「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第126話 おこもり堂
間口が3間、奥行も3間。
国の重要文化材に指定されている日向見薬師堂は、寄棟造り、3間4方の建物だ。
屋根はすべて茅で葺かれている。
江戸幕府が開かれる前の、慶長3年(1598年)。
時の領主、真田信幸によって建立された武運長久を祈る建物だ。
祀られている薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、久しく治らない病気を治し、
すべての人を病気の苦しみから救ってくれる仏様として信仰を集めている。
温泉地の奥に、ひっそりとたたたずんでいる茅葺の薬師堂には、
四万温泉発祥の伝説が残っている。
永延3年(989年)のころ。
源頼光の家来、碓氷貞光が越後から、四万奥にある木の根峠を越えて
日向見(ひなたみ)の地までやって来た。
今の薬師堂が建立されているあたりで、谷川の音に気持ちを静めながら、
一晩中お経を読んでいたという古事が有る。
やがて、夢の中に一人の子どもが現れる。
「あなたの読経の真心に感心し、四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、
われはこの山神である」とお告げを残す。
山神が告げた通り、貞光が目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという。
薬師堂の手前に「お籠(こもり)堂」がある。
病気が治るよう人々が、薬師様にお祈りするために泊り込みをした建物だ。
薬師堂建立から、16年後に建てられたと記録にしるされている。
間口4.79メートル。奥行は3.66メートルで、間口の中央に、表から奥へそのまま
抜ける通路がある。
おこもり堂の通路を抜けると、日向見薬師堂の真正面に出る。
薬師堂へつづく山道は、真っ白に凍てついている。
表示に従い坂道を登っていくと、5分ほどでおこもり堂の正面に出る。
左手側にはひなたみ館があり、薬師堂の左下には足湯のある広場が見える。
あずまや風の足湯と共同浴場の御夢想の湯を挟んで、広場の突き当りに
かじかの湯で知られる中生館の建物がそびえている。
まだ時間が早過ぎるためか、薬師堂の前に人の気配はまったく無い。
「なんや。薬師堂と言うから、もっとええとこに建ってんかと思うたら、
広場の片隅に、ポツンと取り残されたような風景やな。
それにしても古いなぁ・・・
本堂もおこもり堂も、どちらも茅葺の屋根やんか」
おこもり堂の古びた屋根を見あげて、サラが、崩れないのかしらと吐息を洩らす。
心配はご無用だ。長年にわたり山奥の風雪に耐えてきた建物だからねぇ、
と似顔絵師がサラの肩をポンポンと叩く。
「薬師堂は、明治29(1896)年に定められた『※古社寺保存法』で、
明治45年に国宝として指定を受けた。
昭和25年に法律が改正され、国の指定重要文化財として再指定されている。
このあたりにある旅館や足湯はあとから作られたもので、もともとは
薬師堂へお参りするための道だけが有った」
※古い神社や寺を保存するための法律※
おこもり堂の手前に、4段の石段が有る。
石段を登り、おこもり堂の中央に開いた3尺ほどの通路の正面に立つと、
一直線上の奥に、薬師堂の本堂の姿が飛び込んでくる。
通路の奥を覗き込んだサラが、「あら」と短い歓声をあげる。
「普段は通路の両側に、内部を保護するためのガラス戸が有るそうどすが、
今日に限り、それが取り外されておりますなぁ。
ご丁寧なことに、石油ストーブと、火鉢のようなものが置かれておます。
これで寒さをしのげという配慮でっしゃろか。
粋どすなぁ。群馬の山神さまは!」
暖がとれるのですか?、と佳つ乃(かつの)が石段をあがっていく。
通路が中央を抜けているが、通路の両側には3畳ほどの板の間が有る。
サラが言うように、石油ストーブが赤々と炎をあげて燃えている。
真ん中のあたりに、炭が焚かれた火鉢が置いてある。
こんな風にして昔の人たちは、一晩中お祈りしながらここに籠っていたのかしらと、
佳つ乃(かつの)が、おこもり堂の天井を見上げる。
「兄さん。壁に何か書いてあります・・・なんやろな、これ」
サラが板壁に残っている、薄い墨の跡を見つけ出した。
「元和・寛永・・・武州、茂作、妻、かよ。宇都宮、元助・・・。
落書きやろか、古い時代の?」薄い墨跡を、サラの指が不思議そうになぞっていく。
「元和は、江戸幕府が開かれた慶長のあとの年号。
寛永は、その次の年号で、寛永通宝が作られた時代のことだ。
武州はいまの埼玉県。宇都宮は、栃木県の県庁所在地さ。
旅と言えば歩くことが主流だった時代だ。
四万の病に聞くという温泉の噂を聞きつけて、多くの人たちが、
はるばるとこんな山奥まで、療養に来たんだろう。
そんな記念に旅人たちが、願いを込めて板壁に書き記した、満願の想いさ」
「へぇぇ。何百年も前の満願の想いか・・・。
ウチも此処へ来た記念にひとつ、何か、書き残したろうかな」
「コラ、やめておけ。不謹慎すぎる。
お前さんが板壁に書くと、本当の落書きになっちまう。
気持ちはわかるが、願い事と言うものは、胸の中で念じるだけで充分だ。
おこもり堂と言うのは、そのために有る場所だ。
もっとも・・・おちょぼのサラに願い事が有れば、という話だがな」
「それが実はあるんどす。
たったひとつだけどすが、ウチにはぜひとも叶えてほしい、
強烈なお願い事が!」
(えっ・・・冗談で言ったんだが本当に有るのかよ、願い事が・・・・?)と
似顔絵師が目を丸くしたまま、真顔のサラを見つめる。
第127話につづく
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