「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第131話 元日の朝
理事長たちと呑みなおした後、午前2時に一行が店を出る。
前夜から舞い始めた四万の雪は、衰える気配をいっこうに見せない。
強い風に乗り乱舞し始めた雪が、歩き始めた一行を四方向から激しく襲う。
積善館前の赤い橋へたどり着いたころは、理事長と駒子も、
似顔絵師と佳つ乃(かつの)も、叩きつける雪粒のために、全身が
白い塊になっていた。
玄関で雪を振り払い、急ぎ足で部屋へ戻った佳つ乃(かつの)が、
いきなり炬燵の中へ潜り込む。
「新年早々。とんだ雪の洗礼どすなぁ・・・身体の芯まで冷えてしまいました」
と炬燵から顔だけだして、苦笑いをする。
雪で冷え切った指先は炬燵に入っただけでは、何時まで待っても暖かくならない。
しびれを切らした似顔絵師が、「埒があかないな、岩風呂へ行こうか」
と佳つ乃(かつの)を誘う。
「ええどすなぁ。」と応えて、佳つ乃(かつの)も炬燵から足を出す。
午前3時。勢いを増した雪が、風と共に吹き荒れている。
曲がりくねった長い廊下と、急な階段に、人の気配はまったくない。
さっきまで灯のついていた部屋も、今はすっかり寝静まっている。
ミシッと鳴る階段の音に、似顔絵師が思わず、シッと唇に手を当てる。
「大丈夫どす、誰も起きておりません。こんな真夜中に・・・」
うふふと佳つ乃(かつの)が周囲をあらためて見回す。
「やっぱり誰もおりませんなぁ。こんな時間に風呂へ行くのは、ウチ等だけどす」
と似顔絵師の背中へ貼りついてくる。
佳つ乃(かつの)は祇園に生まれたその瞬間から、芸妓になることを
周囲から運命づけられ、育てられてきた女の子だ。
母は、祇園でも3本の指に入る売れっ子芸妓。
バー「S」のオーナーが養父として、幼いころの面倒を見た。
小学校の卒業とともにその後の面倒見たのは、いまの置屋の女将。
中学へ通う3年の間に、舞の名手としての素質が、順調に開花した。
舞妓として15歳でデビューしたあと、売れっ子への階段を一気に駆け上がる。
舞の上手な新星として名を馳せた後、19歳で襟替えをする。
その後の10年あまりで、佳つ乃(かつの)は、花街を代表する屈指の芸妓に成長する。
31歳になった佳つ乃(かつの)は、誰が見ても絶頂の頂点に居る。
佳つ乃(かつの)を指名する客は、あとを絶たない。
指名する数そのものが、祇園の稼ぎ頭を意味する。
トップクラス芸妓の引退は、そのまま花街の未来を左右することになる。
辞めたくても辞められない重圧が、佳つ乃(かつの)の気持を重く支配している。
(絶頂期にようやくのことでたどり着いているいま、ウチの事情だけで、
芸妓を辞めるわけにはいかんのどす。
お世話になったおおくのひとに、迷惑をかけすぎますさかい、
少なくても、せめてあと3年。
女としての盛りが色あせないうちは、芸妓を廃業するわけにはいきまへん。
悩ましいことどすが、これがウチの運命どす・・・)
女ざかりをあんたに捧げられないのは、不本意どすが、堪忍しておくれやす)
悩ましい年が明けましたなぁ、と付け加えた小さなひと言の中に、
佳つ乃(かつの)の悔しさが、垣間見える。
似顔絵師もまたそのことを、赤い橋の上で心の底から実感していた。
祇園は、きわめて特殊な町だ。
膨大な経費と長い時間をかけて、古典芸能と深い教養を身に着けた、
美しい女性たちを、計画的に生み出していく。
だが器量に恵まれ、深い教養と舞の技術を身に着け、細やかな心使いが出来る
3拍子揃った名芸妓は、そう簡単には誕生しない。
かつての日本には、各地に、芸妓たちが活躍する花街が存在した。
だが時代とともに、多くの花街が衰退の道をたどった。
最終的に、ほとんどの花街が消滅した。
