落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (29)       第二章 忠治、旅へ出る ⑭

2016-08-05 08:33:04 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (29)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑭



 忠治の三下修行がはじまった。
三下とは、三下奴(やっこ)を略したもので、博奕打ちの最下位の者を指す。
目の出そうにない者のことを、三下野郎と呼んだ。


 サイコロの目が、3以下だと勝てる見込みがほとんどない。
ここから下っ端のことを、三下と言うようになった。
博徒やヤクザの下っ端、取るに足らない者たちも、同じように三下と呼ばれる。


 博徒たちは、三下を人間として扱われない。
飯だけは食わせて貰える。しかし賭場(とば)におけるテラ銭の分配はない。
したがっていつも銭がない。貧しいことこの上ない。



 銭が無いから遊ぶことはもちろん、酒も呑めない。
忠治のようにいままで銭に困らなかった者にとっては、耐えがたい状況になる。
しかし弱音は吐けない。やっとめぐって来た好機だ。
他の三下たちと同じように必死に、ただひたすらに、修行に励むより他は無い。



 重五郎の子分に、川越の万吉という男がいる。
お園の弟であるため子分の中でもやたらと威張り、いつも三下をいじめている。

 
 「やい、三下。
 人を殺したからって、いい気になってんじゃねえぜ。
 一人前の渡世人になるためにア、厳しい修行を積まなけりゃなんねぇ。
 何でも黙って俺の言うことを聞け。そいつがおめえの仕事だ!」



 万吉は忠次を目の敵にして、辛く当たる。
しかし忠次は歯を食いしばり、我慢してひたすら修行に励んだ。
三下の世界にも、上下の関係が有る。
大井村出身の権太という三下が、忠次のすぐ上にいる。 
権太は忠次より一つ年下の16歳。三下になって、まだ3ヶ月目の新米だ。
ひとつ年下で3ヶ月目の新入りでも、さらに新入りの忠治からすれば、
逆らうことのできない先輩にあたる。



 博奕打ちの世界における上下の関係は、とにかく厳しい。
親分・子分・兄弟分の関係にも、実は細かい分類が有る。
対等の「五分五分の兄弟分」もあれば、すこし上下に差のある「四六の兄弟分」、
あるいは「三七の兄弟分」などに分けられる。


 指名手配されているため、ほとぼりが覚めるまで逃げ回っている渡世人が
各地の親分を渡り歩くことを、「股旅」と呼ぶ。
この時。同業者であることを示す、特殊な挨拶をおこなう。
「仁義」と呼ばれる独特の口上だ。
一言でも間違えた場合、その場で斬られても文句が言えないというほど厳しい。


 宿泊をゆるされたときにも、食事のマナーから眠り方に到るまで、
細かい礼儀作法が決められている。
博奕打ちのおおい上州は、とくにこの礼儀作法に厳しい。
ゆえに初心者たちは、できるだけ上州をさけて通ることが多かったという。




 三下の朝は早い。
誰よりも早く起きて、朝の雑用を片付ける。
子分たちが食事を終えたあと、残ったもので自分たちの食事を済ませる。
休んでいる暇など、まったくない。
食事を終えた兄貴分たちから、次から次に命令が飛んでくる。
兄貴の命令には、絶対に服従だ。
どんな命令でも「へいっ」と応えて、実行しなければならない。



 「お園。お前が言う通りにしてみたが、ホントにこれでよかったんか?」



 「女の直感が騒ぐのさ。
 忠治は、あんたや、英五郎親分と同じ匂いがする子だ。
 あたしの目に狂いがなければ、あの子はきっと、上州で天下を取る。
 そんな気がしてならないよ。
 あたしの目に狂いがなければ、ね」


 「なるほどなぁ。英五郎の兄貴も、同じことを言っていたぜ。
 だが見かけによらずあいつには、気性の激しいところが有る。
 英五郎の兄貴は、『あいつは反骨心が多すぎる。
 手元に置いとくにゃ、アブな過ぎる男だ。
 おめえ。俺のかわりに少し様子を見てくれ。
 危険すぎるようなら、博奕打ちにしないで、やっぱり堅気に戻してやれ』
 と言っていたからな」



 「忠治は、英五郎親分を超えるような男に、育つかもしれないという意味かい?」



 「そう思っているんだろうな、英五郎の兄貴も。
 危ない獣(けもの)は手元に置かず、いつも、すこし離れた場所で飼う。
 そいつが兄貴の、いつものやり方だからな」


 
(30)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (28)       第二章 忠治、旅へ出る ⑬

