東京電力集金人 (77)広野から北へ
現在の常磐道の終点は、常磐富岡ICだ。
この先は警戒区域内にあたるため、工事の完成は数年先に据え置かれている。
俺たちは、ひとつ手前の童謡の町・広野のICで一般道へ降りた。
警戒区域の最南端の町・広野町へは電車でも行くことができる。
茨城県の「いわき駅」から常磐線を北上し、仙台まで行くことができたが、
現在は「広野駅」が終点になっている。
そこから北へ進むことは出来ない。
20キロ圏の警戒区域内にあたるため、線路は続いているが運転はここで中断をされている。
国道6号線も同様に、許可がないと「広野」から北へは行くことができない。
広野町は、福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外側に位置している。
町内には東京電力の広野火力発電所、1~5号機がある。
3月11日に発生した福島第一原発の事故で、全域が緊急時避難準備区域に指定をされた。
すべての町民が避難を余儀なくされたという、苦い経緯を持っている。
原発が広野の町内に存在していないのにもかかわらず、2011年3月11日以降は、
事故収束のための最前線の町に様相を変えた。
最北部に位置しているサッカー施設「Jヴィレッジ」が、東京電力や自衛隊の
前線基地になり、全国各地から廃炉や除染のための作業員たちが、ここ広野町に
ぞくぞくと集まってきた。
住民票を持たないまま、町で暮らしている作業員たちは、およそ2600人。
住民票を持つ5200人の町民のうち、町に戻ったのは、1350人(2014年2月25日現在)。
広野町で暮らす作業員たちの数は、町民の2倍近くまで増えている。
全町民の強制避難が実施された広野町だが、2012年3月31日、
国の一方的な判断により、避難指示が解除された。
双葉郡の9町村のトップを切って、町役場が、1年ぶりに広野の町へ帰ってきた。
行政は帰って来たものの、町民の帰還の足はすこぶる鈍い。
町へ戻って来た町民の数は、全盛時のわずか4分の1に過ぎない。
全町民帰還の夢は、いまだに不透明のままだ・・・
「住民が住む仮設には見えないな。あの、ごついプレハブの建物群は・・・」
「住民のものじゃないわ。復興関連の人たちが泊まるための、プレハブの宿舎よ」
広野町を拠点に、業務を行っている復興関連企業の数は80社。
内訳は、東京電力の原発・火力発電所の関連が30社。除染関連の業者が18社。
警備やリース、道路工事などにあたる関連企業が全部で32社。
これらの企業に務める2600人のうち、900人は町内の民宿やホテルを利用している。
残りの1700人が、企業が用意したプレハブ宿舎や、住民から借り上げた一般の住宅で
寝泊まりをしている。
「おびただしい数のプレハブが、復興の実情を良く表しているわ。
見たでしょう。広野町のあちこちに、にょきにょきと立ち並んでいるプレハブの建物を。
ここはかつては、童謡の町と呼ばれた温暖な町なのよ。
でもいまは、復興と、原発終息のための最前線の町に表情を変えているわ。
でもね、これが事実なのよ、東北の。
と言っても、まだ此処は、そのほんの入り口に過ぎないけどね」
流れていく町の景色を見つめているるみが、静かに、そんな言葉を吐き捨てる。
浪江町で生まれたるみや、ボランティアのために東北3県へ足を運んでくる先輩たちから
すれば、こうした光景はおそらく日常的に見慣れてきた光景なのだろう。
だが俺の眼から見れば、これはどうにも非日常的な、異様な光景としか見えない。
国道6号線をさらに原発に向かって走っていくと、何故か道路が混み始めてきた。
東京方面に向かう上りの車線はがらがらなのに、北へ向かう下り車線だけが異様に混んでいる。
「原発の作業に向かう車です」と助手席からるみが、素っ気なく答える。
「停めて」とるみに言われ、あわてて車を停めたのは、広野の町役場の建物の前だった。
役場は全町民非難のために、一時的にいわき市に移転していたが、
2012年の3月に、避難した自治体のトップを切って、ふたたび此処の地へ戻ってきた。
移転を余儀なくされた9つの町村の中で、最も早い行政の帰還だ。
だがこの時点で広野町に住んでいた住民の数は、わずかに、たったの250人。
先頭を切り、役場は元の場所に戻ってきたが、夜になると役場に勤めている職員たちも、
町外にあるそれぞれの宿舎や、仮設住宅のあるいわき市へ戻っていく。
行政のよるただのパフォーマンスかもしれないな・・・・そんな想いをかみしめながら
俺たちの車は、町役場を後にする。
前方に、「二ツ沼総合公園」の大きな看板が見えてきた。
パークゴルフ場や体育館などを備えている、広大な敷地を誇る地元の公園だ。
だが、門は固く閉じられている。
園内の空地には、プレハブの建物が何棟も並んでいる。
原発関連作業を請け負っているゼネコンの事務所と、兼用で使われている宿舎の群れだ。
研修室を備えた温室にも、ゼネコンの大きな看板がかかっている。
マスクをした作業員たちが、頻繁に事務所から出入りしている。
公園の駐車場は、どこもかしこも満杯だ。
除染用と思われる給水車や、ほうきを積んだワゴン車なども見える。
その前を、白い防護服を着た作業員の一団が、のそのそと歩いて行く・・・
「廃炉を進めるための、最前線の町よ。ここは」と言い捨てたるみのひとことを、
瞬間的に、身体で理解をした一瞬だった。
(78)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