芸妓の芸を楽しみながら飲食するという文化は、過去のものになりつつある。
だが、ひとつだけ例外がある。京都の五花街だけはいまだに健在だ。
その秘密は、花街を支えるための京都独特のシステムに有る。
祇園は、芸妓や舞妓たちを料亭で雇用するのではなく、置屋に置いている。
置屋は舞妓や芸妓たちを育て上げるために、ひたすら基礎教育の充実に力を注ぐ。
その昔、大阪のミナミにも置屋はあったが、置屋の経営が成り立たなくなってしまったため、
高級料亭に芸妓を置くことになった。
だがそのために、花街の衰退が結果的に早くなった。
料亭で芸妓を雇ってしまうと、芸を磨く必然性が消えてしまうためだ。
格式のある料亭に雇われている芸妓は、芸がなくても自然にお客がついてしまう。
安心は油断を招き、しのぎを削る競争相手の不在は、やがて自分の没落を招く。
置屋の芸妓たちの場合、芸が下手ならお呼びはかからない。
競争原理を働かせることで芸妓たちに、芸を精進させるための必要性を作り出す。
花街における共通の知恵だったが、それを守りぬいたのは京都の五花街だけだ。
祇園のお茶屋が自ら料理をつくらず、仕出屋から料理を取るのもそのためだ。
仕出屋は、おいしい料理をお茶屋にタイムリーに提供できなければ、
祇園に存在する意義を失ってしまう。
そのために料理人たちは、日々懸命に、精進せざるをえなくなる。
混浴の岩風呂の湯気の向こう側。
うすく見える白い裸体が、似顔絵師を小声で呼ぶ。
「混浴いうのに、変どすなぁ。
水面下の真ん中に、浴槽を分けように横たわる、大きな石が邪魔どす。
乗り越えておこしやす。どなたも居りませんゆえ、いまが絶好のチャンスどす。
ウチ。こう見えても、脱いだらけっこう凄いんどすぇ、うっふっふ」
チャポンと水音を立てて備え付けの固形石鹸が、湯気の向こう側から飛んできた。
第132話につづく
落合順平の、過去の作品集は、こちら
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第131話 元日の朝
理事長たちと呑みなおした後、午前2時に一行が店を出る。
前夜から舞い始めた四万の雪は、衰える気配をいっこうに見せない。
強い風に乗り乱舞し始めた雪が、歩き始めた一行を四方向から激しく襲う。
積善館前の赤い橋へたどり着いたころは、理事長と駒子も、
似顔絵師と佳つ乃(かつの)も、叩きつける雪粒のために、全身が
白い塊になっていた。
玄関で雪を振り払い、急ぎ足で部屋へ戻った佳つ乃(かつの)が、
いきなり炬燵の中へ潜り込む。
「新年早々。とんだ雪の洗礼どすなぁ・・・身体の芯まで冷えてしまいました」
と炬燵から顔だけだして、苦笑いをする。
雪で冷え切った指先は炬燵に入っただけでは、何時まで待っても暖かくならない。
しびれを切らした似顔絵師が、「埒があかないな、岩風呂へ行こうか」
と佳つ乃(かつの)を誘う。
「ええどすなぁ。」と応えて、佳つ乃(かつの)も炬燵から足を出す。
午前3時。勢いを増した雪が、風と共に吹き荒れている。
曲がりくねった長い廊下と、急な階段に、人の気配はまったくない。
さっきまで灯のついていた部屋も、今はすっかり寝静まっている。
ミシッと鳴る階段の音に、似顔絵師が思わず、シッと唇に手を当てる。
「大丈夫どす、誰も起きておりません。こんな真夜中に・・・」
うふふと佳つ乃(かつの)が周囲をあらためて見回す。
「やっぱり誰もおりませんなぁ。こんな時間に風呂へ行くのは、ウチ等だけどす」
と似顔絵師の背中へ貼りついてくる。
佳つ乃(かつの)は祇園に生まれたその瞬間から、芸妓になることを
周囲から運命づけられ、育てられてきた女の子だ。
母は、祇園でも3本の指に入る売れっ子芸妓。
バー「S」のオーナーが養父として、幼いころの面倒を見た。
小学校の卒業とともにその後の面倒見たのは、いまの置屋の女将。