2016-08-03 10:24:16 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (28)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑬



 
 「英五郎さんが断るのはわかるが、うちの人まで駄目だと言ったのは意外だね。
 おまえ。何か嫌われるようなことでも言ったのかい、うちの人に?」


 「いえ。何も言いません。そうじゃないんです。
 子分になりたきゃ、英五郎さんの許しをもらってこいと言われました。
 だけど英五郎さんは、故郷へ戻り、堅気として暮らしていけの一点張りです。
 どう転んでも、許可なんかくれるはずがありません」


 「あんたって子は腕がたつくせに、頭はからっきし駄目だね。
 正面からぶつかって駄目なら、裏口からこっそり入っていく手も有るだろう」



 「えっ、裏口から、入る?。どういうことですか?」



 「勝手に修行をはじめてしまうのさ。
 何かを言われても、俺が好きで始めたことだと言えば、それで済む。
 もうすこし頭を使うことだね。
 腕っぷしが強いだけじゃ、世間は渡れないよ。
 明日からうちの人の三下たちと一緒になって、修業をはじめるんだ。
 三下たちには、あたしがよく言っておくから」



 お園の提案で次の日から忠治は、三下修業をはじめることになった。
子分たちは、忠治が三下修行をはじめたのを見て、みんな驚いた。
人を殺し、上州から逃げてきたという噂を聞いていたため、てっきり英五郎の兄の
身内とばかり思い込んでいたからだ。
それが証拠に忠治は、日頃から英五郎に可愛がられていた。



 忠治は、重五郎の三下たちと一緒になり、勝手に三下の修行を始めた。
英五郎に怒られるかもしれないと毎日、ビクビクしていた。
しかし英五郎は、そんな忠治を横目で見ていくだけで、とりたてて何も言ってこない。
ホッとしていたのもつかの間。数日後に、重五郎からの呼び出しがやって来た。



 「しょうがねぇなぁ。おめえってやつも。
 俺の目を盗んで、勝手に三下修業なんかはじめやがって。
 だがよろこべ。
 おめえは今日から、正式に俺が預かることになった」


 「えっ、じゃ、俺を子分にしてくれるんですか!」



 「ばかやろう。贅沢をいうんじゃねぇ、子分じゃねぇ。最初は三下だ。
 子分になる前に1年から2年は、三下として修行を積む。
 生易しい修行じゃねえぞ。
 渡世人になりてえというのなら、その修行に耐えなけりゃなんねえ。
 俺が預かったからには、今までのような特別扱いはしねぇ。
 おめえは三下の中でもいちばんの下っ端だ。
 それでもいいというのなら、修行することを許可してやる。
 どうでぇ。やってみるか、忠治」



 「願ってもねぇことです」忠治が「お願いします」と頭を下げる。



 「よし。そうと決まったらお前は、早速、木賃宿を引き払ってこい。
 先輩の三下どもと一緒に雑魚寝するんだ。
 あっそれから、今日から三下の修行に入りましたと、兄貴にちゃんと挨拶してこい」



 へぇと答えた忠治が、満面の笑みで重五郎の屋敷を飛び出していく。
行く先は、お園のいる木賃宿。
大した荷物は無いが、身の回りのものを雑居部屋へ移しかえる必要がある。
大汗で飛び込んできた忠治を、お園が目を細めて出迎える。



 「おや。さっきまで鳴いていたカラスが、元気な顔で帰って来たね。
 やっぱり国定村の忠治は、元気な顔が一番だ。
 その様子からすると正式に、三下修行が許可されたようだね。
 頑張るんだよ忠治。ここからが本番さ」


 「へぇ姐さん。おかげで博奕打ちの道が、やっと開けやした!」



 「そいつは良かった。
 だけどお前には、国定村で道場を開くという夢があったはずだ。
 どうするんだい、そっちの夢は?」



 「そいつならもう、きれいさっぱり忘れやした。
 おいらの夢は、英五郎親分のような、男の中の男になることです!」



 「あらまぁ、切り替えの早い子だね、お前って子は。
 だけどね。一人前の博奕打ちになる道は、そんな簡単じゃないよ。
 下積みの修行に耐えた者だけが子分になれる。
 子分になれても、その先で、てっぺんまで登って行けるのはたったのひとりだ。
 あんた。いちばん高いところまで、登っていける男になれるかい?。
 頑張って男の中の男になってごらんよ。
 うふふ。そんときはご褒美に、あんたに抱かれてあげるから」