現在の常磐道の終点は、常磐富岡ICだ。
この先は警戒区域内にあたるため、工事の完成は数年先に据え置かれている。
俺たちは、ひとつ手前の童謡の町・広野のICで一般道へ降りた。
警戒区域の最南端の町・広野町へは電車でも行くことができる。
茨城県の「いわき駅」から常磐線を北上し、仙台まで行くことができたが、
現在は「広野駅」が終点になっている。
そこから北へ進むことは出来ない。
20キロ圏の警戒区域内にあたるため、線路は続いているが運転はここで中断をされている。
国道6号線も同様に、許可がないと「広野」から北へは行くことができない。
広野町は、福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外側に位置している。
町内には東京電力の広野火力発電所、1~5号機がある。
3月11日に発生した福島第一原発の事故で、全域が緊急時避難準備区域に指定をされた。
すべての町民が避難を余儀なくされたという、苦い経緯を持っている。
原発が広野の町内に存在していないのにもかかわらず、2011年3月11日以降は、
事故収束のための最前線の町に様相を変えた。
最北部に位置しているサッカー施設「Jヴィレッジ」が、東京電力や自衛隊の
前線基地になり、全国各地から廃炉や除染のための作業員たちが、ここ広野町に
ぞくぞくと集まってきた。
住民票を持たないまま、町で暮らしている作業員たちは、およそ2600人。
住民票を持つ5200人の町民のうち、町に戻ったのは、1350人(2014年2月25日現在)。
広野町で暮らす作業員たちの数は、町民の2倍近くまで増えている。
全町民の強制避難が実施された広野町だが、2012年3月31日、
国の一方的な判断により、避難指示が解除された。
双葉郡の9町村のトップを切って、町役場が、1年ぶりに広野の町へ帰ってきた。
行政は帰って来たものの、町民の帰還の足はすこぶる鈍い。
町へ戻って来た町民の数は、全盛時のわずか4分の1に過ぎない。
全町民帰還の夢は、いまだに不透明のままだ・・・
「住民が住む仮設には見えないな。あの、ごついプレハブの建物群は・・・」
「住民のものじゃないわ。復興関連の人たちが泊まるための、プレハブの宿舎よ」
広野町を拠点に、業務を行っている復興関連企業の数は80社。
内訳は、東京電力の原発・火力発電所の関連が30社。除染関連の業者が18社。
警備やリース、道路工事などにあたる関連企業が全部で32社。
これらの企業に務める2600人のうち、900人は町内の民宿やホテルを利用している。
残りの1700人が、企業が用意したプレハブ宿舎や、住民から借り上げた一般の住宅で
寝泊まりをしている。
「おびただしい数のプレハブが、復興の実情を良く表しているわ。
見たでしょう。広野町のあちこちに、にょきにょきと立ち並んでいるプレハブの建物を。
ここはかつては、童謡の町と呼ばれた温暖な町なのよ。
でもいまは、復興と、原発終息のための最前線の町に表情を変えているわ。
でもね、これが事実なのよ、東北の。
と言っても、まだ此処は、そのほんの入り口に過ぎないけどね」
流れていく町の景色を見つめているるみが、静かに、そんな言葉を吐き捨てる。
浪江町で生まれたるみや、ボランティアのために東北3県へ足を運んでくる先輩たちから
すれば、こうした光景はおそらく日常的に見慣れてきた光景なのだろう。
だが俺の眼から見れば、これはどうにも非日常的な、異様な光景としか見えない。
国道6号線をさらに原発に向かって走っていくと、何故か道路が混み始めてきた。
東京方面に向かう上りの車線はがらがらなのに、北へ向かう下り車線だけが異様に混んでいる。
「原発の作業に向かう車です」と助手席からるみが、素っ気なく答える。
「停めて」とるみに言われ、あわてて車を停めたのは、広野の町役場の建物の前だった。
役場は全町民非難のために、一時的にいわき市に移転していたが、
2012年の3月に、避難した自治体のトップを切って、ふたたび此処の地へ戻ってきた。
移転を余儀なくされた9つの町村の中で、最も早い行政の帰還だ。
だがこの時点で広野町に住んでいた住民の数は、わずかに、たったの250人。
先頭を切り、役場は元の場所に戻ってきたが、夜になると役場に勤めている職員たちも、
町外にあるそれぞれの宿舎や、仮設住宅のあるいわき市へ戻っていく。
行政のよるただのパフォーマンスかもしれないな・・・・そんな想いをかみしめながら
俺たちの車は、町役場を後にする。
前方に、「二ツ沼総合公園」の大きな看板が見えてきた。
パークゴルフ場や体育館などを備えている、広大な敷地を誇る地元の公園だ。
だが、門は固く閉じられている。
園内の空地には、プレハブの建物が何棟も並んでいる。
原発関連作業を請け負っているゼネコンの事務所と、兼用で使われている宿舎の群れだ。
研修室を備えた温室にも、ゼネコンの大きな看板がかかっている。
マスクをした作業員たちが、頻繁に事務所から出入りしている。
公園の駐車場は、どこもかしこも満杯だ。
除染用と思われる給水車や、ほうきを積んだワゴン車なども見える。
その前を、白い防護服を着た作業員の一団が、のそのそと歩いて行く・・・
「廃炉を進めるための、最前線の町よ。ここは」と言い捨てたるみのひとことを、
瞬間的に、身体で理解をした一瞬だった。
(78)へつづく
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