中学へ通う3年の間に、舞の名手としての素質が、順調に開花した。
舞妓として15歳でデビューしたあと、売れっ子への階段を一気に駆け上がる。
舞の上手な新星として名を馳せた後、19歳で襟替えをする。
その後の10年あまりで、佳つ乃(かつの)は、花街を代表する屈指の芸妓に成長する。
31歳になった佳つ乃(かつの)は、誰が見ても絶頂の頂点に居る。
佳つ乃(かつの)を指名する客は、あとを絶たない。
指名する数そのものが、祇園の稼ぎ頭を意味する。
トップクラス芸妓の引退は、そのまま花街の未来を左右することになる。
辞めたくても辞められない重圧が、佳つ乃(かつの)の気持を重く支配している。
(絶頂期にようやくのことでたどり着いているいま、ウチの事情だけで、
芸妓を辞めるわけにはいかんのどす。
お世話になったおおくのひとに、迷惑をかけすぎますさかい、
少なくても、せめてあと3年。
女としての盛りが色あせないうちは、芸妓を廃業するわけにはいきまへん。
悩ましいことどすが、これがウチの運命どす・・・)
女ざかりをあんたに捧げられないのは、不本意どすが、堪忍しておくれやす)
悩ましい年が明けましたなぁ、と付け加えた小さなひと言の中に、
佳つ乃(かつの)の悔しさが、垣間見える。
似顔絵師もまたそのことを、赤い橋の上で心の底から実感していた。
祇園は、きわめて特殊な町だ。
膨大な経費と長い時間をかけて、古典芸能と深い教養を身に着けた、
美しい女性たちを、計画的に生み出していく。
だが器量に恵まれ、深い教養と舞の技術を身に着け、細やかな心使いが出来る
3拍子揃った名芸妓は、そう簡単には誕生しない。
かつての日本には、各地に、芸妓たちが活躍する花街が存在した。
だが時代とともに、多くの花街が衰退の道をたどった。
最終的に、ほとんどの花街が消滅した。
芸妓の芸を楽しみながら飲食するという文化は、過去のものになりつつある。
だが、ひとつだけ例外がある。京都の五花街だけはいまだに健在だ。
その秘密は、花街を支えるための京都独特のシステムに有る。
祇園は、芸妓や舞妓たちを料亭で雇用するのではなく、置屋に置いている。
置屋は舞妓や芸妓たちを育て上げるために、ひたすら基礎教育の充実に力を注ぐ。
その昔、大阪のミナミにも置屋はあったが、置屋の経営が成り立たなくなってしまったため、
高級料亭に芸妓を置くことになった。
だがそのために、花街の衰退が結果的に早くなった。
料亭で芸妓を雇ってしまうと、芸を磨く必然性が消えてしまうためだ。
格式のある料亭に雇われている芸妓は、芸がなくても自然にお客がついてしまう。
安心は油断を招き、しのぎを削る競争相手の不在は、やがて自分の没落を招く。
置屋の芸妓たちの場合、芸が下手ならお呼びはかからない。
競争原理を働かせることで芸妓たちに、芸を精進させるための必要性を作り出す。
花街における共通の知恵だったが、それを守りぬいたのは京都の五花街だけだ。
祇園のお茶屋が自ら料理をつくらず、仕出屋から料理を取るのもそのためだ。
仕出屋は、おいしい料理をお茶屋にタイムリーに提供できなければ、
祇園に存在する意義を失ってしまう。
そのために料理人たちは、日々懸命に、精進せざるをえなくなる。
混浴の岩風呂の湯気の向こう側。
うすく見える白い裸体が、似顔絵師を小声で呼ぶ。
「混浴いうのに、変どすなぁ。
水面下の真ん中に、浴槽を分けように横たわる、大きな石が邪魔どす。
乗り越えておこしやす。どなたも居りませんゆえ、いまが絶好のチャンスどす。
ウチ。こう見えても、脱いだらけっこう凄いんどすぇ、うっふっふ」
チャポンと水音を立てて備え付けの固形石鹸が、湯気の向こう側から飛んできた。
第132話につづく
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