syuの日記・気まま旅

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富士山 湧水の柿田公園

2013-09-23 | 富士山麓日記
県東部、駿東郡清水町に入る。西に沼津・東が三島で、街中央に富士山の大小10ヶ所に自爆湧水の柿田川がある。町名も湧水に由来する。
戦国時代は泉頭・徳倉の2城が置かれ、北条と武田の激戦地になっている。
三島市の発展で清水町もその延長部分となっている。
今は、工場が多く、沼津の卸商団地、徳倉団地とベッドタウン化している。 


「白隠の遺墨」が、白隠慧鶴は江戸時代中期に、“駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠”と言われ、分かりやすい禅画や和讃の形式で民衆の教化に努めた臨済宗中興の祖と称えられる高僧。
玉井寺に残された白隠の遺墨は三界萬霊等二点と山号・金龍山及び寺号・玉井寺等であり、いずれも雄渾にして気魄のある肉太の筆跡で大変貴重である。(数か月前渋谷文化村で白隠の水墨画の展示を掲載した。沼津-吉原の中間原町を予定しています)

白隠上人は、東海道原宿場で詳しく
    

金龍山「玉井禅寺」禅画、東海道田子の浦「白隠禅師」の関係寺という。

達磨の禅画は、世界に知られている。


昭和50年代まで荒廃に任せるままであったがという。昭和60年に原型に復元整備され、 61年 清水町文化財指定されている。
百丈山宝池寺は、臨済宗妙心寺派 駿河國興津清見寺末寺という。 元亀2年(1571年)創建という古寺。

宝池寺一里塚


「市内の一里塚」

宝池寺一里塚は、向い側にある玉井寺一里塚と対を成し、一般的に伏見一里塚といわれ、江戸日本橋から29番目に当たり、昭和60年復原。
宝池寺側には立場があり人夫が駕籠など留めて休息できる場であったと伝えられている。

玉井寺一里塚は、1604年、江戸幕府が交通政策上の重要施策として、四キロメートル(一里)毎に道路の両側へ、高さ1メートル、9メートル平方の塚を築き、上に榎(えのき)を植えさせた当時の里程標の一つ。
一里塚と三島市塚原(山中)にある一里塚との距離は正確であるが、沼津日枝神社境内の一里塚との距離は短かい。
こちらは原形を改修してあるという。

    

「柿田川公園」は、昭和61年、「自然の保護・保全」と「コミュニティー広場の確保」を目的に町民の憩いの場として柿田川の上流部に開園
園内の第1・第2展望台からは、年中変わることなく水が湧き出る「わき間」を見ることができ、湧水広場では実際に水に足を入れて湧き水の冷たさを体験できるので、子供・家族連れが多い。
国指定天然記念物の柿田川を眺めながら散策できる遊歩道が整備されている。

富士山の湧水が滾々と


東洋一の大湧水群が湧き出る様子が見られる、-柿田川湧水群-。富士山の雪解け水が、長い年月を経て、ここ柿田川に涌き出ます。



柿田川の日100万トンの水量すべてが湧水、公園内は、貴重な動植物の生息地として知られ、約35万人の飲料水として利用されている。
ミネラルウォーターが水道から出てくる、日本有数のすばらしい地下水。

公園内の「貴船神社」
  

柿田川は、延長ー1.2 km短く、合流先は、狩野川へ。県駿東郡清水町を流れる狩野川水系の一級河川。約1.2kmは、日本で最も短い一級河川である。
かつては泉川、周辺地域は、泉郷と呼ばれていた。大量の湧水を水源とする日本でも稀有な川である。
本河川は、長良川・四万十川とともに日本三大清流に数えられている。
1985年(昭和60年)柿田川湧水群として名水百選に選定された。
さらに国の天然記念物にも「地質鉱物」の枠で指定、これは民間の企画であるが、日本の秘境100選にも選定。

雑木林には、いろいろな昆虫              夏になると涌出水が増すと聞く
    

「駿河志科」(1861)によると、夏には益々湧出溢れるがこれは富士山の雪解けの水であって、地中をくぐって出てくると里人は言っているがそのとおりであり、柿田と言う地名がつけられたのは里の老人の話として、この地は用水に不足し乾き田であったことから「カキダ」といっていたが、後に柿田の文字に変えたと記している。

    

「水生生物」は、安定した水温と水量が保たれているため生物にもその影響が現れている。
沈水植物には珍しい種類があり、春秋に水中や水面に淡黄色の梅花に似たミシマバイカモのほか、多年草のセキショウモ、フサモ、ヤナギモ等である。魚類は流域によって種類が変わり、清流ではウキゴリ、カジカ、アユ、アマゴ、濁りの在る所ではウグイ、ヘラブナ、アブラハヤ等が生息。
川底にはヌマエビ、スジエビ、テナガエビ、モズクガニ等の甲殻類が生息している(清水町調べ、1981)。



公園は、国道1号線沿いにある。一歩中に入ると、公園としても、芝生が広がる広場、園内に引かれた水遊び用の水路、2つの大きな湧水群と、きれいな水と空気の中をあるく遊歩道が続く。 遊歩道を歩きながら、小規模の湧水が、



「柿田川」は、清水町伏見にある柿田川公園の「わき間」からの湧水に源を発し南へ流下、清水町役場付近で狩野川に合流する。
流水はほぼ全量が湧水から成り、これは富士山への雨水や雪どけ水が三島溶岩流に浸透し、その先端部から湧き出でたものである[1]。清流で知られ、水温は季節を問わず15℃前後。流量も年間を通してほぼ一定を保っている。当河川特有の水中植物としてミシマバイカモが自生している。
豊富な湧水を求めて工場が進出、排水のたれ流しにより水質が悪化し、魚も住めない状態になった。
1970年代には護岸のため、部分的に川縁がコンクリートに覆われるなどしたが、1980年代には地元有志によるナショナルトラスト運動が始まり、工場の移転運動や清掃活動が行われ、カワセミ等も生息する環境が残されたという。

柿田川


柿田川脇に、1671(寛文11)年 建立の「石橋碑」と1787(天明7)年建立の「十句観音経 二百萬遍供養塔」がある。
左右三基の石碑を合わせて「柿田川三石碑」と呼んでいると云う。
架橋されている鉄筋コンクリートの柿田橋は、地震、水害などで犠牲者が出たのであろう、その供養塔であろう。

柿田橋から
    

次回は、源頼朝・北条政子ゆかりの三嶋大社へ。