さて、今月上旬に、とうとうというかやっとというか朝日新聞が従軍慰安婦の記事がウソであったことを認めたのは皆さんもご存じだと思います。これで従軍慰安婦は朝日新聞が作り上げたウソだったことが証明されました。そこで思い出したのですが、10年前、まだAmazonのレビュー制度が一般に広がっていなかった頃だと思いますが、「従軍慰安婦」という本に1つのレビューもなかったので、その本を読んで私は一番最初にレビューを書きました。
その「従軍慰安婦」は出鱈目な本で、証拠もないのに従軍慰安婦を存在したものとして切々と批判しているのです。
私が10年前に書いたレビューはこれです。一番最初ですから一番下に記載されています。10年前に書いたのは、その日付が証拠となっています。その後合計29のレビューが掲載されていることがわかると思います。
↓
「従軍慰安婦」
私自身も何を書いたかあまり覚えていませんが、私は約10年前の2005年1月26日
「虚実性の決着はついている感がある「従軍慰安婦」問題だが、世間は再び騒がしいので、もう一度原点に帰ろうと本書を手にした。本書には、1993年に河野洋平が慰安婦強制連行を裏付ける証拠が全くないにもかかわらず、韓国内の反発を和らげるために政治的に認めてしまった事に関する資料が書かれている。しかし、本書の資料を読んでみるとその根拠が見いだせない。吉田清治発言は今日嘘だと判明し、本人も嘘だと認めている。官房副長官だった石原信雄氏は後日、それを認めた背景に元慰安婦とその支援者や韓国側から強い圧力があったと述べ、強制性の認定について「日韓両国間での妥協の産物」と明言し、暗にその圧力に屈したことを認めている。たしかに慰安婦問題は貧困と悪徳業者による悲劇だった。買春をする男性、売春をする女性を無くし、さらに強姦のない社会を望み、それに厳罰を処したい気持ちは誰でも同じだ。しかし、その心理を悪用して自らの意志での商行為を「強制」だとするのはいかがなものか。」
と書いています。
10年以上前から、従軍慰安婦がえん罪であることが認識されていたのは明らかであったのです。
しかし、この私のレビューに4つのコメントがなされ(私自身も今回初めて気がつきました)
「>官房副長官だった石原信雄氏は後日、それを認めた背景に元慰安婦とその支援者や韓国側から強い圧力があったと述べ、強制性の認定について「日韓両国間での妥協の産物」と明言し、暗にその圧力に屈したことを認めている。
否定しがたい事実を突きつけられから、屈服せざるをえなかったのだろう。
もし事実でないと思うのなら堂々と証拠を挙げて反論すればいいだけのこと。それを「圧力」だなんとか言って日本の否定派にリップサービスするおこがましさが露呈されていますな。実に情けない話だね・・・」
と、私がレビューした内容を「情けない」と批判しています。
その後の2つのコメントは、このコメントを逆に批判しています。4つめはあまりに過激なコメントだったのかAmazon側から削除されています。
この本が出鱈目であったことが10年後の今、朝日新聞が先日ゲロを吐いたことで、やっと証明されました。そうすると、「従軍慰安婦」は存在したということを主張しているこの本に賛成しているレビューは見当違いであることが分かります。
皆さんもレビューを興味深く読んでみてください。白黒がはっきりした今これらのレビューを読むと、ある意味面白いと思います。的を射たレビューや見当違いのレビューなど、自分がまるで予言者になったような感じで読めるのではないでしょうか。
レビュアーたちが他のどういう書籍でどういうレビューを書いているかを見ても興味深いと思います。
おそらく本書に賛成派のレビューは今後削除してくると思いますので、読むなら今のうちです。現在29のレビューがあります。
星5つ 14
星4つ 1
星3つ 2
星2つ 2
星1つ 10 です。
この出鱈目な本に対して
「ネットウヨク系のレビューを支持するネットウヨクが多いだけの話だと思う」
「ここまでむごいことをやっておきながら、韓国に全くといっていいほど賠償しない我が国の神経を疑う。日本人であることを恥ずかしく思う」「日本人であることを恥ずかしく思う」←これは日本人でない在日が日本人のふりをして書く常套文句です。
などというレビューがあるのがお分かりいただけると思いますが、これらのレビューは、朝日新聞が先日ゲロを吐いた今からみると内容は間違いです(個人的意見は自由です)。
さて、何が言いたいかといいますと、先日
「奇妙な発症曲線の臨床研究」という記事を書いたら、
「思い込みだけでそこまで書かなくてもいいと思うのですが。失礼ですが、辻褄合わせに奔走しているようにしか見えません。
中間結果が漏れた「かもしれない」。
