落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第16話 お風呂のはなし、その2

2014-10-18 10:35:42 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

  

おちょぼ 第16話 お風呂のはなし、その2




 「逆を狙う賢い妓がおんねん。
 どういうこっちゃて云うと、昔は祇園でも舞妓ちゃんの数があまりにも多すぎて、
 ちやほやされる時代やおへんどした。
 器量の悪いのんや舞の下手な妓は、中々お花※が売れへんのどす。
 今では考えられへんことどすけど、都をどりも出られへん妓がぎょうさんいたらしおす。
 そこで、そういう妓はどうするかて云うと、朝は毎日お茶屋はん巡りをして、
 『お母はん○×どす、よろしゅうお頼申します』そう、先ず名前を覚えて
 貰わなどうしようもおへん。
 それにおかんにしても、毎日毎日通うて来るといじらしゅうなって来ます。
 何かの折りに、そやあの○×ちゃん呼んだろか、ちゅうことになりますわなぁ。
 そこで、お風呂でも同じようにこの手を使うんどす。
 つまり、ぎょうさん来やはる時間をわざと狙ってお風呂で待ってんのどす。
 で、来やはったおかんに『お母はん背中流さして貰います、どこそこの○×どす、
 ○×どす、よろしゅうお頼申します』て、
 まるで総選挙の連呼みたいに、背中で云うのんどす」


 「うわぁ~。凄い執念です。
 舞妓にも過去には、そんなに激しい売り込み競争の時代が有ったのですか。
 涙ぐましい努力ですねぇ。で、効果は有ったのですか、その後に」



 「他人事みたいに呑気に聞かはるなぁ、あんたも。・・・・まぁ、よろし。
 お風呂でのこんな涙ぐましい努力の話を聞いたら、切のうて泣けてきまっしゃろ。
 売れへん妓は、人並以上に努力せなあきまへん。
 その結果、お稽古も熱心にしやはるし、愛想もようなってきます。
 逆に顔立ちがええ妓はほっといても、お花が売れますさかいに段々と横着になって、
 これが自分の実力なんやて、勘違いするようになってしまいます。
 何年か経ったら、その差ははっきりしますわなぁ。
 持って生まれた美しさちゅうのんは段々と古うなりますし、
 祇園では次から次と、若い美しい妓が出てきます。
 美人の盛りの時期は、あっちゅう間どす。
 それに比べて身につけた芸ちゅうもんは、年が経つほどに磨かれていくもんどす。
 そら器量が良うて、努力家ちゅうのんが理想的やと思いますけど、
 うちが思うに舞妓ちゃんになる条件は、決して顔立ちだけやないて思うんどす。
 器量の悪いのんをバネにして、努力するちゅう根性があるかないかの問題やて思います。
 こら、舞妓ちゃんの世界だけやおへん。
 自分が大事にされへんのは、綺麗に生んでくれへんかった親のせいやとか
 云う子がいてますが、そういう子に限って努力はしたぁらしまへん。
 人間。努力したらきっとそんだけの報いはあるて、わたしは考えてますえ」



 話を聞き終わった清乃が、半信半疑に小首をかしげている。
どうやらあまり納得をしていないようだ。
話を終えたお母さんが、「若いあんたには、まだわからやろう」と笑う。



 「無理に理解せんでもええ。幼いあんたには、まだ早すぎる話や。
 インターネットを見て若い子が舞妓に憧れて、祇園へ大挙してやってくる時代や。
 ひと昔前とは、ずいぶんと考え方も変ってきた。
 そやけど、何事に関しても、絶対に諦めたらあきへんえ。
 諦めたらその時点でぜんぶがおしまいや。
 17~8歳で舞妓になることを諦めたら、そこから先はただの普通の女の子や。
 けど諦めが悪くて辛抱しながら努力を重ねると、うん十年後には、
 こないに屋形の女将におさまることもある。
 お風呂の話は、実は、わたしの若いころの懐かしい話や。
 何十人もいた同期もこの歳になると、残っているのはほんの数人。寂しいもんや。
 どや、俗にいう『勝ち組』の話やで、少しは参考になったんかいな?」



