落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第21話 イギリス風のパブ

2014-10-24 11:07:16 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第21話 イギリス風のパブ




 パブ(Pub)とは、イギリスで発達した酒場のことだ。
Public House (パブリック・ハウス)の略で、類似の呼びかたにバーがある。
祇園のはずれにあるバー「S」は、まさにそんな呼び方がぴったりとする場所だ。


 実際。ここの老オーナは若いころ、5年ほどイギリスで暮らしてきた。
イギリスには街のあちこちにパブがある。
国内に、5万数千軒は存在していると言われている。
店内にカウンター席や椅子席を設け、ビールを中心にその他の酒類を提供している。
利用客は成人男性が中心だ。だが老若を問わずたいへん親しまれており、
キッズルームを備えたパブさえ存在している。


 小さいパブでは食事は一切出さない。
つまみも、ポテトチップス程度しか置いていないという。
元々は酒の提供だけでなく、簡易宿泊所や雑貨屋の機能も備えた場所として、
18世紀から19世紀頃にかけて発達をしてきた。
町の中の便利な社交場として、発達をしてきた歴史を持っている。


 「酔っぱらうことを目的にがぶがぶと酒を呑むのは、日本の居酒屋だけだ。
 海外のパブは社交場としての機能を持っていて、友人との会話を酒とともに楽しむ。
 嘆かわしいよなぁ。
 今日この頃は、酒に呑まれる連中ばかりが増えてきた・・・」



 定番のセリフを口にした老オーナーが、ぷかりとパイプ煙草をふかす。
パイプ煙草の吸い方は難しい。
一度、勧められて吸ったことが有るが、火は簡単には点かない。
マッチの火を近づけて、パイプを吸っていくと空気が補給されていく。
徐々に点火していく様子はわかるが、ボウル全体にまんべんなく火をまわさないと、
煙草の葉は燃え続けてくれない。
スパスパとやりながら、棒で突いて火加減を調節する。

 「お。初めてにしては、なかなか筋がいいじゃないか」。


 だがそのままにしておくと、火はすぐに消えてしまう。
詰め方と吹かし方には、コツが要る。
また唾液が入っていかないように、多少パイプは上向きにくわえる。
そんな芸当ができるようになるまで、数日間の特訓が必要となる。
はたから見ていると、ずいぶん異様なタバコの吸い方に見える。
「あいつはいったい、なにやってるんだ?」
大の大人が必死の形相でパイプを吹かしながら、マッチで火をつけ続ける行為を
繰り返しているのだから、誰が見ても滑稽にしか見えないだろう。
かくして路上似顔絵師のパイプ修行は、わずか3日で頓挫した。


 驚いたことに、愛好家たちによるパイプ技術のコンテストが有る。
コンテストは少量の葉を、いかに長く吸い続けるかで争う。
初心者だと1分から2分で消えてしまうが、熟練者になると10分以上は持つ。
昨年の優勝者の記録は、14分半だという。
それを超えるのがもっかの目標だと、「S」の老オーナがパイプをふかしながら笑う。
そういえばこの店には、パイプ愛好家たちがよく集まってくる。
今夜も数人が集まり、あちこちでマッチを擦りながらすぱすぱと煙を上げている。



 「なんでライターじゃなくて、時代遅れのマッチをわざわざ使うのですか?」
と、パイプ愛好家に聞いたことが有る。
「なんでかなぁ。気が付いたらいつの間にかマッチを使っているよなぁ、普通に」
と、「おおきに財団」の理事長が、目をキョロキョロしながら答えてくれた。
「おおきに財団」の正式名称は、「公益財団法人 京都伝統伎芸振興財団」という。
けして怪しい団体ではない。
京都の五花街を応援しょうという、れっきとした大人たちの財団だ。


 おおきに財団の理事長は、バー「S」の老オーナーとは同級生だ。
同時にまた、前述のパイプクラブの正会員でもある。
パイプクラブの面々が今夜も集まり、めいめいが煙をくもらせているところへ、
ドアが開いて、客がふらりと姿を見せた。
「なんだ、こんな時間に」というパイプ愛好家たちの目線が、一斉に開いた
ドアに集中する。



