東京電力集金人 (70)放射能の飛散マップ
東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンにより、一気に大気中に放出された
放射性物質は、その日のうちに200キロ圏にある群馬県にまで到達している。
その後の調査において一部の地域から、国の除染基準をはるかに上回る高い放射線量が確認されている。
これらの地域では、生活圏から放射性物質を取り除くことが緊急の課題になっている。
事故から2年後のこと。
群馬大学に籍を置く早川由起夫教授が、放射能汚染地図の最新版をネット上で公開した。
早川教授は火山学の専門家だ。噴火に伴う火山ガスや火山灰の拡散理論を応用して、
放射能の拡散状況を、詳細に分析した。
それによれば福島第一原発から漏れ出た放射能は、3月12日から23日までの間、
4回にわたり、大きく、3方向へ放射能雲として流れ出たことが明らかになった。
3月12日の夜。風に乗って北へ向かった放射能雲は、数時間後には一関市に到達し、
さらに21時には、南相馬市の上空を通過している。
いっぽう南に向かった放射能雲は、3月15日の午前中、すでに東京へ到達している。
午前4時に茨城県のいわき市を通過して、さらに南下を続けたきたものだ。
茨城県内で流れが枝分かれして10時半には宇都宮市、14時には郡山市にまで達している。
このときに枝分かれした放射能雲が、もうひとつある。
12時に群馬県の前橋市に達したあと、夕刻以降に軽井沢町と沼田市にまで到達している。
3月15日の夕方。北西に向かって特別に濃い放射能雲が流れ出た。
これが福島県にとって、悪魔の風と放射能になる。
近隣の飯舘村には、きわめて深刻な汚染状態をもたらす。
この放射能雲は19時には福島市、20時半には、郡山市に達している。
さらに白河の関を越え栃木県内にまで侵入し、那須と日光の山々に到達をしている。
3月21日から23日にかけて、放射能雲が南に向かって動き出した。
21日の午前6時、水戸市を通過した濃厚な放射能雲は、9時には東京新宿の上空に達している。
この3日間。関東地方では連日、強い雨が断続的に降っている。
この雨の影響により、千葉県東葛地方で汚染のホットスポットが誕生している。
このときに誕生したと思われる放射能のホットスポットの形状と汚染範囲の大きさは、
放射能雲の濃度と、その時に降った雨の強さによってもたらされたと言う。
放射能雲のルートと流れたタイミングは、福島原発で起こった爆発日時とは
必ずしも合致をしていない。
1号機は、3月12日15時36分に爆発し、3号機は3月14日11時01分に爆発をしている。
早川教授によれば、福島原発から大量の放射性物質が漏れ出したのは、こうした爆発の瞬間ではなく、
爆発からしばらく時間を置いてから、原発建屋から音もなく静かに漏れ出したと言っている。
危険きわまるこうした放射能雲の流れを、当時、だれが理解をしていたことだろうか。
放射能雲が上空を漂う中、子どもたちはいつものように学校へ通っていた。
お彼岸の雨に当たりながら、帰りを急ぐ子どもたちもいたはずだ。
今から思えば、あの時に避難や屋内退避などの対策がきちんととれていれば、多くの人が
余分な被曝を受けずにすんだと思われる。
国が所有していた拡散予測システム「SPEEDI」は、こうした放射能雲の危険な流れと
ひろがりの様子を、初期の段階から完全な形で把握している。
残念なことに最新鋭の「SPEEDI」が予測したこのデーターは、早い段階で公表をされていない。
当時の政権と、原発の事故対応に当たった政府機関が、公開にストップをかけたためだ。
それもいまとなっては、だれも責任を取らないまま、あやふやにされてしまった問題のひとつだ。
「テレビを通して被災地のすべての様子が放映されたように見えるが、
実は公開されたのは、まったくの氷山の一角だ。
報道できない最悪の画像や、視聴者には絶対に見せたくない映像がほんとは山のように有る。
それだけじゃない。福島第一原発の事故にも同じことが言える。
どこにどれだけ放射能が降ったのかを、いまだに国は明らかにしてはいない。
おおくの放射能が広大な山間部の一帯や、人の少ない山里に降ったためだ。
民間の研究機関がいろいろな角度から検証をしているが、事実を知っている東電と政府は、
相変わらず、データーを明らかにしょうとしていない。
それほどまでに福島第一原発のメルトダウンは、実は、深刻だったということだ」
ぐいっと日本酒を飲み干した杉原医師が、もう一杯注げと岡本に盃を差し出す。
「実際、放射能との本当のたたかいは、いま、始まったばかりだ。
一日に400トンのペースで増える高濃度汚染水との格闘は、おそらく10年以上は続くだろう。
福島を中心とする被爆の実態は、今後、10数年をかけて研究をしていくことになる。
環境の変化にすこぶる敏感に反応するホタルは、3.11で、なんらかの影響を受けた。
2011年のホタルは、そのせいで数が少なかったような気もする。
まさか放射能の影響のせいじゃないだろうなと、岡本と酒を飲みながら笑っていたが、
翌年の2012年になると、今度は、一匹も光らなくなった。
驚いて川原へ飛んでいったが、幼虫の餌になるカワニラは、いつものように川に居た。
幼虫のままのやつや、成虫になったホタルの姿はいつものように目の前に有った。
だが、川から上がった成虫が発光をしない。
いったい何が起こったんだと、岡本と顔を見合わせて絶句したことを、
今でも俺は、鮮明に覚えている」