 ※お花  花代ちゅうて、芸・舞妓ちゃんを呼んだときの料金のことです。
5分を1本ちゅうて勘定します。1本幾らかは、そんときの状況次第です。
値段は屋形のおかんが、鉛筆舐めながら決めるんどす。

  

第17話につづく

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おちょぼ 第15話 お風呂のはなし

2014-10-17 10:58:00 | 現代小説
 
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

  

おちょぼ 第15話 お風呂のはなし


 
 「お風呂のお話どすか。ははぁ、おおかた佳つ乃(かつの)の入れ知恵どすな。
 構おりませんが、いまとはずいぶん時代も風習も違います。
 ほんでもよければ、聞かせます」


 風呂から上がって来たばかりのお母さんが、ぺたりと畳に座り込む。
「退屈な話どすぇ~」と、清乃を横目で見る。
久々の屋形の休日だ。大勢いるはずの姐さんたちも、今日は誰も姿を見せない。
そんな隙を狙い、清乃がお母さんに「お風呂」の話をせがんでいる。



 「今どきはどこの屋形にも内風呂がおますさかい、銭湯へ出かける舞妓は殆どおへん。
 けど、一昔前までは、みんな銭湯へ出かけて行ったもんどす。
 昼下がりに、浴衣がけで石鹸の匂いがする舞妓ちゃんらが歩いてるとこなんか
 なかなかに風情がおしたけどねぇ。
 すこしばかり柄の悪いお客さんは、お金払うてもええさかい、
 そんなとこの番台に一度でいいから座りたい、と笑いながら云うたはります。
 名前は忘れてしもうて今はもうおへんけど、祇園には女風呂だけちゅう
 お風呂屋さんがおました。
 お客はんはもちろん、祇園のお姉さん方ばかりどす」


 「そういえば、四条大橋の一本南の団栗橋を東に下がったところに、
 団栗湯というお銭湯があります。
 つい先日も、お友達の千恵ちゃんと行ってきたばかりです。
 サウナ、水風呂、電気風呂、薬湯などといろいろあって、のんびりと楽しめます」


 「あんた。休みの日に、そんな場所で時間を潰しておるんかいな。
 これから祇園を背負って立とうという舞妓が、そんな庶民の銭湯で遊んではいけん」


 「駆けだしの私が庶民の銭湯に行くと、何か問題が大きくなりますか?」



 「これ、口を慎みなさい。話に角を立てたらあきまへん。
 なにかにつけて、ひとこと多いのがお前さんの悪い癖です。
 そうですねぇとニッコリ笑い、大人の話を余裕をもって聞き流しなさい。
 さて、銭湯の話のつづきです。
 実は、このお風呂へ行くタイミングというやつが、難しいのんどす。
 新人の舞妓にとっては周りは全部、姐さんや先輩ばかりどす。
 『着物着たはるおなごはんみたら、とにかく頭下げときなはれ」て云われるくらいどす。
 そんな妓が何も考えんと、お風呂へ出かけたらえらい目に合うのんどす。
 さあ上がろかいなと思うたとこへお母はんとか、お姉さんがたとかが
 ぞろぞろと入って来はります。
 『お先どす、姉さん』と逃げる訳にはいかしまへん。
 『背中流さして貰います、姉さん」で、仕方なく背中をゴシゴシゴシ流します。
 ようやっと終わったて思うたところへ、また次のお姉さんがやって来る。
 運がわるいと次から次へと入って来て、中々お風呂から出られしまへん。
 揚げ句の果てに、湯あたりで倒れた舞妓ちゃんもおったそうどす」