 入ってきたのは、見るからに酩酊している佳つ乃(かつの)だ。
「おっ、」という驚きの空気が、イギリス風のバー「S」の店内を激しく揺らす。


第22話につづく

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おちょぼ 第20話 引き祝い

2014-10-23 10:38:40 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第20話 引き祝い



 引き祝いというのは、芸妓や舞妓が妓籍を抜けるときの挨拶だ。
引退をするときに、今までに世話になったおっ師匠さんや屋形やお茶屋はん、
同僚・先輩・後輩たちにおこなうものだ。


 挨拶をきちんしないで辞めてしまったら、花街に不義理を残して辞めた事になる。
例えば、ある日突然、挨拶もなしで逃げ帰ったする。
そうした場合、それ以後は何があっても、2度と相手をしてくれなくなる。
引き祝いもしないで辞めた妓が、後になってから、もういっぺん祇園でカムバックを
したいと思っても、絶対に不可能と言うことになる。


 「引き祝」には、祇園での芸名と本名の書かれた三角の紙に、
白い物を付けて配るという習わしがある。
食生活が変化したことで、いまでは実用的な商品券などが配られることが多い。
昔はよく「白蒸し」が、三角の紙とともに配られた。
白蒸しは、小豆の入った白いおこわのことだ。



 これには面白い逸話が有る。
箱の中に入っているのが、この白蒸しだけだと、
「うちはもう二度とこの街へは戻って来ぃしまへん」という意味になる。
しかし、「もしかしてまた帰って来るやも知れへん」というときには白蒸しの中に、
少しだけ紅いおこわを混ぜておく。


 こうしてきちんと挨拶を通しておいたら、いちど辞めて新しい人生を目指した時、
途中で駄目であっても、もう一度、花街に支障なく復帰することが出来る。
実際。そのようにしてふたたび帰って来た祇園の芸妓たちは、実はたくさんいる。
だが多くが芸妓の未来を諦めて、まったく新しい次の目標に向かって
邁進する場合が多いという。
彼女たちは、決して弱者として祇園を去ったわけではない。
つらい修行の時代をちゃんと乗り越えて、舞妓としての使命を果たし、
屋形へのお礼奉公を綺麗に終えてから、新しい人生に向かって再出発をする。
ひとつの目的をやり遂げたスポーツアスリートの再出発に、よく似ている。



 「清乃ちゃん、あんた辞めはんにゃてなぁ。
 せっかく舞も上手になって来たとこやのに勿体ないなぁ」

 「すんまへん、おかぁさん。けど、うちどうしてもやってみたい仕事が他にあんのどす。
 今のうちやないと出来しまへんさかいに」

 「ふぅ~ん、そうか、まぁいっぺん自分の気ぃが済むようにやってみたらよろし。
 けど、もしそれがあんじょういかへんかったらいつでも帰っといないや。
 何も遠慮せんでもえええ」


 「おおきに、おかぁさん。きずいなことばっかし云うてかんにんどす。
 またそんときには宜しゅうお頼申しますぅ」



 辞める人には、それぞれの事情が有る。
一時は自分が心底憧れて入った花街の世界。何の未練も無いといえば嘘になる。
中には後ろ髪引かれながら、花街を去っていく子もいる。


 余談だが、花街に旦那という制度というものが有った頃、こんな逸話が残っている。
世間のしがらみで、仕方なく旦那はんを取ることになったひとりの芸妓が居た。
しかし、どんな風にしてもこの旦那のことが気に入らない。
そこで旦那には内緒で、引き祝いの白蒸しの中に、紅いのをちょこっとだけ入れておく。


 これは芸妓の、ささやかな抵抗だ。
これには、「今回、訳あって旦那に落籍されて祇園を出てきますけど、
じきに戻って参りますさかいに、そんときはまた宜しゅうにお頼申します」
という意味合いが込められている。



 「引き祝」には、祇園での芸名と引退後の本名がまず書かれる。
おこわを配る例はほとんどない。
砂糖や白いハンカチ、白生地などを配るのがいまの風習だ。
その横に白だけではおこがましいからと、赤い南天の実などを、そっと少しだけ
控えめに添えておく。
前出した旦那への抵抗とは異なる、今風の配慮だ。(念のため)


