蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

生体認証

2005年08月16日 | Weblog
商売をする上で取引する相手が本人であるか否かを確認することは非常に大切なことで、この確認をするために、重要な契約を締結する場合、多くは公的な本人確認方法である印鑑証明を使用します。

私たちの日常生活で最もなじみ深い本人確認の方法は銀行のキャッシュカード(+暗証番号)でしょう。

最近ではキャッシュカードの基本情報を特殊な装置を使って読み取って複製し、暗証番号は生年月日や住所などから推定して銀行預金を詐取するという事件が相次ぎました。そこで指紋や静脈、虹彩などで本人確認をしようという銀行もあります。
しかし、認証するのはしょせん機械なので、しばらくしたら“なりすまし”ができるような方法を考え出す人がでてきそうです。

乱暴で非現実的なアイディアですが、指紋や静脈認証なら、強盗にはいってキャッシュカードを盗んだついで(?)に本人の手首を切断し手首で本人と認証させる、という方法が思いつきます。
似たような話として、トム・クルーズが主演した「マイノリティレポート」というSF映画では、網膜による認証が物語の鍵になっていて、敵に追われる主人公は、別人になりすますために他人の眼球を移植します。

すぐ思いつくアイディアだけにすでに対策はほどこされていて、ある銀行のATMは生きのいい(?)手のひらしか認証しないそうです。つまり血液が流れていない血管とか体温のない手首には反応しないというのです。

しかし、よく考えて見ると、生体認証より暗証番号の方が安全性は高いことがわかります。服や財布の上からでもカードの基本情報を読み取れる機械がすでにあるのですから、認証する機械の仕組みがわかっていれば、指紋、網膜、静脈、虹彩などを読み取り機械に認証させることができるカラクリが開発できそうです。顔や手のひらは毎日他人にさらしているわけで、読み取る機会は財布の中のカードよりはるかに多そうです。暗証番号は本人を脅迫などして言わせる以外に盗み出す方法がありません。(本人に聞かなくても推定できてしまうような暗証番号を設定してしまうのは、自己責任のうちかと)
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豚を盗む

2005年08月15日 | 本の感想
期待することと決断すること、それがギャンブルの楽しみのすべてである。当りを期待することが楽しみの半分なら、残りの半分は期待が現実になったときの、つまり当ったときの喜びではないかと人は言うかもしれない。しかしレースが終わったあと、たとえ期待が現実になっていたとしても、奇妙なことにそこにあるのは後悔だけである。二万円で買った車券が当る。すると当った人間はなぜ五万円買わなかったのかと悔やむ。五万円買っていればなぜ十万円買わなかったのかと悔やむ。必ず悔やむ。はずれていればむろん悔やむ。だから、さっき言ったようにレースそのものの中にギャンブルの楽しみはないし、レースが終わった後にあるのは後悔のみ、とすれば、ギャンブルの楽しみのすべてはレースが始まる前にしか存在しない。
(佐藤正午「象を洗う」より)

上の文章にはしびれました。ギャンブルをやり続けている人間の心持を見事なまでに言い当てています。しびれた後には、神様か悪魔に「おまえの本性はこうだろう」と指弾されたような気分になりました。

佐藤正午さんとは競輪を中心とした短編「君は誤解している」で出会い、次に「象を洗う」を読み、「永遠の1/2」「ジャンプ」「side B」も読みましたが、どうも小説よりエッセイの方が圧倒的に面白く読めました(ギャンブルが主題のものがあるせいかもしれません)。作品は長編がほとんどだけれども(エッセイを含む)短編の方がより魅力的だったようにも思いました。
「象を洗う」の続編である「豚を盗む」も出版されてすぐ買ったのですが、「面白そうな本ほど読むのが後回しになる」という癖があるので、買ってか数ヶ月後にやっと読み終わりました。1つ1つのエッセイが短編小説のようでとても楽しめました。特に「小説のヒント」がおすすめで、「十七歳」という小説もかなり出来が良かったと思います。(作者本人はあまりお気に召さなかった作品のようですが)
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火の山

2005年08月14日 | 本の感想
栗本薫さんが書いたグインサーガ102巻「火の山」(早川文庫)を読み終わりました。

私は「豹頭の仮面」がSFマガジンに連載されていたころから延々30年近くグインサーがを読んできました。最近はヒロイックファンタジーの香り高さとかおどろおどろしいムードが薄れてきているような気がして残念なのですが、それでもストーリー展開の巧みさと叙述のさえは抜群で、ほとんどの巻が読みはじめると止まらない面白さがあり、読み終わったとき「もう終わりか」と感じさせてくれます。

