落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (34)       第三章 ふたたびの旅 ②

2016-08-24 09:33:50 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (34)
      第三章 ふたたびの旅 ②




 次の日の朝。幼なじみの富五郎と清五郎がやって来た。
長脇差こそ差していないがどこからどう見ても2人とも、遊び人の風体をしている。
派手すぎる着流しを見て、忠治が眉をひそめる。


 「なんでぇお前ら。
 いまだに足も洗わず、まだ、勘助一家の子分をやっているのかよ。
 俺は博徒になるのはやめた。
 ゆうべお鶴と約束した。
 本間道場へ通い、道場をひらくため、また頑張ることにした」



 「ふぅ~ん。やっぱりお前は、道場主を目指すのか。
 お鶴さんをさんざん泣かせんだ、それもいいだろうぜ。
 だがよ。俺らはもう勘助一家の子分じゃねぇ」



 「子分じゃねぇ?。なんだ、それは、いってぇどういう意味だ。
 俺がいない間に、勘助親分になにか有ったのか?」


 「大ありよ。
 それも情けねぇくれえの、呆れた話だ」



 富五郎の鼻の穴が大きくふくらむ。鼻息が荒くなる。
この男は怒ると鼻の穴が膨らむ。
それほどまで喜怒哀楽が、はっきりしている。



 「おめえが居なくなって、すぐのことだ。
 久宮一家の連中が、おおぜいして田部井と国定村へ押しかけて来た。
 仇をとるため、おめえを探し回ったんだ。
 そいつを見て、勘助が震えあがった。
 もとはといえば、実から出た錆びだ。
 勝手に賭場をひらいていた勘助のもとへ、久宮一家の客人が難癖をつけに来た。
 留守にしていたため助かったが、あとが悪かった。
 名主の家まで乗り込んで、脅しにかかった無宿者をおめえが一刀のもとに斬り捨てた。
 感謝していいものを、勘助の野郎ときたら、俺たちを見捨てた。
 自分の身が危なくなったもんで、一家を見捨ててさっさと三室へ帰っちまった。
 いまじゃ代官所の役人におさまっているそうだ。
 それどころか、あたらしい嫁さんまでもらったという噂だ」



 「ほう、勘助ってのは、ずいぶんと変わり身の早い男だな。
 2足のワラジなら聞いたことは有る。
 だが、博徒が役人になっちまうとは初めて聞いた。
 そういえば勘助のところに、10歳くらいのガキが居たはずだ。
 勘助のことを叔父貴と呼んでいた、竹やりを持った、小生意気なガキが?」


 「浅のことか。そいつなら勘助と一緒に三室へ帰っていった。
 とはいえ、あの野郎のことだ。
 ホントウの父親の元へは戻らねぇだろう。
 あの野郎ときたら、女のいう事なんかまったくきかねぇ、跳ねっ返りだからな。
 どうせまた勘助のあたらしい嫁の下で、苦労をしていることだろう」



 忠治が、竹やりを振り回していた浅の姿を思いだす。
小生意気なガキだったが、母親に恵まれていない境遇が不憫だった。


 (そうか。浅のガキも勘助といっしょに三室へ帰ったのか・・・
 となると、いま田部井村をおさめているのは、いったいどこの誰でェ?)



 忠治の疑問に、清五郎が答える。
この男は、昔から機転が利く。
忠治の疑問を瞬時で見抜く、独特の嗅覚をもっている。


 「国定も田部井も、いまは完全に久宮一家の縄張りになっちまった」


 「どういう意味だ。
 前からこのあたりは、久宮一家の縄張りだったはずだろう?」


 「そうじゃねぇ。
 久宮一家が出張って来るのは、祭りのときだけだ。
 それが今じゃ月に三、四回、堂々と賭場を開いていやがる。
 久宮一家の若い連中が我がもの顔で、一日中、村の中をウロウロしていやがる」



 「なんでまた、そんな風になっちまったんだ」


 
 「おめえのせいだ。忠治。
 おめえを助けるため、名主さんや玉村の親分が動いたことは知っているだろう。
 久宮一家と話をつけたとき、賭場を見逃すという条件が含まれていたんだ」