我にかえった「かもしれない」
何ですか、これ。論文の結果の捏造以上に酷い妄想です。」
といコメントをいただきました。
このブログは「批判を恐れないブログ」ですからどんなコメントも歓迎ですが、この記事は可能性を示唆しているだけですから、この記事に不快感を示すのはおそらくこの研究の当事者だと思います(個人的意見です)。
「従軍慰安婦」に対するレビューと比較した意味をもうお分かりいただけたと思いますが、このコメントは「従軍慰安婦」の書籍に対して記載した「今では誤りとはっきりした」10年前のコメントと同じ次元であると感じないでしょうか。
私が、私の意見は99%正しいと思っていても、10年前(この場合現在)では、それに対する反対のコメントに対して100% 誤りと証明できないのです。
この研究は10年後には(もう少しかかるかもしれませんが)神の目で見て誤りであったと証明されるかもしれないのです。
刑事コロンボでは、自殺と断定された死亡者が読みかけの本に栞を挟んでいるのを見つけて、「これから自殺をしようとする者が、明日また読もうと次のページに栞を挟むだろうか?」と推測する場面があります。「数学的帰納法」はそのようにして進んでいくのだと思うのです。
ネット上のコメントというのは、よほど気合いを入れて行わなければ、「そうだ」「いや、そうではない」などと水掛け論になってしまう不毛のものです。そして批判のコメントというのは、最低でも400字以上で言葉を尽くしてその根拠を述べていただけなければコメントされたほう(あるいはその著者)に失礼ですね。私はAmazonのレビューではそのように心がけていますよ。
そして「従軍慰安婦」の著者、吉見義明 (1970年東京大学文学部卒業)、残念な人に成り下がってしまいましたね。
あれ、また東大卒でしたね。
↓
「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 (講談社+α新書)
これでも私はレビューを書いています。上から3つめに載せていただいています。
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「ブログランキング」
その「従軍慰安婦」は出鱈目な本で、証拠もないのに従軍慰安婦を存在したものとして切々と批判しているのです。
私が10年前に書いたレビューはこれです。一番最初ですから一番下に記載されています。10年前に書いたのは、その日付が証拠となっています。その後合計29のレビューが掲載されていることがわかると思います。
↓
「従軍慰安婦」
私自身も何を書いたかあまり覚えていませんが、私は約10年前の2005年1月26日
「虚実性の決着はついている感がある「従軍慰安婦」問題だが、世間は再び騒がしいので、もう一度原点に帰ろうと本書を手にした。本書には、1993年に河野洋平が慰安婦強制連行を裏付ける証拠が全くないにもかかわらず、韓国内の反発を和らげるために政治的に認めてしまった事に関する資料が書かれている。しかし、本書の資料を読んでみるとその根拠が見いだせない。吉田清治発言は今日嘘だと判明し、本人も嘘だと認めている。官房副長官だった石原信雄氏は後日、それを認めた背景に元慰安婦とその支援者や韓国側から強い圧力があったと述べ、強制性の認定について「日韓両国間での妥協の産物」と明言し、暗にその圧力に屈したことを認めている。たしかに慰安婦問題は貧困と悪徳業者による悲劇だった。買春をする男性、売春をする女性を無くし、さらに強姦のない社会を望み、それに厳罰を処したい気持ちは誰でも同じだ。しかし、その心理を悪用して自らの意志での商行為を「強制」だとするのはいかがなものか。」
と書いています。
10年以上前から、従軍慰安婦がえん罪であることが認識されていたのは明らかであったのです。
しかし、この私のレビューに4つのコメントがなされ(私自身も今回初めて気がつきました)
「>官房副長官だった石原信雄氏は後日、それを認めた背景に元慰安婦とその支援者や韓国側から強い圧力があったと述べ、強制性の認定について「日韓両国間での妥協の産物」と明言し、暗にその圧力に屈したことを認めている。
否定しがたい事実を突きつけられから、屈服せざるをえなかったのだろう。
もし事実でないと思うのなら堂々と証拠を挙げて反論すればいいだけのこと。それを「圧力」だなんとか言って日本の否定派にリップサービスするおこがましさが露呈されていますな。実に情けない話だね・・・」
と、私がレビューした内容を「情けない」と批判しています。
その後の2つのコメントは、このコメントを逆に批判しています。4つめはあまりに過激なコメントだったのかAmazon側から削除されています。
