落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (24)

2013-12-15 10:34:51 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (24)第3章 山鯨と海の鯨の饗宴
関東を襲った、高濃度の放射能汚染帯





 1時間ほどの釣行で2人合わせて5匹あまりを釣り上げた後、俊彦が
氷のように冷たい渓流の中で、イワナの下処理を始めます。
腹を割いて内蔵を一通り取り除いたあと、背骨に沿って黒く残る血合い部分も
爪の先を使って、丁寧にえぐり落とします。
最後に両サイドについている赤いエラの部分を取り除けば、鮮度を保つための
イワナの下処理は終わりです。


 「現役の調理人と一緒に釣りに来ると、何も言わなくても、
 的確な下処理をこなしてくれるから大助かりだ。
 それにしても、このあたりは、すこぶるすごい光景だな」


 「ありきたりに、残雪が横たわっているただの春先の渓流だ。
 珍しいことではないし、暖かくなるまでは、普通にこんな景色ばかりが続くさ。
 なにがそんなに、凄いことなんだ」


 「いや。数年前までなら、どうということのない只の春先の光景だ。
 だが雪の下には、いまだに大地や枯葉の中に、大量にセシウムが溜まっているはずだ。
 雪解けとともに、再びそいつらが溶け出して、渓流の水の中を流れ始めることになる。
 それを考えたら、急に、背筋が寒くなってきた」



 「それは確かに言えるだろう。
 この川も、群馬と栃木の県境から足尾町までの上流部分で、渓流魚の採取を自粛中だ。
 足尾町の渡良瀬川で採取をしたイワナとヤマメから、国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)
 を上回る、最大170ベクレルの放射性セシウムが検出されたためだ。
 地震が発生をした年の8月に、文部科学省が航空機を使って測定した放射性セシウムの蓄積量の
 調査の結果から、このあたり一帯の汚染マップも明らかにされた」

 
 「東京電力福島第一原発事故によって飛散した放射能汚染の帯が、
 250キロを超えて広がっていることが分かったという、例の、あの報告書のことだろう」



 「半年近くも経ってからの公表には、驚いたし、複雑なものがある。
 政府と東電の隠蔽体質ぶりには辟易とするが、被害の範囲は思った以上に広範囲だ。
 汚染度の高い地域の帯は、原発から北西の60キロ付近まで延びた後、
 風に乗って南西方向に向きを変えてから、栃木県を越えて群馬県まで伸びてきた。
 放射性物質を大量に含んだ雲が、山地に沿って風に乗って運ばれてきたためだ。
 その放射性物質のほとんどが樹木や雨の影響などにより、地上に沈着したと推測ができる。
 放射性物質の量が半分となる半減期が30年の、セシウム137で
 最も蓄積が多かったのは、群馬県独自の調査でもここと北部の一帯とされている。
 福島第一原発から約180キロ離れた、みどり市や桐生市などの山間の一部で、
 1平方メートルあたり、10万~30万ベクレルを記録した。
 さらに、250キロ余りも離れた長野県境の一部でも、3万ベクレルを超えていたそうだ。
 全世界を震撼させた、あのチェルノブイリ原発事故では、3万7千ベクレル以上が
 「汚染地域」に指定され、永久的な立ち入り禁止区域にされている」



 文部科学省は3.11の福島第一原発の事故以降、土壌に蓄積された放射性セシウムの
汚染マップを県単位で、重い腰を上げてようやく次々と公表をしはじめました。
栃木や群馬といった北関東での汚染状況を明らかにしたあと、2011年10月7日付けで
初めて、東京都と神奈川県の汚染マップについても明らかにしました。
この発表の以前に、すでに3.11以降、都内においても葛飾区柴又や江戸川区北小岩の一部で、
3万~6万ベクレルと、周囲よりも高い放射能汚染地域が確認されています。



 10月7日付けのこの発表によれば、多摩地区は※チェルノブイリ原発事故が起きたさいの、
汚染地域とされた基準値を、実は、はるかに上回っています。
奥多摩町などの多摩地区で、10万~30万ベクレル。
隣接している神奈川県山北町などの県西部の一部でも、6万~10万ベクレルが検出されています。
奥多摩といえば、東京都における自然の宝庫と呼ばれており、いまだに瓦葺の家が存在し、
豊かな緑と自然に囲まれ、水や空気も美味しくこれが本当に東京なのかと目を疑うような、
きわめて貴重といえる地域です。

 福島から、栃木や群馬、さらに奥多摩から神奈川県を経由しながら、
徐々に広がり続けている放射能の飛散状況マップを見ていると、皮肉なことに放射能は
自然の宝庫である山間部を、次々と通過をしながらその汚染地帯をひろげています。
これらの地域にある農産物などに、今後大きなダメージが浸透していくことは
誰が見ても、火を見るよりも明らかです。
しかし放射能の汚染事故から約2年。政府も東電も、その後の放射能汚染の実態については
口を固く閉ざしたまま、多くを語ろうとしていません。


 

 ※チェルノブイリ原発事故
 1986年4月26日。ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が
 爆発炎上して、周囲へ大量の放射能をまきちらしました。
 原子炉から半径30kmの範囲や、300kmもはなれた高汚染地域が永久に居住禁止とされ、
 500以上の村や町が消え、40万の人びとが故郷を失っています。
 放出された大量の放射能のために、大人や子どもたちにもガンや白血病などの病気が
 多発し、25年以上が経過をした今日でも、そうした状況はいまだに続いたままです。





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