 
 「なんてこったい。
 俺のせいで久宮一家がのさばる結果になったのか・・・
 そりゃすまねぇ。こんなことになっているとは、夢にも思っていなかった」



 「いいってことよ。全部がおめえのせいじゃねぇ。
 だがよ。これ以上、久宮一家に好き勝手させておくのは俺たちも面白くねぇ。
 どうだ、忠治。
 おめえが親分になって、一家をたちあげねぇか。
 そうすりゃ久宮一家に対抗できる、あたらしい一家が国定村に誕生する」



 「俺が親分になって国定村に、あたらしい一家を立ち上げる?
 本気なのかよ、おまえら・・・」


(35)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (33)       第三章 ふたたびの旅 ①

2016-08-23 11:26:13 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (33)
      第三章 ふたたびの旅 ①



 「忠治が帰って来るぞ!」噂がまたたく間に、
国定村と、となり村の田部井(ためがい)を駆けめぐる。
忠治はまだ、旅の途中を歩いている。
武州高萩から上州の国定まで途中で、荒川と利根川の2本の大河を超える。



 健脚でも、3日はかかる。
遠くに見えていた赤城山が、進むにつれて大きくなる。
見慣れた赤城の峰が近づいてくるたび、前へすすむ忠治の足が速くなる。
1年のご無沙汰だが、見慣れた山容が近づいてくると何故か嬉しい。


 (久しぶりに見る赤城の山だ。目に沁みて、懐かしいな・・・
 へっ、柄にもなくおいらの胸が、今日に限ってしめっぽくなっていやがる)



 宿も取らず、夜通し忠治は歩きつづける。
荒川から熊谷の宿を抜ける。
さらに利根川を渡ると、境の宿が目の前にひろがってきた。
百々(どうど)の紋次が、ここで一家を張っている。
しかし。いまの忠治に挨拶に寄っている余裕はない。
素通りを決めた忠治が、さらに北に向って足をすすめる。



 国定村の自分の家に着いたのは、2日目の陽が落ちる少し前だった。
すでに今日の仕事は片付いているようだ。
庭にも納戸にも、人の姿はない。
散歩から帰って来たような顔で、忠治が勝手口へ回っていく。
母親とお鶴が仲良く並んで、夕食の支度をしている。


 「いま、帰(けぇ)ったぜ」


 
 忠治の声に、あわてて2人が振り返る。
母親はポカンと口をあけたまま、手元を停めて、忠治の顔を見つめ返す。
お鶴も驚きを隠せない。
袖口からのぞいている透きとおった白い手が、小刻みに震えている。


 「よお、帰ってきたのう・・・
 はやく、お父に知らせてやるべぇ・・・」



 母親があわてて、仏壇に向かって走っていく。
走り去っていく母親の後ろ姿が、忠治には小さく見える。
忠治がお鶴に視線を向ける。
苦労をかけたせいだろう。お鶴もまたひとまわり小さく見える。



 「お帰り。もう2度と会えないと思ってた・・・あたし」



 お鶴の声がもれて来た。感情を押し殺した声だ。
しかし次の瞬間。お鶴の身体がふらりと揺れる。
そのままお鶴の身体が、忠治の胸の中へ倒れ込んできた。
忠治があわてて受け止める。


 「馬鹿・・・2度と何処へも行かないで。
 あたし。恥ずかしくって実家へも帰れないんだから・・・」



 「悪かった。もう2度と離さねぇ。俺はおめえのそばへずっといる」


 「ホント・・・嬉しい」



 お鶴の目が輝く。
「嘘じゃねぇ」忠治の腕が、力強くお鶴の痩せた身体を抱き寄せる。
髪の匂いが、懐かしく、忠治の鼻へ漂ってきた。
1年前。忠治はこの匂いを毎晩嗅いでいた。



 「もう。絶対に離さねぇ・・・」忠治が、満身の力でお鶴を抱きしめる。
忠治の身体の奥から熱いものがこみあげてきた。
それはお鶴も同じだ。
ピタリと重なったお鶴の身体から、女の匂いが立ちこめてきた。



