られたのだろうと想像するに難くないです。

私でさえ、トシヤが2~3歳くらいの頃は、今思い出してもはらわたが煮えるような侮辱を(主に医者など権威のある人々から)受けることもあったのですから、それより以前の親御さんたちの艱難辛苦は如何ばかりかとも思うわけです。

ただ、困っていることを人に言える、言ってもよいという自分への赦しは持っておくべきと思うのです。

お役所の人も、通所先の人も、おそらく向こうから「困ってることありませんか?」とか「こういうサービスがありますよ」などとはほとんど言っては来ません。

こちらからドアを叩かなければ、助けは来ないというのが現状です。これ、ほんとですよ。

プライドを捨てて行かねばならないこともあります。

排泄の介助が要ることとか、時々暴力が出るとか、私のとこも恥ずかしくてなかなか人によう言えんこともあります。
つい2日前だって、右腕をしたたかに引っ掻かれて化膿してしまいました。

それでも息子のお風呂の介助は私がしなければなりません。

ほんとうは人にも言いたくない恥じな部分も、私は出来るだけ後見的支援制度で自宅訪問をして下さるサポーターさんにもお話しすることにしています。

こういう福祉資源を使って、厚かましいくらいにアピールすることでしか、親亡き後の子どもの命を護れないのでは?と思うのです。

母の私が死んでも息子が生きていける社会にするために、皆さんの力も貸していただければと、厚かましい母は思うのです。