落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (85)浪江町へ入る

2014-09-18 12:37:24 | 現代小説
東京電力集金人 (85)浪江町へ入る




 双葉町の出口でふたたびスクリーニング検査を受けた後、車は、俺たちの旅の目的地、
浪江町の入り口にさしかかる。
町に入るためには厳重に設置されているゲートで、通行許可書を提示する必要がある。
群馬ナンバーであることにまず、疑問の目が向けられた。
だがここでもるみの住所が、浪江町であることが功を奏した。
「本籍地は、居住制限区域ですか。充分に気をつけて走行してください」と
係官に見送られ、俺たちは無事に町の中へ入ることが出来た。


 福島第1原発から直線で9キロに立地している浪江町は、町内のほとんどが
「帰還困難区域」と「居住制限区域」の2つに区分されている。



 帰還困難区域とは、「5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを
下回らないおそれがあり、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルトを越えている
危険な地域」のことだ。
要するに、当分の間、人は住めませんと宣言されたようなものだ。
浪江町の場合、8割近くがこの「帰還困難区域」に該当している。
避難したままいまだに仮設や避難先で暮らしている住民の数は、およそ2万1000人にのぼる。


  昨年の7月。日中の7時間だけに限り、町中へ立入りすることが許可された。
これを受けて浪江町の副町長は避難先から週3回、町役場へ通っている。
同じように、浪江町のなかでも比較的、放射線量が低い場所にある役場には34人の職員が
避難先から通いながら、町民の帰還と町復興のための準備を進めている。

 だが実際には、浪江町のほとんどの区域が帰還困難区域に指定されているため、
自由に立ち入れる区域は、大幅に限られている。
原発から10キロ圏内にある請戸地区は、あの日、大きな被害を受けた地区のひとつだ。
津波で失われた33人の行方が、今も判明していない。
原発事故ため漁港周辺での捜索が、1カ月以上も遅延したことが大きな原因だ。



 「右へ曲がって」


 るみに促され、漁港が有るはずの方向へハンドルを切っていく。
るみが最初に見たいと言ったのは、請戸(うけど)漁港に近く、海沿いに残されている
はずの、酒蔵、月の輪酒造の建物だ。
高校を卒業したばかりのるみは、杜氏でもあるここの美人女将に憧れて、酒蔵の門を叩いた。
酒に関してまったく無知識のるみを、女将は優しい眼差しで迎え入れてくれたという。
「女が杜氏になるのは、大変なこと。ましてや古くからの伝統や格式にうるさい世界です。
それでもよければ、ここで修業しなさい。わたしのことをお母さんだと思って」と女将が、
優しくほほ笑んでくれたことが力になったという。


 「建物が残っていると、いいんだけど」、助手席からるみが身体を前方に乗り出す。
目の前の視界が開け、太平洋の大海原が広がってきた。
漁港の建物を中心に、商店や住宅が立ち並んでいたはずの光景は今はまったく残っていない。
ただ、土台のコンクリートと、打ち上げられた漁船だけが、目の前の荒れ地にひろがっている。
ふと目をそらした瞬間、波打ち際を黙々と歩く、数人の人たちの姿が目に入った。


 ゆっくりと歩きながら長い棒のようなもので時々、海岸の砂を突いている。
「何してるんだろう、あの人たちは・・・」思わず気を取られ、車のスピードが落ちてきた。
「見たい?。じゃ、車を停めて」と、るみが助手席で小さくつぶやく。



 「被災地の現実の姿よ。でも、お願いだから、絶対に目をそらさないでね」


 意味深な言葉を口にしたるみが、静かにドアを開け、外へ出た。
つられたようにエンジンを切り、俺も思わず、ドアを開けて運転席の外へ飛び出した。
あらためて周囲を見回すと、何もない荒れ果てただけの地平線と、青々とした春の水平線が
俺の眼に飛び込んできた。
先ほど見た長い棒を持った一団は、今度は波消しブロックの上を歩いていた。


 上着の襟をかき合わせたるみが、波消しブロックの上をひょいひょいと歩いて行く。
最後尾を歩いている人へるみが、背後から静かに語りかけた。



 「なにか、手がかりのような物が、見つかりましたか?」


 「ないねぇ、残念ながら。
 何かあると助かるんだが、なにしろあれから3年以上も経っているからねぇ。
 亡くなった人には気の毒だが、こうなると、気休めみたいなもんだね、あたしたちの。
 そういうあんたも、此処で身内の誰かを亡くしたのかい?」


 「わたしの母と姉が、車ごと、このあたりで津波に呑まれています」


 「そうかい。それじゃあんたも同じだね。つらいよね。
 でもさ。みんな似たか寄ったかの体験をしているんだ、ここに集まっている人たちは」



 初老の婦人が手にした棒で、波消しブロックの上で捜索を続けている人たちの姿を指さす。
「ほら。あんたと同じくらいの年頃の3姉妹がいる。
あの子たちも両親をここで、あの日の津波で亡くしたんだ。
弟さんだけ、一か月後にここで遺体で見つかったが、両親の手がかりはいまだに無いのさ。
だからこうして、休みがとれた時は3姉妹で探しに来るんだ。
そうかい。あんたのお母さんとお姉さんも、行方不明のままなのかい、切ないねぇ」




(86)へつづく

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