 (こいつにゃ苦労をかけちまった。
 なにも、博徒になるだけが人生じゃねぇ。
 こいつのためにもう一度、人生をやりなおしてみるか・・・)



 そんな想いが、忠治の脳裏をかすめていく。


(34)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (32)       第二章 忠治、旅へ出る ⑰

2016-08-22 12:34:50 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (32)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑰




 万次郎の弟分になったことで、忠治はすっかり渡世人の気分に浸っていた。
腕を磨き、道場主になる夢などとうの昔に忘れていた。
毎日がとにかく楽しかった。



 万次郎のやる事なす事。
すべて手本にするため、四六時中万次郎について回った。
それほど若い万次郎の振る舞いは、忠治の目にさっそうと映った。
自分のことを親分と呼ばせず、旦那と子分たちに言わせていることも気に入った。
一家を張ったら俺も真似してやると、密かに心に決めていた。



 桜の花が散り、暑い夏がやって来た。
まわりの山々の木々が色づき始めた頃、旅支度の英五郎が高萩村へやって来た。
挨拶が済んだ頃、忠治が英五郎の座敷へ呼ばれた。



 「なんでぇおめえ、その恰好は。
 それじゃ、どこからどうみても遊び人だ。
 忠治おめぇ。本気で、博奕打ちになるつもりかい?」


 ひと目見た英五郎が、眉をひそめる。
それほど久しぶりに見る忠治は、様変わりをしている。
遊び人風の格好が板についている。
英五郎の強い視線から目を離さず、忠治が「へぇ」と中途半端にうなづく。



 「呆れたなやつだなぁ、おまえってやつも。
 堅気になれとあれほど言っておいたのに、なんてぇザマだ。
 そういう俺も、人様のことをとやかく言える立場じゃねぇがな。
 人殺しの兇状持ちだからな。俺も」

 
 「親分。あらためてお願いします。俺を子分にしてください」


 
 「駄目だ。俺は旅の途中だ。子分を持つつもりもねぇ。
 大前田の盃が欲しければ、俺の兄貴のところへ行くんだな。
 だがな。三下からやりなおしをするようだ。
 万次郎と兄弟分になったお前が、いまさら三下からはじめるわけにはいかないだろう。
 とりあえず国定村へ帰り、よく考えることだな」


 「えっ・・・、国定へ帰れるんですか!」



 「玉村の親分から知らせが来た。すべてうまく片付いたそうだ。
 いつ戻ってきても大丈夫だと書き送って来た」



 「ホントですか・・・ホントなら、こんな有りがたいことはねぇ」



 「おめえが国を出てまもなく1年になる。
 しかし。こんなに早く帰れるようになるとは、驚きだ。
 おめえのオヤジは、徳の有った人らしい。
 世話になった大勢の人たちが、おめえのために必死で動いてくれたんだ。
 亡くなったオヤジさんや、まわりの人たちに感謝して、
 国定村へ帰ることだな」



 「へぇ・・・」忠治の顔色が良くない。
帰れることは嬉しいが、胸にまだ、わだかまっているものが有りそうだ。



 「もう堅気の生活には戻れねぇって顏しているな、忠治。
 仕方がねぇなぁ。境宿のとなりに、百々(どうど)村ってのがある。
 知ってるか?」



 「へぇ。国定から6里ほど南です」



 「そこに俺の兄弟分で、紋次ってのが一家を張っている。
 なかなかいいやつだ。
 三下修行なしで子分になれるよう、俺が紹介状を書いてやろう。
 どうだ。それなら不満はないだろう」



 このときのやりとりが、その後の忠治のすべてを決めた。
忠治が国定村を出て1年。侠客としての未来が忠治の前にひらけてきた。
ゴーサインを出したのはもちろん、目の前に居る大前田村の英五郎だ。


 堅気に戻れと言ったものの、凶状持ちに堅気の未来はない。
そのことは凶状持ちである英五郎自身が、身に沁みてよくわかっている。
しかし。17歳の若者が侠客の道に落ちていくのはしのびない。