 引き祝いの際は、やめる妓は洋髪姿で挨拶に回る。
いつもの白ぬりで回らないのは、「素人になります」という意味があるからだ。
「おめでとう」「おきばりや」「惜しいなぁ」とかけられる言葉の一つ一つに、
送る側の人生も、なぜか浮き彫りにされる。
祇園は去っていく人間にも、たくさんのご祝儀を惜しまない。
苦楽を共にした戦友の門出を、心から祝う気持ちが、この「引き祝い」という風習だ。



 清乃はこうして、祇園祭が終った22歳の夏。
本名の郁子に戻り、多くの人々に惜しまれながら、明るいくったくのない
笑顔を祇園の町に残し、花街をさっそうと後にした。


第21話につづく

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おちょぼ 第19話 てんてん

2014-10-22 11:18:27 | 現代小説
 
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第19話 てんてん



 佳つ乃(かつの)の心当たりは、つい一週間ほど前の日曜日のことだ。
1ヶ月間続いてた「都をどり」が終ると、祇園甲部はひとときだけ閑静になる。
芸妓たちに2日から3日くらいのまとまったお休みがご褒美として出されるからだ。
そんな中、もうひとつの恒例行事が開催される。


 1ヶ月間無事に「都をどり」開催出来た事を八坂神社に報告するために、
「奉告祭」が、5月のはじめに行われる。
決まりでは、都をどりに参加した全員がもれなく顔をそろえることになっている。



 報告も無事に済んだ後、先輩芸妓に誘われた佳つ乃(かつの)は、
数人の仲間とともに、鞍馬の山中までご飯を食べに行く。
ゆっくりとした時間を鞍馬の山中で過ごした後、タクシーを呼ぶ。
3条の通りまで戻ったところで、佳つ乃(かつの)が偶然、それを目にする。


 通りかかった婦人科の病院の前で、洋服姿の見知った顔を見つけ出す。
大き目のサングラスで顔を隠している、清乃だ。
普段と異なる洋服姿のため、危うく見過ごすところだったが、間違いなく清乃だ。
そういえば「奉告祭」の境内から、足早に遠ざかっていく清乃の背中を見た。
少しばかり体調が悪いようだという話は、女将から聞いていたが、
婦人科の病院へ行くという話は聞いていない。


 タクシーを停めようとしたが、あまりにも暗すぎる妹芸妓の表情に、思わず戸惑った。
以来、なにかと気にはかけていたものの、清乃からの音沙汰がない。
短い休日をそれぞれが過ごしたあと、祇園の町には、またいつもの活気が戻って来る。
その初日。お座敷を終えた清乃のほうから声をかけてきた。


 こだわりのつまった魚介類の盛り合わせと冷酒を静かに置いて、
顏馴染みの店員は早々と階段を降りて行った。
2人の間のただならぬ雰囲気を、いち早く察したのだろうか。
祇園で客商売をしていくためのコツを、心得ているような対応ぶりだ。



 清乃は酒が、強くない。
だが、今日ばかりは見るからに呑んでいる様子が、すでに顔に現れている。
虚ろな目をしている。だが本人はこれ以上は酔うまいと一生懸命、酒と格闘している。
「ビールのほうが良かったかしら?」と声をかけると、
「いいえ。姉さんの好きなお酒のほうで大丈夫」と清乃が、可愛い唇をすぼめる。


 「ウチ・・・今年の祇園はんが済んだら、引退しょう考えてますねん」

 「引退?・・・なに突然、引退って、」



 思いがけない清乃の言葉に、冷酒の瓶を手にした佳つ乃(かつの)の動きが停まる。
この子には何かにつけて、驚かされている。
先日のこともあり、何か訳が有りそうだと考えた佳つ乃(かつの)が
手を停めたまま、うつむいている妹芸妓を見つめる。
当の清乃もそれ以上は語らず、黙り込んだまま短い溜息をつく。


 「祇園はんの頃ということは、今度の無言詣りの満願で引退すると言うことかい?」


 「はい」と答えた清乃が申し訳なさそうに、首を縦に振る。
「てんてんは自分で用意しますさかい、お姉はんに迷惑はかけません」
と蚊が鳴くような声で、せいいっぱいの心中を告げる。



