忠治が愛した4人の女 (29)
第二章 忠治、旅へ出る ⑭
忠治の三下修行がはじまった。
三下とは、三下奴(やっこ)を略したもので、博奕打ちの最下位の者を指す。
目の出そうにない者のことを、三下野郎と呼んだ。
サイコロの目が、3以下だと勝てる見込みがほとんどない。
ここから下っ端のことを、三下と言うようになった。
博徒やヤクザの下っ端、取るに足らない者たちも、同じように三下と呼ばれる。
博徒たちは、三下を人間として扱われない。
飯だけは食わせて貰える。しかし賭場(とば)におけるテラ銭の分配はない。
したがっていつも銭がない。貧しいことこの上ない。
銭が無いから遊ぶことはもちろん、酒も呑めない。
忠治のようにいままで銭に困らなかった者にとっては、耐えがたい状況になる。
しかし弱音は吐けない。やっとめぐって来た好機だ。
他の三下たちと同じように必死に、ただひたすらに、修行に励むより他は無い。
重五郎の子分に、川越の万吉という男がいる。
お園の弟であるため子分の中でもやたらと威張り、いつも三下をいじめている。
「やい、三下。
人を殺したからって、いい気になってんじゃねえぜ。
一人前の渡世人になるためにア、厳しい修行を積まなけりゃなんねぇ。
何でも黙って俺の言うことを聞け。そいつがおめえの仕事だ!」
万吉は忠次を目の敵にして、辛く当たる。
しかし忠次は歯を食いしばり、我慢してひたすら修行に励んだ。
三下の世界にも、上下の関係が有る。
大井村出身の権太という三下が、忠次のすぐ上にいる。
権太は忠次より一つ年下の16歳。三下になって、まだ3ヶ月目の新米だ。
ひとつ年下で3ヶ月目の新入りでも、さらに新入りの忠治からすれば、
逆らうことのできない先輩にあたる。
博奕打ちの世界における上下の関係は、とにかく厳しい。
親分・子分・兄弟分の関係にも、実は細かい分類が有る。
対等の「五分五分の兄弟分」もあれば、すこし上下に差のある「四六の兄弟分」、
あるいは「三七の兄弟分」などに分けられる。
指名手配されているため、ほとぼりが覚めるまで逃げ回っている渡世人が
各地の親分を渡り歩くことを、「股旅」と呼ぶ。
この時。同業者であることを示す、特殊な挨拶をおこなう。
「仁義」と呼ばれる独特の口上だ。
一言でも間違えた場合、その場で斬られても文句が言えないというほど厳しい。
宿泊をゆるされたときにも、食事のマナーから眠り方に到るまで、
細かい礼儀作法が決められている。
博奕打ちのおおい上州は、とくにこの礼儀作法に厳しい。
ゆえに初心者たちは、できるだけ上州をさけて通ることが多かったという。
三下の朝は早い。
誰よりも早く起きて、朝の雑用を片付ける。
子分たちが食事を終えたあと、残ったもので自分たちの食事を済ませる。
休んでいる暇など、まったくない。
食事を終えた兄貴分たちから、次から次に命令が飛んでくる。
兄貴の命令には、絶対に服従だ。
どんな命令でも「へいっ」と応えて、実行しなければならない。
「お園。お前が言う通りにしてみたが、ホントにこれでよかったんか?」
「女の直感が騒ぐのさ。
忠治は、あんたや、英五郎親分と同じ匂いがする子だ。
あたしの目に狂いがなければ、あの子はきっと、上州で天下を取る。
そんな気がしてならないよ。
あたしの目に狂いがなければ、ね」
「なるほどなぁ。英五郎の兄貴も、同じことを言っていたぜ。
だが見かけによらずあいつには、気性の激しいところが有る。
英五郎の兄貴は、『あいつは反骨心が多すぎる。
手元に置いとくにゃ、アブな過ぎる男だ。
おめえ。俺のかわりに少し様子を見てくれ。
危険すぎるようなら、博奕打ちにしないで、やっぱり堅気に戻してやれ』
と言っていたからな」
「忠治は、英五郎親分を超えるような男に、育つかもしれないという意味かい?」
「そう思っているんだろうな、英五郎の兄貴も。
危ない獣(けもの)は手元に置かず、いつも、すこし離れた場所で飼う。
そいつが兄貴の、いつものやり方だからな」
(30)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第二章 忠治、旅へ出る ⑭