 「要領が悪すぎますねぇ、その女の子は。
 わたしだったらとっと途中で切り上げて、うまい具合に逃げてみせます」


 「だからお前は駄目なのさ。いいから黙って、わたしの話の続きをお聞き。
 舞妓ちゃんだって、最初は要領が悪いもんさ。
 けどしばらくすると、銭湯での要領がだんだんとわかって来る。
 お母はん、お姉さん方がお風呂屋へ行く時間ちゅうのは、大体決まっとります。
 せやから、ぎょうさん行かはる時間帯を避けて、少ないときに行くのんどす。
 生活の知恵どすなぁ。
 けど中にはその逆を狙う、つわものの舞妓もいたんどす」


 「逆を狙う?。また、ずいぶんと物好きな舞妓さんですねぇ・・・。
 けどそれは、いったいどういう訳なのですか!」


 清乃の真剣な目の様子に、「しめた。食いついてきましたね」とばかりに、
置屋のお母さんが、ニコリと目を細めてほほ笑む。

  
第16話につづく

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おちょぼ 第14話 花街の贔屓

2014-10-16 10:30:40 | 現代小説
 
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第14話 花街の贔屓




 祇園のお座敷は、お茶屋によって取り仕切られる。
お茶屋はお客からの依頼に従い、意向に沿って料理や芸妓たちを手配する。
要望を形にしてお客に提供することが、お茶屋の仕事だ。

 置屋へ連絡をいれ、芸妓や舞妓をお座敷に呼び寄せる。
客に気に入ってもらえればまた次の仕事につながるが、アピールが不充分ならば
次の指名はもらえない。
芸妓も舞妓もお座敷に立つたびに、真剣勝負を要求される。


 誰でもいいから、とりあえず舞妓を2~3人呼んでくれという要望であれば、
誰を呼ぶかはお茶屋が判断する。
当然、お客が満足してくれる舞妓を呼びたいとお茶屋は考える。
挨拶。気立て。礼儀作法。容姿の良さ。舞の出来などが選考の基準になる。


 たいていは、お茶屋と付き合いの深い置屋から、条件に合う舞妓が選ばれる。
置屋を兼ねているお茶屋もあるので、そうした場合は当然のこととして、
お茶屋所属の舞妓たちが優先して選ばれる。
いずれにせよ、舞妓たちはお茶屋に日頃からまめに挨拶をして、好印象を
持ってもらう必要がある。


 仕込みの間は置屋だけでなく、祇園の街全体が成長具合をつぶさに見ている。
この子はモノになると見込まれれば、より厳しく躾けられることになる。
そうした贔屓が何かにつけて、いたるところで顔を出す。
同期の仕込みなのに、置屋の娘というだけで待遇が異なってくるという例もある。
いろんな場面であの人だけヒイキやわ、不公平だと、腹が立つことも出てくる。



 「自分がなんぼ正しくても、周りが認めてくれへんこともあんのどす。
 陥れられて、要注意人物という評判を立てられてしまうこともあります。
 目上の人の面子を潰してしまうと、そういうことが起こります。
 相手の面子を立てる言葉に上手に翻訳して、自分の気持ちを伝えらなければなりまへん。
 出しゃばり過ぎると、おぶ屋はんから贔屓にしてはもらえません」

 なにかにつけて正義感を爆発させている清乃に対し、佳つ乃(かつの)が
やんわりと意見をしている。



 「学校ならばあんたみたいに、正しい言動が求められます。
 また、自分の意見をはっきり言うことも大事なことどす。
 平等と公平が当たり前のことで、感性の違いは個性として扱われるでしょう。
 学校で先生が生徒をヒイキすることはご法度どすが、この花街はまるっきし別の世界どす。
 お客はんが贔屓にしてくれなければ、舞妓としての生活が成り立ちません」


 どうや、と言う顔つきで佳つ乃(かつの)が清乃の顔を覗き込む。


 「でも悔しいんです、あたしは。
 容姿のいい子ばかりが、チヤホヤされて可愛がられています。
 でもあの人たちは、ホントは、要領が良くて意地悪なのです。
 あたしの方が芸もできるし舞も上手だし、真面目で一生懸命に頑張っているのに、
 それを誰も認めてくれないんだもの、ホントに、嫌になってしまいます」


