落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第134話 早いか遅いか、ただそれだけのこと

2015-03-13 13:02:32 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第134話 早いか遅いか、ただそれだけのこと




 部屋へ戻って来た佳つ乃(かつの)が、窓際の椅子へ腰を下ろす。
目を外へ向けたまま、ふぅ~と長い吐息を洩らす。
雪はすでに止んでいる。
柔らかい光が降り注ぐ中、昨日より厚みを増した屋根の雪がキラキラと輝いている。


 おおきに財団理事長は、京都へ帰る準備に取り掛かった。
4日までの予定をキャンセルして、京都に戻ることをその場で決断した。



 「駒子を水上へ送り届けてから、サラを連れて京都へ帰る。
 まずは、置屋の女将を説得せなならん。
 お茶屋の女将連中も、このニュースを知ったら仰天するやろう。
 おそらく。天地がひっくり返ったような騒動になるじゃろう・・・
 問題は山のように出てくる。たぶん事態を丸く収めるのはそれほど、簡単じゃない。
 だが、辞めると言い切った佳つ乃(かつの)の気持ちは、変わらないようだ。
 お前さんは、佳つ乃(かつの)の面倒を見てくれ。
 正月の休みが終れば、また京都で再会することになるだろう。
 戻ったら連絡をくれ。バー「S」へすぐに顔を出すから」


 それだけを伝えたあと、携帯電話を取り出してあちこちへ電話をかけ始めた。
理事長としての裏工作が有るのだろう。
現役の芸妓が、まだデビューもしていないおちょぼへ、自分の名前を譲ると決めたのだ。
ニュースが知れ渡れば、祇園中が上へ下への大騒ぎになる。
だが「万事任せろ。ワシがなんとか四方を丸く収めてみせる」と理事長は、
ドンと胸を叩いた。



 部屋へ戻った佳つ乃(かつの)は、無言のまま外を見つめている。
ふたたび小さな吐息を洩らした後、また四万の山並みを静かな目で見つめはじめる。
「俺たちも、帰りの支度をはじめるとするか・・・」
似顔絵師が小さくつぶやいて立ち上がった時、廊下でコトリと音がした。
音のしたほうを見ると、青ざめたサラがそこに立って居る。


 だがサラは、「すんまへん」とうなだれたまま、部屋の中へ入ってこようとしない。
気が付いた佳つ乃(かつの)が、窓際の椅子からサラを振り返る。
佳つ乃(かつの)の視線に気が付いた瞬間、「申し訳ありません!」と
いきなりサラが廊下へ座り込む。



 「出過ぎたことを言いすぎました。
 全部、ウチの勝手な思い付きどすが、けど、一度口にしたことはもう元には戻りまへん。
 結婚に2の足を踏んでいる姐さんを見るのが、辛いんどす。
 ウチが姐さんの名前を継げば、万事が解決する・・・
 浅はかにも、そんな都合のええ展開を考えついてしまいました。
 そうすることが最善やと決めつけて、無理難題を口にしてしまいました。
 堪忍して下さい、ウチ・・・姐さんに死ねと言われれば、死んで見せます。
 死ぬ覚悟を決めて、こうして謝りにやってきました」



 「阿保。ウチの名前を継いでくれるあんたが死んだら、元も子もないやろ。
 あんたが言い出したこととはいえ、ウチが納得をして決めたことどす。
 名前を継ぐあんたに、何の責任もない」


 そんなところへ座っていたら風邪をひきますえと、佳つ乃(かつの)が立ち上がる。
動こうとしないサラを迎えるために、廊下まで歩いて行く。
だがサラは廊下にひしっと頭をこすりつけたまま、立ち上がろうとしない。
「風邪ひきますえ」とふたたび佳つ乃(かつの)が優しくささやきかける。
それでもサラは駄々っ子のように、ただただ首を左右に振るだけだ。
立ち上がろうとしないサラの肩へ、佳つ乃(かつの)が指を置く。


 「阿保やなぁ、あんたも。
 元気が取り柄のおちょぼが、おめでたい正月から、目を腫らすほど泣いてどうすんの。
 そんな顔で京都へ戻ったらあかんえ、お前って子は。
 泣いてなんか居る場合やあらへん。本当にたいへんなんは、これから先どす。
 問題の入り口で泣いているようでは、これから先なんか生きていけません。
 さぁ。お化粧を直してあげるから、明るいほうへおいで。
 知りたいんだろう、あたしの白粉(おしろい)の方法を」



 「姐さんの、化粧・・・・」サラが、思わず顔を上げる。



 「佳つ乃(かつの)になりたいのなら、あたしの白粉を盗む必要があるやろう。
 全部教えてあげます。さぁおいで、明るいほうへ、サラ」


 「死ぬ覚悟で姐さんに謝りに来たのに、ええんですか、ホンマに・・・」



 「ウチ自身が決めたことや。
 遅かれ早かれ、引退は、こころに決めていたことどす。
 あんたのおかげで、ウチは、清水の舞台からようやく飛ぶことができました。
 感謝するのは、ウチのほうや。
 けどなぁ、芸もろくに出来んおちょぼにまさか、祇園から追い出されるとは、
 夢にも思わんかったわなぁ。
 びっくりしましたでぇ。突然、引退しろと言い出されたときは」


 「すんませんホンマに。でも、ほんまにええんですか。
 ウチのような問題の多い帰国子女が、佳つ乃(かつの)姐さんの名前を継いでも。
 だいいちウチ、それほど別嬪やおまへん・・・
 なんや、今頃になってから責任の重大さに、胸がドキドキしてきました」


 「ええもなにも、全部もう、決まったことどす。
 心配あらへん。あんたはこころの中が、とびっきりの別嬪や。
 化粧次第で女は変わるもんどす。
 全部教えてあげるから、安心して明るいほうへおいで。
 あ・・・すんまへんが、大作さんは席を外してや。
 女が生まれ変る瞬間は、秘密どす。
 理事長さんのお部屋へ行って、サラのお化粧をするために、
 あと1時間ほどかかると伝えてください。
 ウチの大事な妹が、佳つ乃(かつの)に生まれ変ります。
 そう伝えてくれれば、理事長はんは、すべてを理解してくれると思います」

 
第135話につづく

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