「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第132話 佳つ乃(かつの)の名前が欲しい
元旦。午前8時ちょうど。
おおきに財団理事長から、特別な膳の用意が整ったと連絡が入った。
「総料理長が自ら手掛けた、正月用のおまかせ会席だ。
5人揃って正月を祝おうではないか。山奥だというのに、縁起物の鯛赤飯まで付いておる」
と朝からすっかり上機嫌だ。
似顔絵師がインタネットで見かけた、積善館のおせち料理を思い出す。
重箱の中にぎっしりと、贅を尽くした素材が並んでいた。
(料理長自ら手がけた膳とは、朝から、豪勢なことだ・・・
さすが、贅を誇る最上層の佳松亭に泊まっているだけのことはある)
佳つ乃(かつの)は、いつ呼ばれてもいいように、正月用にあつらえた
色留袖に着替えている。
留袖は既婚女性が着用するものの中では、格式が最も高いとされている。
振袖の袖を落としたものを留袖と呼ぶ。全体が黒のものを黒留袖と言う。
他の色で染めてあるものを色留袖と言い、身内の結婚式に出席する際に着用する。
黒留袖は既婚者のみの着用だが、色留袖は未婚者でも着用ができる。
江戸時代。女性が18歳になった時や結婚した時、女性がそれまで着ていた
振袖の袖を切り、短く止めるしきたりが有った。
この風習が「留袖」の原点だ。
江戸時代の女性は好きな相手がいると振袖を着て、袖を振って愛情を表現した。、
結婚するとその必要がなくなるため、袖を留めた。
切り落とした振袖の袖は保存しておき、第1子が産まれたときの産着として
着用させるという習わしがあった。
「ほう。正月から、見事に花が咲いたのう。
実に初々しい。まるで匂うようじゃ、お前さんの色留袖姿は・・・
おちょぼや芸者見習いとは、さすがに、役者の格が違うのう」
理事長が、極限まで目を細めて笑う。
色留袖姿の佳つ乃(かつの)を、いそいそと出迎える。
膳の前にはすでに、真新しい着物に着替えたサラと芸者見習いの駒子が
姿勢をただして待っている。
「普段はタメ口をきいたり、甘えた口調などを交わしていても、
年が改まった正月ともなれば、きっちりと改まった挨拶をしたいものじや。
正装して正座し、三つ指をつくくらいの気持ちで正月を迎える。
『あけましておめでとうございます』と、気持ちよく挨拶をする。
これが日本の伝統じゃ。
その点やはり、佳つ乃(かつの)はしっかりと心得ておるのう。
ワシから見ても、すべてにおいて完璧じゃ」
「ウチのほうこそ、昨年中は、理事長はんにはなにかとお世話になりました。
支えていただいたおかげで、無事にお座敷を勤めあげることが出来ました。
祇園の活性化のためにも、いいとも財団がますますご活躍されることを、
こころから期待しております。
また、こんな風にして似顔絵師さんと知り合えたのも、理事長はんのおかげどす。
今年は彼の夢が実現するよう、ウチもしっかり応援したいと思います。
機会が有りましたら彼のご家族に、ご挨拶させていただきたいと、
実は密かに願っております」
「お前さんの恋路の世話まではしておらんぞ・・・ワシは。
まぁええ。どうだ、聞いたかサラ。
新年の挨拶と言うものは、最初に、昨年中に世話になった人へ感謝の言葉を伝える。
新年の話題に、さりげなく触れることも大切じゃ。
彼の夢が実現することを願っていると言ったが、それは結婚したいという
お前さんからの、逆告白になるのかな?」
「ではお祖父ちゃん。
ウチからも、是非とも聞いていただきたい、たっての希望が有るんどすが、
ここでご披露してもええどすか?」
「ほう、舞妓にもなっておらんおちょぼのくせに、たっての望みが有るとな。
面白い。なんじゃ、遠慮しないで言うてみい。
事と次第によっては、ワシがお前の願いのために、ひと肌を脱いでもよいぞ」
「ほんまですか、お祖父ちゃん!」
「目出度い年の明けじゃ。なんでも良い。願い事が有るなら言うてみい。
可愛い孫のお前の願いなら、たとえ火の中であろうと、水の中だろうと聞いてやる。
清水の舞台から飛び降りろと言えば、パラシュートを着けてでも飛んでやる」
「ほな、安心してご披露します。
願いと言うのは、ただひとつどす。
ウチがこの春、舞妓になって店出しをするとき、ぜひともお姐さんの名前、
佳つ乃(かつの)の名前を、襲名したいと思います」
「何!、佳つ乃(かつの)の名前を襲名したいだと!
冗談も休み休み言え!。
サラ。それが、どういうことを意味するのか、わかっているんだろうな。
無茶を言い出すにもほどが有る。
何の事だか、ワシにはまったくもって、訳が分からん!」
第133話につづく
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