 清乃が仕込みの同期でも、自分よりも良い着物を貸与されている子に腹を立てている。
いつも自分ばかり、しんどい仕事を言いつけられるていると、勘違いをしている。
お姐さんがこれ見よがしに、他の子にばかり親しく優しくしているように見えてしまう。
しかし、贔屓することが当たり前というのが、祇園と言う世界だ。


 「あんたは辛抱が足らへんなぁ」と、佳つ乃(かつの)が目で笑う。



 「辛抱する木に花が咲くんやでぇ。毎日腹を立てて、そないな顔ばかりしててみぃ。
 誰も相手にせんし、声もかけてくれなくなるわぁ。
 誰が一番かは、そのうちに自然にはっきりとして来ます。
 あんたは自分の将来のために、涼しい顔で辛抱することを覚えなければいけん。
 誰にも愛されてこそ、いつか自分の未来が開ける。
 うちだって、贔屓にはずいぶんと泣かされてきたもんや。
 けど、その程度のことでこけたらいけん。
 泣きたくなったらこっそりと、深夜の鴨川で涙を流すんや。
 鴨川の水は、昔から舞妓の涙で毎晩、水量が増えると言われています。
 そうしてみんな一人前になるんや。たんと泣いたらええ。
 そしたら次の日、みんながびっくりするような可愛い笑顔が生まれてくるわ。
 そうや。お母はんからお風呂の話をおせてもろうたらええわ。
 目からウロコや。ウチもお母はんから、ずいぶんと元気をもろたもの」

 
  
第15話につづく

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おちょぼ 第13話 見世出しの日

2014-10-15 11:16:58 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第13話 見世出しの日




 清乃についに念願の、見世出しの日がやってきた。
丹後の久美浜に住む叔母夫妻も、お祝いのために朝早くから駆けつけて来た。
清乃は今日、周りから祝福をされて、夢にまで見た舞妓になる。


 自分の鏡台の前に座り、震える指先で仕度を始める。
鬢付け油を手のひらにひろげ、顔に薄く伸ばしながら丹念に塗っていくのだが、
慣れないうちは、これがうまく塗れない。
大切な今日ばかりは、プロの化粧師とお姉さん芸妓たちに手伝ってもらう。
総がかりで清乃の、晴れの日の顔を創り上げていく。



 襟足(えりあし)は、晴れの日の三本衿になる
襟足というのは、うなじの部分に白く塗り残した化粧のことだ。
通常の襟足は、Wの形の『二本足』。
黒紋付を着る正装の時にだけ、塗り残したときの形が通常の「二本足」から
「三本足」にかわる。


 昔から「うなじの綺麗な女性は美人」といわれてきた。
江戸時代。うなじを綺麗にみせるために流行りだしたお化粧の、
なごりやとも言われている。
舞妓と芸妓はゆったりと抜き襟にして、うなじと背中側を大きく露出する。
露出したうなじを美しく見せるため、襟足に、二本足の化粧をほどこす。



 「見世出しの割れしのぶ」に髪を結い上げ、下唇にだけに紅をさす。
デビューから1年未満の舞妓は、上唇に紅をさすことが許されない。
今日の為に新調された黒紋付に袖を通し、だらりの帯を締めれば新人舞妓が完成をする。

 屋形の一室で姉さん芸妓たちと杯を交わし、姉妹の契りを交わしたら
いよいよお見世出しの儀式が始まる。
「健康に気いつけて、いままで以上に精進をするんやでぇ」と姉さん芸妓の
佳つ乃(かつの)から、ドンと背中を押される。
清乃は昔テレビで観たことのある、舞妓誕生のワンシーンを思い出す。
(ウチもやっとのことでここまで来れた。憧れた舞妓になる夢がようやくのことで叶った・・・)
屋形の玄関を開けると、待ち構えていた人達から大きな歓声があがる。



 「おめでとうさん、これからもおきばりやす」


 舞妓になる事だけを夢見て、ひたすら頑張ってきた清乃はここでやっと自分が、
念願のゴールを果たした訳では無く、単に芸妓としてのスタート地点に立っただけだ
ということに、はじめて気がつく。
どんなに強い意思があとうと、自分の気持ちだけでは舞妓になれない。
舞妓の適性についてはいろいろ言われているが、大前提とされる条件のひとつが
「常に健康である事」だ。