(71)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンにより、一気に大気中に放出された
放射性物質は、その日のうちに200キロ圏にある群馬県にまで到達している。
その後の調査において一部の地域から、国の除染基準をはるかに上回る高い放射線量が確認されている。
これらの地域では、生活圏から放射性物質を取り除くことが緊急の課題になっている。
事故から2年後のこと。
群馬大学に籍を置く早川由起夫教授が、放射能汚染地図の最新版をネット上で公開した。
早川教授は火山学の専門家だ。噴火に伴う火山ガスや火山灰の拡散理論を応用して、
放射能の拡散状況を、詳細に分析した。
それによれば福島第一原発から漏れ出た放射能は、3月12日から23日までの間、
4回にわたり、大きく、3方向へ放射能雲として流れ出たことが明らかになった。
3月12日の夜。風に乗って北へ向かった放射能雲は、数時間後には一関市に到達し、
さらに21時には、南相馬市の上空を通過している。
いっぽう南に向かった放射能雲は、3月15日の午前中、すでに東京へ到達している。
午前4時に茨城県のいわき市を通過して、さらに南下を続けたきたものだ。
茨城県内で流れが枝分かれして10時半には宇都宮市、14時には郡山市にまで達している。
このときに枝分かれした放射能雲が、もうひとつある。
12時に群馬県の前橋市に達したあと、夕刻以降に軽井沢町と沼田市にまで到達している。
3月15日の夕方。北西に向かって特別に濃い放射能雲が流れ出た。
これが福島県にとって、悪魔の風と放射能になる。
近隣の飯舘村には、きわめて深刻な汚染状態をもたらす。
この放射能雲は19時には福島市、20時半には、郡山市に達している。
さらに白河の関を越え栃木県内にまで侵入し、那須と日光の山々に到達をしている。
3月21日から23日にかけて、放射能雲が南に向かって動き出した。
21日の午前6時、水戸市を通過した濃厚な放射能雲は、9時には東京新宿の上空に達している。
この3日間。関東地方では連日、強い雨が断続的に降っている。
この雨の影響により、千葉県東葛地方で汚染のホットスポットが誕生している。
このときに誕生したと思われる放射能のホットスポットの形状と汚染範囲の大きさは、
放射能雲の濃度と、その時に降った雨の強さによってもたらされたと言う。
放射能雲のルートと流れたタイミングは、福島原発で起こった爆発日時とは
必ずしも合致をしていない。
1号機は、3月12日15時36分に爆発し、3号機は3月14日11時01分に爆発をしている。
早川教授によれば、福島原発から大量の放射性物質が漏れ出したのは、こうした爆発の瞬間ではなく、
爆発からしばらく時間を置いてから、原発建屋から音もなく静かに漏れ出したと言っている。
危険きわまるこうした放射能雲の流れを、当時、だれが理解をしていたことだろうか。
放射能雲が上空を漂う中、子どもたちはいつものように学校へ通っていた。
お彼岸の雨に当たりながら、帰りを急ぐ子どもたちもいたはずだ。
今から思えば、あの時に避難や屋内退避などの対策がきちんととれていれば、多くの人が
余分な被曝を受けずにすんだと思われる。
国が所有していた拡散予測システム「SPEEDI」は、こうした放射能雲の危険な流れと
ひろがりの様子を、初期の段階から完全な形で把握している。
残念なことに最新鋭の「SPEEDI」が予測したこのデーターは、早い段階で公表をされていない。
当時の政権と、原発の事故対応に当たった政府機関が、公開にストップをかけたためだ。
それもいまとなっては、だれも責任を取らないまま、あやふやにされてしまった問題のひとつだ。
「テレビを通して被災地のすべての様子が放映されたように見えるが、
実は公開されたのは、まったくの氷山の一角だ。
報道できない最悪の画像や、視聴者には絶対に見せたくない映像がほんとは山のように有る。
それだけじゃない。福島第一原発の事故にも同じことが言える。
どこにどれだけ放射能が降ったのかを、いまだに国は明らかにしてはいない。
おおくの放射能が広大な山間部の一帯や、人の少ない山里に降ったためだ。
民間の研究機関がいろいろな角度から検証をしているが、事実を知っている東電と政府は、
相変わらず、データーを明らかにしょうとしていない。
それほどまでに福島第一原発のメルトダウンは、実は、深刻だったということだ」
ぐいっと日本酒を飲み干した杉原医師が、もう一杯注げと岡本に盃を差し出す。
「実際、放射能との本当のたたかいは、いま、始まったばかりだ。
一日に400トンのペースで増える高濃度汚染水との格闘は、おそらく10年以上は続くだろう。
福島を中心とする被爆の実態は、今後、10数年をかけて研究をしていくことになる。
環境の変化にすこぶる敏感に反応するホタルは、3.11で、なんらかの影響を受けた。
2011年のホタルは、そのせいで数が少なかったような気もする。
まさか放射能の影響のせいじゃないだろうなと、岡本と酒を飲みながら笑っていたが、
翌年の2012年になると、今度は、一匹も光らなくなった。
驚いて川原へ飛んでいったが、幼虫の餌になるカワニラは、いつものように川に居た。
幼虫のままのやつや、成虫になったホタルの姿はいつものように目の前に有った。
だが、川から上がった成虫が発光をしない。
いったい何が起こったんだと、岡本と顔を見合わせて絶句したことを、
今でも俺は、鮮明に覚えている」
(71)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