 「あんたが決めたことなら、いまさらうちが引き留めても無駄なようどす。
 あんたが、うちより先に引退するとは、夢に思っておりませんどした。
 わかりました。けど、引退の時に、てんてんは使いません。
 引き祝い言うて、別のものが使われます。
 心配あらへん。うちが全部、責任をもって準備をしましょ」

 
 「いけません。姉はんには迷惑のかけっぱなしどす。
 引退のときくらい、全部、自分で用意をします」


 「あんたの最後の花道や。遠慮せんでええ。そんくらいのことはウチにさせて」
 


 てんてん、と聞いても、読者には何のことだかかさっぱり分らないだろう。
てんてんというのは、手拭いのことだ。
元々は幼児の言葉だが、花街では今でも手拭いのことを、てんてんと云う。


 「そこに置いたぁる石鹸とてんてん持って、早うちゃいちゃい行っといない」
と小さな子供が、母親から口うるさく命令をされる。
昼下がりの銭湯は、小学生くらいのガキにとっては風呂に入るというよりも
またとない、絶好の遊び場になる。
中には水中眼鏡を持って来るなどという、つわものも居る
しかし騒ぎすぎて町内のお年寄りから、きつく叱られるのが通例だ。


 実用品としてのてんてんとは別に、花街では見世出しや襟替えなどの
行事の際、贔屓筋へ配る挨拶のてんてんが有る。
噺家が贔屓筋に配るしきたりに、よく似ている。
白地に赤の帯が真ん中に入った表書きに、まず、日付けが入る。


 見世出しの時には「舞子」と書き、襟替えのときは「ゑりかへ」と上段の右に書く。
下段には、左から見世出しした妓の屋形名と妓名。
その右には、引いた姉芸妓の本姓と妓名。
さらにその芸妓のお姉さんが在籍中なら、その方の本姓と妓名が並ぶ。
上段の左側には、宛名が書かれる。
男性ならば、「○×御旦那様」と書き、相手が女性なら「○×御姉上様」と書き入れる。
年配の女性なら「○×御母上様」と書かれる。


 だが、祇園でこのてんてんが廻って来たら、ただでは済まない。
お返しとしてご祝儀を、たんまりと包まなければならないのだから・・・・


  
第20話につづく

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おちょぼ 第18話 芸妓の涙

2014-10-21 10:04:36 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第18話 芸妓の涙




 舞妓を卒業し、佳つ乃(かつの)と同じ芸妓に昇格してみると、
実はこれからが本当のスタートなのだということに、清乃がようやく気がつく。
ゴールだと思っていた地点は、芸妓としての本格的な修練のスタート地点になるからだ。
その先にはさらに果てしなく続く、古典芸能の厳しい修行の道が待っている。
清乃が困惑を覚えるのも、無理はない。


 とはいえ若手でトップの注目を集めているため、指名の数は日ごとに増える。
お座敷を忙しく駆け回る毎日がはじまる。
2つ3つとお座敷を掛け持ちしていくだけで、一日があっと言う間に終ってしまう。


 先の見えないモヤモヤを抱えたまま、いつの間にか3年ちかい月日が経っていく。
馴染みのお茶屋でお座敷を努めた後、いつものようにお茶屋の女将と、
束の間のお喋りを楽しみ始める。
日頃から何かと清乃を気使っている女将が、他愛もない会話の途中で、
ふと思い出したように、清乃に問いかける。



 「あんたはん、この先、いったいどうしはるん?」



 気心の知れた理解者の質問は、一瞬にして清乃の緊張を解かしてしまう。
「ウチ、この先のことは、ホントはどうしてええのか、さっぱりわからしまへん」
そう言ったきり、急にうつむいて清乃が黙りこむ。
うつむいた横顔に、涙がひとすじ、スっと流れて頬を伝って落ちていく。