 舞妓の仕事は、想像を絶する重労働だ。
公休日は月に2日だけ。その休日も、頼まれれば仕事に出る。
お座敷の仕事は、ほとんどが深夜に及ぶ。
そんな生活を毎日頑張れる体力が、舞妓には必要とされる。
たとえば、華やかな都をどりの時期になれば、早朝からをどりのための準備がはじまる。
日中は都をどりを舞い、日が暮れれば夜中まで贔屓筋のお座敷を駆けまわる。
出たての舞妓に、休む暇などはまったく無い。
舞妓と言う仕事は健康で丈夫な身体を持っていなければ、とても務まらない仕事だ。


 中にはせっかく頑張りぬいて、舞妓になったというのに健康上の理由から、
志半ばで、花街を去っていく妓も出てくる。
残念な事だがこれもまた、どうにもならない花街という世界の厳しい現実だ。


 清乃は男衆に先導されながら、祇園の花見小路をさっそうと歩く。
背中からの逆光が後光のように見えるのは、笑顔がまぶし過ぎるからだ。
緊張よりも笑顔が先に出るところに、この子の持っているスター性が漂っている。



 祇園甲部と言えば、「一力」が有名だ。
まずはここから清乃の「新人どす。よろしゅうお願いします」という挨拶がはじめる。
さらにたくさんのお茶屋さんのもとへ、せっせと足を運んでいく。
稽古で世話になった芸事のお師匠さんのところへも、わすれずに顔を出す。


 敷居を超える瞬間、黒紋付の重い裾をさばきながら、左足から
「おこぼ」をちょんと通りへ踏み出す。
だが、舞妓に油断は禁物だ。
舞妓の履くかかとの高い「おこぼ」は、ちょっとした段差が命取りになる。
黒塀を背中に、段差を降りようとしたその瞬間、高いおこぼがバランスを崩す。
ぐらりと傾いた清乃の身体を、慌てて男衆が支えようと身構える。
だが、かろうじておこぼを踏み停めた清乃が、「セーフどす~」と可愛い指で
V字のサインを作る。


 「気ぃつけぇやぁ~。先は長いでぇ」とやじ馬たちから、どっと声がかかる。
「はぁ~い。心配おまへん。おおきにぃ~」と、愛嬌たっぷりの笑顔を見せてから、
清乃がお茶屋の黒塀の前で、くるりと一回、華麗に回って見せる。


 
  
第14話につづく

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おちょぼ 第12話 都をどり

2014-10-14 10:29:58 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第12話 都をどり



 「ヨ~イヤサ~」の掛け声とともにはじまる、春の「都をどり」。
京都の春は、祇園甲部の都をどりから幕をあける。
祇園甲部に籍を置くすべての芸妓と舞妓たちは、練習期間から含めると、
およそ2ヶ月あまりを、ほとんど休み無しで緊張した稽古と舞台の時間を過ごす。


 新人仕込みも、姉さん芸妓や舞妓の雑用に追われて大忙しになる。
忙しくなれば当然のこととして、失敗が増えて叱られる回数が多くなる。
気分も滅入り、ナーバスになってくる。だがそのかわり、良い出会いもやって来る。
都をどりの楽屋には、すべての屋形の仕込みたちが集まってくるからだ。


 普段は、舞の稽古場でしか会うことのない新人同士だ。
同じ境遇を過ごしている仕込みたちは、磁石で吸い寄せられる様に、
隙を見つけては、楽屋の片隅に集まる。
誰からともなく、抱えている悩みごとを喋りはじめる。
はじめて体験する都をどりは、仕込みたちにとってはひたすら辛い一ヶ月間だ。
だが楽屋の片隅で、桜の満開とともに仲良くなった同期の娘たちは、
やがて何でも相談しあえるかけがえのない祇園の戦友として、長い心の友になる。



