落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (90)美しい景色へ

2014-09-25 12:13:03 | 現代小説
東京電力集金人 (90)美しい景色へ



 大津波から必死で逃げ回ったあの日のことを、思い出したのだろうか、
るみが、焦点の合わない遠い目をしている。
漁港からここまで続いている緩い坂道を、複雑な想いで見下ろしている。
女将さんとともに、年寄りの手を引いて必死で駆け上がった、あの日の坂道と階段だ。


 遠い記憶を、確かなものとして甦らせようとしているのが、よくわかる。
「大丈夫か?、るみ」と問いかけても、反応の様子に、すこぶる鈍いものがある。
「え?」とるみは反応をみせたが、瞳は、あの日の記憶の中にいまだに埋没をしている。


 「辛いことを思い出したんじゃないのか?。あまり無理をしないほうがいい」


 「すっかり忘れたと思っていたのに、やっぱり、此処まで来たら、
 あの日の記憶が、少しずつだけどよみがえって来たわ。
 あの日起こった良いことも、悪いことも、全部そのまま包み隠さずに・・・」


 
 高台の駐車場から、請戸漁港のすべてを見下ろすことが出来る。
手つかずのまま放置されたあの日から、3年あまり。
港の周辺にはいまも、打ち上げられたままの漁船が、無残な姿で横たわっている。


 そんななか、北側にある塩地区には、町内から集めてきた被災がれきの仮置き場が見える。
国はここに仮設の焼却炉を作ろうとしている。
来年7月から、本格的に焼却をはじめていく予定をたてている。

 浪江町には、推定で17万8000トンの災害廃棄物がある。
倒壊家屋なども含めると、震災で出たがれきの総量は、28万9000トンを上回る。
これまでに焼却前の選別を終えた量は、わずか4万トン。
ここはまだ復興どころか、ようやく、震災がれきの撤去が始まったばかりの町だ。



 「美しいものが、見たいわね」と、るみが意外な言葉を口にした。
「美しいもの?なんだいそれ」意味が良く分からないがと、俺が、いぶかって見せる。
「ここまで見てきたものは、痛々しいあの日の痕跡ばかり。
あの日のままだろうということは、来る前からわかっていたけど、さすがに私の心が痛んできた。
貴方だって見たいでしょ。災害に負けず、見事に復興をみせた、東北の姿が」
行きましょう、とるみが、漁港の赤茶けた風景に背中を向ける。


 車に戻ったるみが、何のためらいも見せず運転席のドアを開ける。
「ここから先は、わたしが運転します」と、ニコリと笑う。
「よそ者のあんたより、ここで生まれ育った私のほうが、絶対的に地理には詳しいもの。
私がハンドルを握るのは当然でしょ」と、ようやくいつもの笑顔を見せる。


 「で。美しい場所って、いったいどこへ案内してくれるつもりだい、君は」


 「着いてのお楽しみ。
 と言いたいところですが、早速ですが、ナビで検索をしてくださるかしら。
 スタート点はここの請戸漁港。
 ゴールの地点は、松島海岸駅でお願いします」



 請戸漁港はいま居る地点だ。
松島海岸駅というのは、仙台市の松島海岸のことだろう。
先輩のナビは、駅の名前を入れたほうが検索が早い。検索の結果は、あっという間に出た。
出発地は、福島県双葉郡浪江町請戸北久保という、いま車が停まっているこの地点だ。
到着地の松島海岸駅は、宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜と住所も出た。


 総距離が116.93km。
高速道路は使わずに、海岸沿いを北上していくルートが提示された。
推定所要時間は244分。およそ4時間ほどかかるドライブだ。
ルート図が出来てきたが、驚いたことに最初の10キロが「警戒区域内」のグレーゾーン
として、地図に表示されてきた。
そういえば国道の検問所を越えたあたりから、カーナビの案内が不安定になった。


 警戒区域内の国道の脇には、びっしりと短管のバリケードが立ち並んでいる。
こうしたバリケード柵の存在を、車に搭載したカーナビは、まったく表示をしない。
小さ過ぎる障害物のため表示しないのだろうと勝手に受け止めてきたが、グレーゾーンという
表示を見て、はじめてここが地図の上でも存在しない区域で有ることを、
あらためて、ようやくのことで実感をした。



 だがるみはもう、沈痛な表情をしていない。
「行くわよ」と口にした瞬間、笑顔を見せて車を元気にスタートさせた。
理由は簡単なことだ。カーナビがグレーゾーンとして順路の表示などをしなくても、
ここはるみが生まれて育った町だ。
幹線道路どころか、生活道路の狭い道まで、すべてをるみは知り尽くしている。
たしかにこの先は、地元を知り尽くしたるみの運転のほうが安全だ・・・
そう思った瞬間。
はやくもるみは狭い通りに飛び込んで、北に向かって軽快に走り始めた。


(注・短管とは 建築工事で用いられる機材の一種。 単管パイプの略。
        建築現場などで作業をするための足場用資材として利用されることが多い)



(91)へつづく

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