こぼれた涙の意味は、当の清乃にしかわからない。

 長い年季生活が明けると、一人前の芸妓として独立することが許される。
衿替えは、とうに済んでいる。
これから先は、最若手の芸妓として、忙しい日々を送ることになる。
長年慣れ親しんだ屋形を出て、念願だったマンションでの一人暮らしがはじまる。
苦楽を共にしてきた屋形を後にするのは、嬉しくもあるが、同時にまた寂しくもある。
複雑な心境の中、清乃のはじめての一人暮らしがはじまる。


 屋形で生活しているうちは、すべてのことを屋形がまかなってくれる。
生活面は勿論のこと、花街で必要となる全ての事柄を、所属する屋形が代行してくれる。
独立して自前の芸妓になるとそれらの全てを、自分ひとりでこなしていく。
そのかわり自分で頑張って稼いだお花代は、すべて自分の収入になる。


 とはいえ、一人住まいは経費がかかる。
マンションの家賃。食費に、高価な着物や帯の支払い。舞やお茶やお華の稽古代。
日々の交際費などなど、出ていく金額も決して少なくない。
をどりの会があれば、自らすすんで切符を自費で買い取るようだ。
お付き合いやら謝礼やらと、何かと気を揉む祇園のしきたりは山の様にある。
自前芸妓と聞けば、悠々自適で好き勝手に暮らしているというイメージがあるが、
内情は火の車であったり、頭の痛いやりくりで四苦八苦というケースもある。


 無事に襟替えを済ませ、芸妓として3年余りを過ごした、22歳の春。
物腰の柔らかい清乃は若い芸妓の筆頭格として、名前も売れ、贔屓の客も増えてきた。
さぁこれからは自分の稼ぎで、独り立ちも軌道に乗るだろうと誰もが思ったその時。
清乃が佳つ乃(かつの)に向かって、意外な言葉を口にする。



 場所は人通りも少なくなった、午前零時を過ぎた花見小路の片隅。
お座敷を終えた佳つ乃(かつの)が、お母さんが待つ福屋に向かって歩いていたその時。
背後から、カラコロと下駄の音が近付いてきた。
(こんな時間に誰かいな)振り返ると、少し硬い笑顔の清乃がそこに立っていた。


 「すんません。お姉さん、少しだけお話が・・・」と、何故か清乃が口ごもる。
お茶屋の多い花見小路は夕食の時間帯になると、多くの人で通りが埋まる。
だがさすがに深夜になると、人の通りもまばらに変る。
零時を過ぎると町の明かりもほとんど消えて、おおくの店舗がその日の営業を終える。


 
 「ほな。小腹もすいたことやし、酒菜 栩栩膳(ククゼン)でも行こか」


 
 栩栩膳は、築80年のお茶屋を改造した店で、深夜2時まで食事を提供している。
外観は花見小路の雰囲気に溶け込んだ、風情のある京町家風だ。
1階は、玉砂利を敷き詰め、飛び石を置いた庭園の様な雰囲気の食事処。
2階には団体専用の個室と、カウンター席のみのBARがある。
仕事上がりの着物姿のまま、芸妓たちが気軽に立ち寄れるという雰囲気も漂っている。


 顏見知りの店員が、「今なら2階の個室も空いていますが」と目配せを送る。
「どうする?」と目線で促す佳つ乃(かつの)に、「そっちで」と清乃が短く答える。
裾をつまんだ清乃が、先を急ぐように階段に足をかける。
「やっぱりね。他人には聞かせたくない、良くない話が有るようですねぇ」
佳つ乃(かつの)には、そんな清乃の素振りに、実はちょっとした心当たりが有る。


  
第19話につづく

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おちょぼ 第17話 襟替え

2014-10-19 11:47:05 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

  


おちょぼ 第17話 襟替え




「襟替えて何?」という読者の疑問のためにあえて説明をすると、
読んで字の如く、着物の衿を替えることです。
「それだけではよくわからん」という声が、あちこちから当然のように聞こえてくる。


 高価な刺繍をほどこした紅やら白やらの、一枚がうん十万もする舞妓の
派手な衿から、真っ白な芸妓の衿に変ることです。
おぼこさが売り物の舞妓から、本物の芸妓なる儀式のことを指している。


