落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (94)旅立ちの朝

2014-09-30 13:32:11 | 現代小説
東京電力集金人 (94)旅立ちの朝



 翌日の朝6時。ラインの着信音が鳴った。
「予定通り、これから佐渡に向かって出発します」と、おふくろが書き送って来た。
あわてて飛び起き、窓から駐車場を見下ろした。
旅姿を整えた中年の5人組が岡本組長のワンボックスへ乗り込む寸前だった。


 すかさず「ご無事で」とるみが返事を返し、ガラス越しに駐車場に向かって手を振る。
事故防止のためなのか。はたまた空調費を節約するためなのか、最近のホテルの窓は、
簡単には開かない構造になっている。
頭上の人影に気ずいたおふくろが、メールを一読した後、「あんたたちもね」と口を動かし、
ゆっくりと手を振りながら、ワンボックスの中に消えていった。



 駐車場をくるりと旋回したワンボックスは、ホテルの前を静かに通り過ぎる。
松島湾へ降りていく坂道を、クンと加速を加えながら俺たちの視界から遠ざかっていく。
「行っちまったぞ。不良中年どもが」と、ワンボックスの後姿を見送っていると、
「何言ってんの。悪口を言うとバチが当たるわよ。みんなから、たくさん愛されているくせに」
うふふとるみが、意味有りそうに鼻にかけて笑う。


 「みんなから愛されている?。俺が?。なんだよ。どういう意味だ、それ」



 「あなたの顔を見るために、わざわざ松島までやって来たのよ、あの人たちは。
 お母さんから、本気で旅立つのは初めてなんですって、太一は。
 親離れと子離れの時期がやってきたんだろうね、てお母さんが愚痴をこぼしていました。
 頼りない子だけど、面倒見て下さいねと、あらためて挨拶をされてしまいました」


 「なんだよ。そんなことを君に言うために、わざわざやって来たのか、おふくろのやつは。
 まるで息子を婿に出すかのような、口ぶりだな。
 待てよ。ということは俺が東北で暮らし始める可能性を、予見していたということになる。
 旅立とうとする男を、子ども扱いするとはおふくろも大人げないな。まったくぅ」


 「ここまでわざわざやって来たのには、別の意味もあるようです。
 東北の復興の様子をご自分の目で、確かめたていきたいと言っていました。
 途中で私が生まれた浪江町に寄り、いまの様子をつぶさに見ていってくれるそうです。
 実家の所在地と、月の輪酒造の場所も地図で教えてておきました」


 「ますます、婿の嫁ぎ先の様子を確認に来た母親みたいな行動ぶりだな、おふくろときたら。
 これっきり群馬に帰らないわけでもあるまいし。
 いいかげんで、子離れをしてほしいもんだぜ。まったくもって」


 「あら。聞き捨てならない発言ですねぇ。
 ということは太一はもう、東北で私と暮らしていくと決めたのかしら。もしかして」



 くるりと背中側から回り込んできたるみが、嬉しそうに俺の顔を見上げる。
東北で生きていこうと、すでに決めたわけではない。
だが俺は、おそらくこの先を、目に見えない放射能と長くたたかわなければならない
東北の地で、暮らしていくことになるだろうと、漠然とだが感じはじめている。


 手始めに岡本組長が持っている人材派遣業の様子を見に行く必要がある、と考えている。
見知らぬ土地に腰を据えるためには、まず、生活の基盤を固める必要がある。
岡本組長からは、福島にある俺の人材派遣業を引き継げと、何度もしつこく説得されている。
たまたまの話題のひとつとして聞いてきただけで、現実問題として受け止めたことは
一度もなかった。



 だがそれがいま、にわかに現実味を帯びてきた。
いや。被災地の様子を、直にこの目で確認し始めた瞬間から、俺のこころが揺れ始めた。
被災から丸3年が経つというのに、放射能とのたたかいはまだまだ始まったばかりの状態だ。
福島第一原発の廃炉は、順調にすすんでも40年はかかるだろうと言われている。


 だが40年と言う数字には、技術的に未解決な問題も含まれていうため、
あくまでも暫定的な見通しに過ぎない。
核物質の安全な廃棄までのことも含めて考えれば、完全廃棄まであと何十年かかるか、
だれにも計算が出来ないというのが、本音だろう



 しかし、るみが健康に生きていきていくためには、ここが必要だろうと俺は考えている。
「まるで智恵子抄みたいな展開だな」そんな言葉が、思わずポツリと口からこぼれ出た。
「なぁに、智恵子抄って?。もしかして、智恵子は東京に空がないと言うあの智恵子抄のこと?」
とるみが不思議そうな顔で、下から俺を見上げる。



 「智恵子は東京に空がないと言ふ。ほんとの空が見たいと言ふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは、うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が、智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 私も大好きなの、高村幸太郎の智恵子の詩は」


 ゆっくりと暗唱するるみの顔に、いつものあのあどけない笑顔が戻ってきた。
やはり故郷の空気が、るみのこころの中をのびのぼと開放させるのだろう。
今日のるみはいつになく、生き生きとして輝いている。


 ※智恵子は、明治19年に福島県二本松町(現在は市)で生まれる。
  日本女子大学校家政科に入学後、洋画に興味を持つ。卒業後も東京にとどまり
 油絵を学び、その一方で女子思想運動にも参加する。
 その後、高村光太郎と知り合い、大正3年に結婚する。※



 (最終話)に続く

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