 都をどりの期間中は休みがないと書いたが、現実ははるかに読者の想像を超える。
期間中は、1日2回から4回の公演が続く。
都をどりは重いかつらと衣装を身につけているため、ダンベルを両手に持ち、
腹筋を繰り返しているような状態になる。
きわめて過酷な全身運動だ。
早い話が、強制されて痩せるためのダイエット運動を繰り返しているようなものだ。

1回目の公演は昼ごろからはじまり、最終回は夕方になる。
だが、祇園甲部の舞妓と芸妓たちの仕事は、これで終わるわけではない。
1日の公演の終了後に、芸妓たちの本来の仕事であるお茶屋でのお座敷が待っている。
ほっとできるのは、お座敷の仕事が終わる真夜中だ。
祇園甲部の女たちは、朝から晩まで、いや夜中まで、まったく良く働く・・・
本当にお疲れ様だ。



 祇園には、甲と乙が存在する。
祇園の花街を二分して、四条通りから南側のことをいまでも「祇園甲部」と呼ぶ。
北側のことを、かつては「祇園乙部」と呼んでいた。
戦後になってから、名称が「東」とあらためられ、祇園東と呼ばれるようになった。


 「都をどり」の会場として知られている祇園甲部歌舞練場は、
祇園甲部の芸妓や舞妓の踊りの練習場として、大正2年に現在の地に移転された。
それ以前は、花見小路通りの西側にあった建仁寺塔頭清住院が、明治6年に
歌舞練場として改造され、都をどりの歴史も此処を会場にして始まった。


 かつての歌舞練場の客席は、およそ1200席ほどあった。
だが、1階のいす席が外国人観光客には狭過ぎるため、810席から580席に数を減らし、
いすを広くして、余裕をもって座れるように改装されてたため、
いまでは全部合わせても、900席余りになっている。



 頑張るんやでぇ~と、顔見知りになった屋形の女将が、ポンと清乃の肩を叩く。
「緊張せんでもええで。肩から力を抜いて、笑顔を作るんや。
そうや。うちが祇園にいてた頃のエピソードを、ひとつ聞かせてあげるから」と笑顔を見せる。
緊張でガチガチに固まっている仕込みたちが、いっせいに女将の周りに集まってくる。



 「今年で142回目になる都をどりで、たった一度だけどすが、
 素人さんが出はった年があるんどす。
 うちが出たての舞妓で、初めて「都をどり」をつとめた舞台どした。
 素人さん言うても、長年にわたり井上流をしてはった名取さんたちばかりどす。
 14人ほど、おでやになりやした。
 ところがベテランのはずのみなさんが、手を繋ぐ場面でビックリさせられました。
 みなさん、同じように手が震てはるんどす。
 うちらは出たてで、舞は下手ですが、毎日何回もお客様の前で舞ぅてるさかい
 以外と震えることはあらしません。
 それともうちらの神経が、ただ図太いだけなのか・・・ようわからんことですが。
 その頃は1日に4回の公演で、最終の3日間は、5回の公演です。
 素人さんは1人10日づつ出てはったけど、うちらは26日の間っずっと出っ放し。
 舞台終われば楽屋で急いで着替えて、パーツとお座敷にダッシュどす。
 『私ら10日でヒィヒィ言うてるのに、芸妓さんや舞妓さんは凄い!』て言うてはりました。
 で次の年は懲りはったんか、まったく素人のひとたちが集まらず、お流れとなり、
 結局は、その一回だけになりました。
 あっ!1人だけいはった。
 ニュースで知り、どうしても都をどりに出たいからと、わざわざ北海道から
 習いに来てはって、次の年、素人さん無いので気の毒だと、出してあげはったんです。
 その年と、次の年だけどしたなぁ。
 なかなか素人さんが舞台をつとめるのは大変やのどっせ。
 たしか、昭和54・55年頃の古い話しどす。
 あんたら、プロにしかつとまらん舞台に出はるんでっせ。気張らな、あきませんな!」

  
第13話につづく

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