落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第135話 積善館の赤い橋

2015-03-14 12:23:29 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第135話 積善館の赤い橋





 「ここはウチにとって、死んでも忘れられへん、思い出の場所になりました。
 ウチ。一生、なにが有ってもここでの出来事は絶対に忘れまへん」

 佳つ乃(かつの)に肩を抱かれたサラが、積善館の古い屋敷を見上げる。
赤い橋の真ん中に直立したまま、2人はいつまで経っても動かない。
駒子を乗せた理事長の車は、橋の向こう側でもう5分以上も停まったままだ。


 「ええ加減にせんか、お前さんたち。
 あと2~3日もすれば、また京都で再会できるやろ。
 男と女の別れならともかく、祇園の姉妹が橋の上で抱き合ってどうするんや」


 困ったもんじゃな2人とも、とパイプをくわえた理事長が額にしわを寄せる。



 「それにしても・・・・今日はおそろしいほどの別嬪やな、サラは。
 孫とはいえ、これほどの美人だったとは、まったく今まで気が付かんかったわい。
 女は化けるとよく言うが、実に恐ろしい進化ぶりじゃのう・・・」


 気が済んだのか、ようやくサラが佳つ乃(かつの)の腕から離れる。
「さて、では行くとするか」理事に手招きされて、サラが車の中へ消えていく。
走り始める前、サラが後部座席から名残惜しそうに指を振る。
「気ぃつけてな」と佳つ乃(かつの)が、手を振り返す。
駒子とサラを乗せた車が、落合通りの雪の中を走り去っていく。
「俺たちも行こうか」と歩きはじめる似顔絵師を、佳つ乃(かつの)が
ヒョイと引き留める。


 「待ってな。ウチ等のラブシーンが、まだどすぅえ」


 「え、橋の上でラブシーンかい・・・まいったなぁ。
 いくらなんでも、昼間からキスをするのは、まずいだろう」


 「阿保。橋の上から、四万ブルーと呼ばれる、独特の水の色を確認したいだけどす。
 それからもうひとつ。陽子さんへ、報告を入れる必要もあんのどす」


 佳つ乃(かつの)が懐から、スマートフォンを取り出す。
指先でタッチすると、即座に「はい」と陽子の声が聞こえてくる。
ウフフと笑った佳つ乃(かつの)が、はいとそのまま似顔絵師へ、スマートフォンを
手渡してしまう。



 「あ・・・姉さん。大作です。
 佳つ乃(かつの)が勝手に呼び出しました。
 自分で報告が有ると言ったくせに、何故かいきなり、スマホを俺に渡しました」


 「年上の女を呼び捨てるなんて、ずいぶん出世したもんですねぇ、あんたも。
 なるほど。家庭を持つ決意を固めると、男もいっぱしの口を聞くようになるんだね。
 帰ってくるんでしょ、2人揃ってこちらへ。
 大切な報告が有るはずです、あなたの大事なご両親へ」


 「な、なぜ、それを知ってんだよ、姉ちゃんは」



 「30分ほど前に、おちょぼのサラちゃんから電話をもらいました。
 私も母も大歓迎ですと、隣に居る佳つ乃(かつの)さんへ伝えてください。
 でも、父の徳治が問題ですね。
 俺だけが何も知らされずに蚊帳の外かと、元日からへそを曲げています。
 カミナリが落ちるのを覚悟して帰って来ることですね、大作くん」

 
 ウフフと笑って、通話が切れる。
佳つ乃(かつの)は赤い欄干から、嬉しそうに四万の清流を見下ろしている。
(親父がへそを曲げているそうだ)とスマートフォンを返すと、
(でも、なんとかしてくれるんでしょ、あなたが)と佳つ乃(かつの)が笑う。



 「私の本名は、美しく結ぶと書いて、美結。
 みゆと呼び捨てで呼んでくれるんでしょ、あなたは、今日から私のことを」


 「え・・・美結さんというんだ、君の本名は」


 「はい。ウチの本名を呼び捨てで呼んでくれるのは、あなたが初めてです。
 12歳の時、2度と縁がないと思い、忘れてしまったはずのウチの本名どす。
 もう一度、美結と呼ばれる日が来るとは、想いもしませんどした。
 ウチは今日から、あなただけの美結どす。
 呼んでな早くぅ、みゆって、呼び捨ててぇな・・・」



 色留袖の美結が、肩を寄せてくる。
四万の山並みは、何処を見ても雪一色の銀世界だ。
積善館の建物も、すべて白一色に埋もれている。
だが誰が落としたのか新湯川に架かる赤い橋だけが、綺麗に雪が落とされて
赤い欄干をあらわにしている。


 プルプルと美結の胸元で、スマートフォンが鳴り始めた。
(電話だぜ・・・)とささやく似顔絵師のポケットでも、同じように携帯が鳴り始めた。
2人を取り巻く人たちが、あわただしく動き始めたような気配がある。


 「ウチ等はいま取り込み中どす。野暮な電話は後回しどす」



 美結が嬉しそうに似顔絵師の胸にもたれかかってくる。
サラの化粧のついでに手直しをしたのだろうか、着けたばかりの甘い香りが
美結と一緒に、似顔絵師の胸にしのび込んできた。


最終話につづく

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