蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

パターソン

2018年06月17日 | 映画の感想
パターソン

アメリカのパターソン市に住む乗合バスの運転手パターソン(アダム・ドライバー)は詩作が趣味。毎朝決まった時刻に起きて、朝食はシリアル、昼食は(弁当として持参した)サンドイッチやケーキ、夕食後は飼い犬(ブルドック)の散歩のついでになじみのバーでビールを飲む、といった規則正しい生活をしている。芸術家肌?の奥さんにつきあうのは若干疲れるものの、ベタ惚れしているのであまり気にならない・・・という話。

アダム・ドライバーって、まあ普通にハンサムであるものの、何等かの不安や悩み、今時の言い方では闇を抱えているような、ちょっと不穏なオーラがありますよね。
で、時々唐突に双子が(何度も)登場したり、BGMが妙に重々しかったり、パターソンの奥さんが作るカーテンやお菓子のデザインがちょっと危なげ?だったりしたので、「これは穏やかな日常を描くと見せかけて、突然猟奇的な大事件がおきるのでは?」と思って見ていたのですが、最後まで事件らしい事件は起きませんでした。

本作は、あまり映画を見慣れない人が見たら(ストーリー性が薄いという意味で)「なんだこれ」と怒り出しかねない内容だと思いますし、上記のように私も「結局何も起こらずじまいか」とエンドロールで思ったクチです。
メジャーでない、ミニシアター系というのかアート系な映画でも、殺人事件とかはなくても夫婦の対立とかくらいは起きそうなものです。

しかし、一方で私は、規則正しい、静かで、穏やかで他律的な生活にあこがれがあります。例えば、軍隊とか刑務所での生活なんかも(3日くらいならですが)してみたいなあ、と時折思ったりします。
このため、パターソンのような生活もいいよねえ、と思えました。(あの奥さんの相手をするのは、ちょっとイヤだけど)
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スリービルボード

2018年06月17日 | 映画の感想
スリービルボード

ミズーリ州の小さな町。娘を(レイプの末に)殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマント)は、捜査が進まない警察にしびれを切らせて、郊外のさびれた道路沿いの大きな看板(ビルボード)に警察署長を批判する「広告」を掲出する。その「広告」は田舎町に大きな波紋を広げていく・・・という話。

日本人には「自分」がない、といったのは夏目漱石だったっけ?ロンドンにいって個人が確立され尊重される自律的な社会になじめなくてノイローゼ(って最近はいわなくなりましたね)になってしまった末にそんな気分になったんじゃなかったっけ?

日本人は今でも周囲の人との関係性を重視する他律的な環境に居心地のよさを感じる人が圧倒的に多くて、本作の主人公のミルドレッドみたいに、自分の信念に忠実で、それを守るためには家族や知人、近所の人たちとの関係性を全く顧みない人はめったにみかけない。

地域の実力者で周囲の信頼が厚く有能そうな警察署長を、彼が末期がんであることを知りながら看板であからさまに批判し、息子を高校に送っていった車に学生が卵?を投げつけると車から降りて犯人らしき学生を蹴りつけ、看板に放火されると警察署に火炎瓶を投げつけて仕返しする・・・まあ、さすがにどんな強気なアメリカ人でもここまでやる人はいないんだろうけど・・・本作がアメリカで高く評価されるのは、こういう主人公の人格が際立つように描かれているからだろう。
平凡な日本人の私にとっては、主人公の毒気にあてられて、見終わった時ちょっと目が回るというのか、足元がおぼつかないような気持ちになってしまった。
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