忠治の三下修行がはじまった。
三下とは、三下奴(やっこ)を略したもので、博奕打ちの最下位の者を指す。
目の出そうにない者のことを、三下野郎と呼んだ。
サイコロの目が、3以下だと勝てる見込みがほとんどない。
ここから下っ端のことを、三下と言うようになった。
博徒やヤクザの下っ端、取るに足らない者たちも、同じように三下と呼ばれる。
博徒たちは、三下を人間として扱われない。
飯だけは食わせて貰える。しかし賭場(とば)におけるテラ銭の分配はない。
したがっていつも銭がない。貧しいことこの上ない。
銭が無いから遊ぶことはもちろん、酒も呑めない。
忠治のようにいままで銭に困らなかった者にとっては、耐えがたい状況になる。
しかし弱音は吐けない。やっとめぐって来た好機だ。
他の三下たちと同じように必死に、ただひたすらに、修行に励むより他は無い。
重五郎の子分に、川越の万吉という男がいる。
お園の弟であるため子分の中でもやたらと威張り、いつも三下をいじめている。
「やい、三下。
人を殺したからって、いい気になってんじゃねえぜ。
一人前の渡世人になるためにア、厳しい修行を積まなけりゃなんねぇ。
何でも黙って俺の言うことを聞け。そいつがおめえの仕事だ!」
万吉は忠次を目の敵にして、辛く当たる。
しかし忠次は歯を食いしばり、我慢してひたすら修行に励んだ。
三下の世界にも、上下の関係が有る。
大井村出身の権太という三下が、忠次のすぐ上にいる。
権太は忠次より一つ年下の16歳。三下になって、まだ3ヶ月目の新米だ。
ひとつ年下で3ヶ月目の新入りでも、さらに新入りの忠治からすれば、
逆らうことのできない先輩にあたる。
博奕打ちの世界における上下の関係は、とにかく厳しい。
親分・子分・兄弟分の関係にも、実は細かい分類が有る。
対等の「五分五分の兄弟分」もあれば、すこし上下に差のある「四六の兄弟分」、
あるいは「三七の兄弟分」などに分けられる。
指名手配されているため、ほとぼりが覚めるまで逃げ回っている渡世人が
各地の親分を渡り歩くことを、「股旅」と呼ぶ。
この時。同業者であることを示す、特殊な挨拶をおこなう。
「仁義」と呼ばれる独特の口上だ。
一言でも間違えた場合、その場で斬られても文句が言えないというほど厳しい。
宿泊をゆるされたときにも、食事のマナーから眠り方に到るまで、
細かい礼儀作法が決められている。
博奕打ちのおおい上州は、とくにこの礼儀作法に厳しい。
ゆえに初心者たちは、できるだけ上州をさけて通ることが多かったという。
三下の朝は早い。
誰よりも早く起きて、朝の雑用を片付ける。
子分たちが食事を終えたあと、残ったもので自分たちの食事を済ませる。
休んでいる暇など、まったくない。
食事を終えた兄貴分たちから、次から次に命令が飛んでくる。
兄貴の命令には、絶対に服従だ。
どんな命令でも「へいっ」と応えて、実行しなければならない。
「お園。お前が言う通りにしてみたが、ホントにこれでよかったんか?」
「女の直感が騒ぐのさ。
忠治は、あんたや、英五郎親分と同じ匂いがする子だ。
あたしの目に狂いがなければ、あの子はきっと、上州で天下を取る。
そんな気がしてならないよ。
あたしの目に狂いがなければ、ね」
「なるほどなぁ。英五郎の兄貴も、同じことを言っていたぜ。
だが見かけによらずあいつには、気性の激しいところが有る。
英五郎の兄貴は、『あいつは反骨心が多すぎる。
手元に置いとくにゃ、アブな過ぎる男だ。
おめえ。俺のかわりに少し様子を見てくれ。
危険すぎるようなら、博奕打ちにしないで、やっぱり堅気に戻してやれ』
と言っていたからな」
「忠治は、英五郎親分を超えるような男に、育つかもしれないという意味かい?」
「そう思っているんだろうな、英五郎の兄貴も。
危ない獣(けもの)は手元に置かず、いつも、すこし離れた場所で飼う。
そいつが兄貴の、いつものやり方だからな」
(30)へつづく
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