この本が出鱈目であったことが10年後の今、朝日新聞が先日ゲロを吐いたことで、やっと証明されました。そうすると、「従軍慰安婦」は存在したということを主張しているこの本に賛成しているレビューは見当違いであることが分かります。
皆さんもレビューを興味深く読んでみてください。白黒がはっきりした今これらのレビューを読むと、ある意味面白いと思います。的を射たレビューや見当違いのレビューなど、自分がまるで予言者になったような感じで読めるのではないでしょうか。
レビュアーたちが他のどういう書籍でどういうレビューを書いているかを見ても興味深いと思います。
おそらく本書に賛成派のレビューは今後削除してくると思いますので、読むなら今のうちです。現在29のレビューがあります。
星5つ 14
星4つ 1
星3つ 2
星2つ 2
星1つ 10 です。
この出鱈目な本に対して
「ネットウヨク系のレビューを支持するネットウヨクが多いだけの話だと思う」
「ここまでむごいことをやっておきながら、韓国に全くといっていいほど賠償しない我が国の神経を疑う。日本人であることを恥ずかしく思う」「日本人であることを恥ずかしく思う」←これは日本人でない在日が日本人のふりをして書く常套文句です。
などというレビューがあるのがお分かりいただけると思いますが、これらのレビューは、朝日新聞が先日ゲロを吐いた今からみると内容は間違いです(個人的意見は自由です)。
さて、何が言いたいかといいますと、先日
「奇妙な発症曲線の臨床研究」という記事を書いたら、
「思い込みだけでそこまで書かなくてもいいと思うのですが。失礼ですが、辻褄合わせに奔走しているようにしか見えません。
中間結果が漏れた「かもしれない」。
我にかえった「かもしれない」
何ですか、これ。論文の結果の捏造以上に酷い妄想です。」
といコメントをいただきました。
このブログは「批判を恐れないブログ」ですからどんなコメントも歓迎ですが、この記事は可能性を示唆しているだけですから、この記事に不快感を示すのはおそらくこの研究の当事者だと思います(個人的意見です)。
「従軍慰安婦」に対するレビューと比較した意味をもうお分かりいただけたと思いますが、このコメントは「従軍慰安婦」の書籍に対して記載した「今では誤りとはっきりした」10年前のコメントと同じ次元であると感じないでしょうか。
私が、私の意見は99%正しいと思っていても、10年前(この場合現在)では、それに対する反対のコメントに対して100% 誤りと証明できないのです。
この研究は10年後には(もう少しかかるかもしれませんが)神の目で見て誤りであったと証明されるかもしれないのです。
刑事コロンボでは、自殺と断定された死亡者が読みかけの本に栞を挟んでいるのを見つけて、「これから自殺をしようとする者が、明日また読もうと次のページに栞を挟むだろうか?」と推測する場面があります。「数学的帰納法」はそのようにして進んでいくのだと思うのです。
ネット上のコメントというのは、よほど気合いを入れて行わなければ、「そうだ」「いや、そうではない」などと水掛け論になってしまう不毛のものです。そして批判のコメントというのは、最低でも400字以上で言葉を尽くしてその根拠を述べていただけなければコメントされたほう(あるいはその著者)に失礼ですね。私はAmazonのレビューではそのように心がけていますよ。
そして「従軍慰安婦」の著者、吉見義明 (1970年東京大学文学部卒業)、残念な人に成り下がってしまいましたね。
あれ、また東大卒でしたね。
↓
「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 (講談社+α新書)
これでも私はレビューを書いています。上から3つめに載せていただいています。
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何よりこんな本をわざわざ買って読んであげたことがすばらしい。私は気持ち悪くて買えませんでした。
朝日新聞が吉田証言の虚偽を認めた時点で唯一の加害側の自白による証拠は瓦解。ク報告書の根拠の4~5割が崩壊したためほぼ決着がついたのですが、未だにあることにしたい方が大変多く存在しており嘆かわしい限りです
特に最近は根拠に自分のつごうのよい妄想をもってくる方やAmazonのコメント欄を自分のブログ変わりにするかたもおり、あちらこちらで論争が絶えない状態になっています。
私はあなた様のレビューはかねがね正しいと判断していますし、同じ考えです。
長々と駄文失礼しました。同じ考えをしているかたを知ることができて嬉しくなりました。
お体には気をつけて下さい