獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その10

2025-01-24 01:58:58 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
 □「小泉内閣生みの母」
 □日露関係の経緯
 ■外務省、冷戦後の潮流
 □「スクール」と「マフィア」
 □「ロシアスクール」内紛の構図
 □国益にいちばん害を与える外交官とは
 □戦闘開始
 □田中眞紀子はヒトラー、鈴木宗男はスターリン
 □外務省の組織崩壊
 □休戦協定の手土産
 □外務官僚の面従腹背
 □「9・11事件」で再始動
 □眞紀子外相の致命的な失言
 □警告
 □森・プーチン会談の舞台裏で
 □NGO出席問題の真相
 □モスクワの涙
 □外交官生命の終わり
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


外務省、冷戦後の潮流

ここで、外務省の基本的な外交スタンスとその組織の実態についても言及しておくことにする。
一般に日本外交は対米追従で、外務省には親米派しかいないという論評がなされる。この論評は、半分はずれていて、半分あたっている。日本外交は常にアメリカに追従しているわけではない。捕鯨問題、軍縮問題、地球温暖化問題など重要問題で日本がアメリカの方針に従わないことも多い。しかし、私を含め、外務省員は全員親米派である。
ただし、親米の中味については、日本はアメリカと価値観を共有するので常に共に進むべきであるという「イデオロギー的な親米主義」と、アングロサクソン(英米)は戦争に強いので、強い者とは喧嘩してはならないという「現実主義」では、「親米」という結論は同じだとしても、その論理構成は大きく異なる。ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成は、その結論と同じくらい重要性をもつということだ。
東西冷戦期には、「資本主義対社会主義」、「自由主義対共産主義」、「民主主義対全体主義」などの対立項が立てられたが、実はその呼び方は本質的問題ではない。要するに「われわれ(日本、アメリカ、西欧)」は正しく「奴ら(ソ連、東欧、中国)」は絶対に間違っているという二項対立の図式が現実性をもっていたということ、それがすなわち冷戦構造の本質だったといっても過言ではない。
従って、共産主義と対抗する上でのイデオロギー的な親米は、現実主義の観点からも日本の国益に適っていた。しかし、1991年12月にソ連が崩壊し、新生ロシアは自由、民主主義、市場経済という西側と価値観を共有する国家に転換したので、反共イデオロギーに基づく親米路線はその存立基盤を失った。
こうした冷戦構造の崩壊を受けて、外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されてくる。そして、この変化は外部からは極めて見えにくい形で進行した。

第一の潮流は、冷戦がアメリカの勝利により終結したことにより、今後、長期間にわたってアメリカの一人勝ちの時代が続くので、日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方である。
具体的には、沖縄の米軍基地移転問題をうまく解決し、日本が集団的自衛権を行使することを明言し、アメリカの軍事行動に直接参加できる道筋をきちんと組み立てれば、日本の安全と繁栄は今後長期にわたって保証されるという考え方である。この考え方に立つと日本は中国やロシアと余計な外交ゲームをすべきではないということになる。これを狭義の意味での「親米主義」と名づけておく。

第二の潮流は、「アジア主義」である。冷戦終結後、国際政治において深刻なイデオロギー上の対立がなくなり、アメリカを中心とする自由民主主義陣営が勝利したことにより、かえって日米欧各国の国家エゴイズムが剥き出しになる。世界は不安定になるので、日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方である。1970年代後半には、中国語を専門とする外交官を中心に外務省内部でこの考え方の核ができあがり、冷戦終結後、影響力を拡大した。

第三の潮流は「地政学論」である。「地政学主義」とせず「地政学論」としたのは、この考えに立つ人々は、特定のイデオロギー(イズム=主義)に立つ外交を否定する傾向が強いからである。その基本的な主張は次のようなものだった。
東西冷戦期には、共産主義に対抗する反共主義で西側陣営が結束することが個別国家の利益に適っていたので、「イデオロギー外交」と「現実主義外交」の間に大きな開きはなかったが、共産主義というイデオロギーがなくなった以上、対抗イデオロギーである反共主義も有効性を喪失したと考える。その場合、日本がアジア・太平洋地域に位置するという地政学的意味が重要となる。つまり、日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったのであり、この中で、最も距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方である。
この「地政学論」の担い手となったのは、冷戦時代、「日米軍事同盟を揺るぎなき核として反ソ・反共政策を貫くべきだ」という「対ソ強硬論」を主張したロシア語を専門とする外交官の一部だった。さらに、彼らは日本にとっての将来的脅威は、政治・経済・軍事面で影響力を急速に拡大しつつある中国で、今の段階で中国を抑え込む「ゲームのルール」を日米露三国で巧みに作っておく必要があると考えたのである。「地政学論者」の数は少なかったが、橋本龍太郎政権以降、小渕恵三、森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。

同時に、これら三つの異なった潮流と、そもそも外務省内部にあった派閥抗争が絡み合う形で、省内抗争は外部の人脈を巻き込みながらより複雑なものへと変貌していった。

 


解説
こうした冷戦構造の崩壊を受けて、外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されてくる。……
第一の潮流は、……日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方である。……
第二の潮流は、「アジア主義」である。……中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方である。
第三の潮流は「地政学論」である。……「地政学論者」の数は少なかったが、橋本龍太郎政権以降、小渕恵三、森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。

なるほど、佐藤優氏は、第三の潮流「地政学論」に属したため発言力が強まったのですね。

 

獅子風蓮



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。