 説得をこころみたものの、忠治のこころは変らないようだ。
このとき以降。忠治は上州が産んだ侠客・大前田英五郎を終生、心の師として
あおぐようになる。



 第二章 完
 
(33)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (31)       第二章 忠治、旅へ出る ⑯ 

2016-08-09 09:18:27 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (31)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑯ 



 
 剣術の指南役として忠治を誘った男、高萩万次郎は江戸時代後期から
明治初期にかけて活躍した武州の博徒。
武蔵国高萩(現在の埼玉県日高市高萩)の出身で姓は清水、名を喜右衛門と名乗った。
旅館を経営しており、屋号は「鶴屋」。


 父の弥五郎は名主を務めており、万次郎は名家の長男として生まれた。
侠客の高萩伊之松の勢力を継承したといわれており、居住地である高萩上宿を中心に
早い時期から「高萩一家」を構えた。
武州きっての侠客として勢力を伸ばし、やがてその名が全国へ知られていく。


 縄張りである飯能には、関東一といわれる高市が立つ。
万次郎は遠方に出張所を設けて、勢力を伸ばした。
東海道には、原と三島の2ヵ所。
中山道の天神橋と上尾にも縄張りがあり、それぞれに子分を派遣して
管理をさせた。



 凶状手配を受けていた清水次郎長を、高萩上宿の「鶴屋」で匿ったことがある。
そのため次郎長は、晩年まで万次郎を「親分」と呼び続けた。
万次郎も「次郎長」と呼びすてて終生、可愛がったというエピソードが残っている。


 万次郎の屋敷は、広い敷地に囲まれている。
母屋の裏に、蔵がいくつも建っている。
敷地の片隅にあたらしい家を建て、万次郎はそこで新進の一家をはっていた。
賭場も、このあたらしい家の中で開いている。



 忠次は万次郎と四分六の盃を交わし、晴れて弟分となった。



 「これで俺たちは兄弟分だ。
 遠慮はいらねぇ。好きなだけここへ居るがいいぜ」


 「すまねぇ、兄貴」



 「どうってことはねぇ。おめえの度胸のよさに惚れただけだ。
 叔父御が目をかえているくれえだ。
 おめえはそのうち、叔父御を追い越すような立派な親分になるだろう。
 そんときゃ俺もおまえを訪ねて、上州へ遊びへ行くぜ」


 「あのう・・・叔父御というのは、いったい誰のことですか?」



 「叔父御というのは英五郎親分のことだ。重五郎親分は俺の兄貴分だ。
 その兄貴の兄貴分が、英五郎親分だ。
 雲の上の人だ。
 とてもじゃねぇが、気安く兄貴や兄貴分とは呼べねぇ。
 だから俺は英五郎さんのことを、叔父御と呼んでいるのさ」


 「なるほど、叔父御ですか。
 で、その英五郎親分は俺のことを、何とか言っていましたか?」



 「おめえのことか?。褒めているのに決まってんだろう。
 叔父御が藤久保村にいるという噂を聞いて、盃をもらいに来る奴はおおい。
 だが叔父御はみんな追い返している。
 いくら頼んでも、三下奴にもしねぇからな」



 「俺も断られました」



 「そうだろう。だが、そう案ずることもねぇだろう。
 断られたとはいえ、おまえさんは3ヶ月近くも叔父御のそばに居たんだ。
 周りの目は子分になったと見るだろう。
 それよりも、頑張って俺の子分どもをビシビシと鍛えてくれ。
 お前さんには、おおいに期待をしているぜ」



 「へぇ。そいつは、任せてください」忠治が胸を、ドンと叩く。



 忠治が、万次郎のひろびろとした屋敷をぐるりと見回す。
高萩村は、すこぶる居心地が良い。
いままで世話になった重五郎のところから比べれば、天と地の差が有る。
若くて有能な親分が頂点に立っているからなのだろう。
子分たちもどことなく活気が有るし、いつもはつらつとしている。


 (今日からここが、俺の新天地になるのか・・・)


(32)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (30)       第二章 忠治、旅へ出る ⑮

2016-08-07 11:43:56 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (30)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑮



 秋から始まった忠治の修業が、3ヶ月をこえた。
季節が変った。武蔵野に冬が来て、藤久保村にあたらしい年がやって来た。
重五郎の屋敷に旦那衆や親分たちが、新年の挨拶のために集まって来る。
その中に、背の高い高萩村の万次郎という男がいた。



  万次郎は博奕が大好きで、重五郎の賭場によく出入りしていた男だ。
勝負の潔(いさぎよ)さと、度胸の良さを買われて、重五郎の弟分になった。
23歳という若さだが、おおぜいの子分を引き連れて、悠然と挨拶にやって来た。



 (世間はひろいな。23歳でいっぱしの親分とは、たいしたもんだ・・・)



 忠治の目の前を、大勢の子分を引き連れて万次郎が横切っていく。
三下は、親分衆と目を合わせてはいけない。
伏し目をしたまま、遠ざかるまでじっと見送らなければならない。
少しでも動こうものなら不忠の疑いありと、問答無用で袋叩きの目に遭う。


 その晩。お園が忠治を呼びに来た。
顔色が良くない。なにか心配ごとがあるようだ。



 「忠治。おまえ、何か粗相をしでかしたかい?。
 高萩村の万太郎親分がすぐ連れて来いと、おまえさんを呼んでるよ」


 「えっ、怒っているんですか。万太郎親分が、おいらの事を・・・」


 「そんな風には見えなかったけどね。
 でもさ。あんな見えて怒らせると怖いお方だからね。
 充分に気を付けるんだよ、忠治」



 「へぇぇ・・・」合点がいかぬまま、忠治が万太郎の部屋へ飛んでいく。
「すいません。およびでしょうか、忠治です」障子に向かって声をかけると、
「おう。待ってたぜ。遠慮しないで中へ入ってくれ」と、
万太郎の声が返って来る。



 「おめえの噂は聞いたぜ。
 いつまでも、三下なんかやっている柄じゃねぇだろう」



 何と答えていいかわからず、忠治が部屋の隅で固まっている。
長いキセルをくわえた万次郎が、「そんなとこへ座るな。話が見えねぇ。
いいから、こっちへ来い」と目で、目の前の座布団をさす。


 「俺が見た限り、おめえは人様の子分で我慢できるような玉じゃねぇ」



 万次郎は、忠治の本心をずばり見抜いた。その通りだ。
重五郎の下で三下修行をしているのは、英五郎の弟分である重五郎の盃をもらい、
故郷へ戻った時、箔(はく)をつけるためだ。
あわよくば兄貴分の英五郎の盃まで、もらう考えでいた。


 
 「どうでぇ。こんなところでくすぶっていないで俺んところへ来い。
 客分として優遇するぜ」



 忠治が自分の耳を疑う。
三下修行中の人間を、客分として優遇するなどまったく聞いたことがない。
からかっているのかと思った。
しかし、来いと言っている万次郎の顔は、どうみても真顔だ。



 「有りがたい話ですが、いってぇ、どういう風の吹きまわしですか?」


 「実はな。お前さんの腕を見込んで頼みが有る。
 誰かを殺してくれ、という話じゃねぇ。
 俺んところの若い者に、剣術を教えてやってほしいんだ」



 「へっ、剣術を教える?。こんな俺でいいんですか?」



 「おう。おめえの腕はたいしたもんだ。
 実はな。高萩にゃ剣術の道場がねえ。
 川越まで出てくればあるんだが、いかんせん遠すぎる。
 浪人者を雇ってもいいが、高い銭をほしがるわりに腕が悪すぎる。
 若いもんを育てあげたいが、なかなかうまくいかねぇ。
 ところがよ。
 年始の挨拶にやってきたら無宿者を殺したという、元気のいい若い者がいた。
 そいつは、おまえさんのことだろう、忠治。
 お前さんの噂は、俺の高萩村まで轟いている。
 そういうワケだ。
 人を殺したことのあるお前さんに、俺は白羽の矢をたてた。
 いまはまだ小さな一家だが、10年たったら俺は武州一の大親分になってやる。
 どうでぇ。ひと肌ぬいでくれるかい、この俺のために?」



(31)へつづく


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