ヒロイックファンタジーは「剣と魔法の物語」といわれますが、グインサーガの場合、「剣」(=戦闘シーン)とか「魔法」(=魔道師や異世界の怪物が活躍するシーン)には、正直あまり魅力がありません。
グインの強さ・賢さがあまりにもスゴすぎることと、魔道師の中で最も登場場面が多いグラチウスがグインの敵ではなくて家来みたいになってしまっていることがその原因だと思います。
では、どこが面白いかというと、キャラクターが確立された登場人物の会話部分にあるような気がします。戦闘シーンとか魔道が炸裂するト書きの部分は生彩にかける(もちろん、他の作家と比較すれば高いレベルにはありますが・・・)のに対して、会話が長く続くセリフ部分の面白さが秀逸なのです。「火の山」でも、私はクライマックスの山火事からの脱出場面より、イシュトヴァーンと(亡霊と化した)アリの会話部分の方が楽しく読めました。

しかし、なんといってもグインサーガの最大の魅力は、2カ月に一冊の刊行ペースがほぼ守られ、しかもいつまでたっても終わらないことではないでしょうか。シリーズものに対する不満はたいてい、「次がなかなかでないこと」だからです。
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ルールと理屈

2005年08月13日 | Weblog
小泉総理の郵政民営化反対派への強烈な攻撃が話題となっています。

反対派がつらいのは、小泉さんが理屈の上でもルール上もまちがったことをやっていない点にあるでしょう。
解散権と閣僚の任免権は総理大臣にあるので反対する閣僚は罷免した上で解散する、
郵政民営化を問う選挙だから反対した人はこちら側から排除する(公認しない)、
反対派しかいない選挙区では選挙民が賛成の意思表示ができないから対抗馬を立てる、
自民党の公認権は総裁にある・・・等々、
何一つまともに反論できないのです。だから出てくる台詞が「あこぎだ」とか「長年の同志になぜここまで」といったものになってしまいます。
衆議院の反対派にしてみれば、自分たちの存在感が示せれば十分だったのでしょうし、参議院で(反対派にとって意外にも)否決されてもこれまでの慣例と経験に従えば解散できるはずがないと思っていたに違いありません。
しかし、これまでさんざん「変人宰相」とののしっておきながら、「できるはずがない」という願望によりかかって何の対策も考えていなかったというのはお粗末すぎます。それは民主党も同じで「総選挙になれば大勝できる」と週刊誌なみの希望的観測のみでふんぞり返っていて、いざ自民党ペースになってからあわてはじめてるところを見ると、「解散できるはずがない」と考えていたとしか思えません。

しかし、そろそろ多くの主権者は思い始めています。「少しやりすぎではないのか」と。

かつて外国資本が破綻銀行を買収した後、契約上明記されていた瑕疵担保特約を正当に行使したとき、多くの政治家、邦銀関係者、マスコミがこれを強く批判しました。ルール上も理屈の上でも保証された権限を正しく使ったとしても、この国では非難を浴びるのです。寅さんではありませんが「それをいっちゃあおしめえだ」という情緒的な反応が堂々まかり通る社会なのです。(そういう社会が悪いとか、遅れているというつもりはありません。ちなみにこのケースにおいても小泉さんは「彼らはリスクをとったのだから批判することはおかしい」といった旨のことをいっていたように思います)

最初は痛快な復讐劇に溜飲をさげていた人にも、ルールと理屈をとことんまで追及する小泉さんの姿勢が不気味なものに映りはじめているのではないでしょうか。

「彼はどこか我々とちがっている。あれではまるで異邦人ではないか」

選挙まであと1カ月あります。見事としか言いようのない手管でここまで観衆をひっぱってきた小泉さんも1カ月も彼らの興味をひきつけたままにしておくことはさすがに難しいでしょう。
何か肌にあわないといったちょっとした違和感は、投票所にいった人に「自民党」と書かせることをためらわせるような気がします。ルールと理屈(論理)を追求できる社会に変わったのかそうでないのかが、今、明らかにされようとしていると思います。
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ウォータースライドをのぼれ

2005年08月12日 | 本の感想
ドン・ウィンズロウさんが書いた「ウォータースライドをのぼれ」(東江一紀訳 創元推理文庫)を読み終わりました。

ニール・ケアリーシリーズの4作目で、約6年ぶりの新刊。
私は「ストリート・キッズ」以来の本シリーズの大ファンなので、待ちに待った刊行でした。
しかし、有体に言って「ウォータースライドをのぼれ」にはがっかりしました。そもそもこの本の主人公はニールではありませんでしたし、登場するニールはこれまでの高潔さも廉直さもなくなって所帯じみていました。
解説によると、未訳のシリーズ5作目(にして最終作)もニールの活躍を中心にすえたものではないようです。シリーズ1、2作目のような、ぬかみそくさくない、明日に希望が持てない(フリをしている)世捨て人風のニールを描いた新シリーズを書いてくれないものでしょうか。
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