 昔は旦那(いわゆるパトロン)が出来ると衿替えをしたが、現在の花街には
そうしたしきたり自体が存在していない。
見世出しをしてから4~5年たつと、屋形のお母はんと姉芸妓の相談がはじまる。
年齢を重ねていることで、すでに少女のおぼこさから大人の女性になりかけている
妹舞妓の、襟替えの日時を模索しはじめる。
襟替えの時期には、個人差が出る。
小さくて見た目が可愛らしい妓は、長いこと舞妓姿を維持することができる。
反対に大人びて(老けているわけではないが)見える妓は、早目に芸妓に昇格をする。



 「○×ちゃん、そろそろ衿替えちゃうのん?」

 「をどり済んだら衿替えやて思うてたのに、お母はんが来年にしぃて云わはるねん。
 もうかなんわ」

 「そうかぁ、けど○×ちゃんはおぼこう見えるさかいええやんか。
 芸妓はんなったら大変やで。
 若手の芸妓はん仰山いたはるさかい、今までみたいに売れへんで」

 「けど、うちよか下の妓ぉかて衿替えしてはって、芸妓はんから『姉さん』て
 呼ばれんのも、なんや体裁悪おすえ」


 花街の上下関係に、年令は関係ない。
年齢には関係なく、一日でも早く見世出しをした方が姉さんにあたる。
この関係は、生涯変らない。
たとえば、後から見世出しした妓が先に衿替えを済ませて、芸妓になったとしても、
先輩の舞妓に会うたら、「姉さん」と呼ばなければならない。
お座敷で事情が解らないお客が、そんな2人の様子を見ていると訳が分からず混乱する。
「舞妓のほうが姉さんで、襟替えをした芸妓のほうが妹?・・・ええ、そんな馬鹿な」
と驚いて、お座敷で目をまん丸にする。


 衿替えの一週間前から、舞妓は黒紋付に三本襟足の正装をする。
髪は先笄(さっこう)という、江戸時代に若妻がしていた髪形に結いあげる。
さらに口には、お歯黒を入れる。
あえてこうした格好をさせるのには、訳が有る。
その昔。舞妓や芸妓たちは、今のように自由に結婚することができなかった。
それでは可哀想だということで、一度だけ若妻の恰好にさせたという名残りにあたる。
襟替え時期の芸妓は、こうした正装でお座敷を廻る。
祝い事の時にだけ舞う「黒髪」を、なまめかしく披露する。



 京舞は、入門時にまず「門松」という舞いを覚える。
これを習得すると、つづいて「松づくし」「菜の葉」「七福神」「四つの袖」
「黒髪」と順に、難しい舞へ進んでいく。
黒髪が舞える頃には、舞の技術もそれなりに上達をしてくる。
しっとりと舞う「黒髪」を見せつけられると、あまりもの艶やかさに、
観る者が思わずぞくりとするという。
少女から大人へ変わるひとときをなまめかしく演じてみせる。
それが祇園の『襟替え』だ。


 舞妓の最後の日。髷の先にしっぽのように飛び出た元結を切る。
昔は旦那にあたる人が切ったが、今は、屋形のお母さんが役目として元結を切る。
当日は朝から、姉芸妓、妹芸妓や妹舞妓、屋形のお母さんたちが集まってくる。
あわただしく『襟替え』の準備が始まる。
黒紋付に、二重太鼓の帯。真新しい鬘をかぶると、昨日までの舞妓のおぼこい顔が
一転して、急に大人らしい芸妓の顔に変る。


 お母さんの切り火を背に、男衆に連れられて80数軒あるお茶屋の挨拶に回る。
「お頼申します、お母はん」と格子戸をくぐるたび、この言葉をなんべんも口にする。
挨拶が一通り終わり屋形へ戻ってくると、お姉さんや姉妹達、お母さんたちと
「おちつき」と呼ばれる祝いの膳に着く。


 お母さんから「よう辛抱しやはったな、これからもおきばりやす」と声がかけられる。
昨日までの事が頭の中を走馬灯のように駆けめぐり、思わず涙が頬を伝って落ちる。
気持ちが落ち着いてきたら今夜からは、一番新しい芸妓として、
祇園での新しい生活の幕があがる。


  
第18話につづく

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