 「ね、姐さん。冗談も休み休み言ってください!。おいら、本気にします!」



 「あら、あたしゃ本気だよ。
 全部じゃないよ、半分だけどね、うっふっふ・・・」



(29)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (27)       第二章 忠治、旅へ出る ⑫

2016-08-02 11:09:08 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (27)
      第二章 忠治、旅へ出る ⑫




 「はぁぁ、そんなもんですか・・」
忠治が、不満そうにくちびるを噛む。
「しょうがねぇなぁおまえって奴も。もうすこしみんなに、感謝したらどうだ」
英五郎が、額の真ん中に深いしわを寄せる。
鋭い目がふたたび忠治をとらえる



 「いいか。よく聞け。おめえは運がいい。
 お前が水呑み百姓の伜だったら、いまごろは間違えなく役人に捕まっていた。
 首をはねられてたかもしれねえ。
 そうならなかったのは、おふくろさんの力だ。
 手紙には書いてないが、おめえを助けるために莫大な銭を使ってるに違えねえ。
 そこんところをよく考えるんだな。
 田部井村の名主さんも本間道場の先生も、おめえさんを堅気に戻すために
 あちこち走り回っているんだ。
 若え時の過ちは、取り返す事ができる。
 悪いことは言わねぇ。早まった考え方をするんじゃねぇ。
 博奕打ちになろうなんてことは、金輪際、絶対に考えるんじゃねぇ!」



 忠治の脳裏に、苦労している母親とお鶴の姿が浮かんできた。
自分のことしか考えていない身勝手さが、恥ずかしくなってきた。
人殺しの母親とか、人殺しの女房と言われているかもしれない。
村八分などにされていたら絶対に許さないぞと、忠治が強くこぶしを握りしめる。



 英五郎には子分になることを断られた。しかし忠治はあきらめない。
今度は重五郎に、子分にしてくれと頼みこんだ。



 「おめえは兄貴の客人だ。
 俺の一存で決めるわけにはいかねぇ。兄貴は何と言ってるんでぇ」


 「堅気に戻れと、言われました」


 「そうだろうな。兄貴ならきっとそう言うはずだ。
 おめえの事は俺も聞いてる。
 若えわりには度胸もあるし、腕も立つ。
 子分に加えてえとこだが、兄貴の手前、そうもいかねえ。
 英五郎の兄貴から俺の子分になる許しを貰ってから、また来るんだな」


 
 筋道を通せと言われると、忠治に返す言葉がない。
返答に困っている忠治を見て、重五郎が身体を乗り出した。



 「忠治。おめえの気持ちはよくわかる。
 だがな。兄貴のいう事にも、もうすこし耳をかたむけろ。
 おめえは、兄貴の若え頃によく似てる。
 兄貴の家もおめえの家と同じように、名主をやった事のある家柄だ。
 だが兄貴が15のとき。
 賭場で三下を殺しちまって、はじめて国越えをした。
 そのときは1年くらいで戻ってこられたが、25のとき久宮一家の
 大親分をやっちまった。もう10年も前の話さ。
 それなのよに、兄貴はいまだに故郷へ戻れねぇ。
 おまえも知ってんだろう、その話は?」


 その話なら、聞いたことが有る。
上州の東半分を仕切っていた、先代の久宮一家の親分は有名人だ。
久宮一家と対立していた大前田組が、闇討ちでこの先代の親分を切り捨てた。
下手人はそのとうじ売り出し中だった、大前田英五郎。



 「兄貴はよう。
 自分のことと、お前さんのことを重ねているんだ。
 兄貴は、あっちこっちさまよい歩いて男を売って来たが、
 いまだに故郷へ戻れねぇ。
 兄貴はおめえを、自分のようにしたくねえと思ってるんだ。
 もうすこし我慢して生まれ故郷に帰れたら、博徒はあきらめて
 まっとうに暮すことだな」


 重五郎にも断られてしまった。
(このままじゃ、博徒になることは出来ねぇ・・・)
途方に暮れた忠治が、しょんぼりと木賃宿へ帰って来た。



 「おや、お帰り・・・・」



 声をかけたお園に気が付かず、忠治がそのままお園の横を通り過ぎていく。


 「おやまぁ、どうしたというのさ。
 変だねぇ、いつもの忠治とまったく違うねぇ。
 いったい何が有ったいうのさ。そんな暗い顔をして。
 言ってごらんよ。このお園さんが、あんたの力になってあげるから」

 
(28)へつづく


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