「平将門」~940 新皇を称した反逆者といわれている。
東国の桓武平民武将、京都では、「藤原忠平」に仕え、無位無官で下総に帰郷している。武蔵国の官人と土豪の争いに介入を契機に反乱を起こす。
東国国司を追放し新皇と称した。しかし、一族平ら貞盛・下野押領使「藤原秀郷」に討たれる。将門首塚は、大手町にある。
「藤原秀郷」不詳 下野国田原に住み「田原藤太」・京都では、琵琶湖の龍神に頼まれ近江國三上山の大ムカデを退治、お礼に、いくら米を取っても
無くならない米俵等の宝物を貰ったので「俵藤太」と呼ばれたと云うー武勇と冨を示す伝説がある。小山・結城氏等の子孫を東国に残している。
「源頼朝」1147-99 武家政治の創始者・鎌倉幕府初代将軍・征夷大将軍。
「武蔵国二宮神社」
神社は、武蔵総社六所宮(府中大国魂神社の所座の第二席。)
六所宮ー一之宮小野大神・二之宮小河大神・三之宮氷川神社・四之宮秩父大神・五之宮金佐奈大神・六之宮杉山大神の六社
平安時代「藤原秀郷」は、近江國山王21神中の二宮を崇拝しており「天慶の乱ー939年」平 将門討伐出陣時、ここ武蔵国二宮神社で戦勝祈願をし
乱平定後は、社殿玉垣を造営し社領百町を寄進したとある。
五日市街道沿いにある「二宮神社」
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「武蔵国二宮神社」
神社は、武蔵総社六所宮(府中大国魂神社の所座の第二席。)
六所宮ー一之宮小野大神・二之宮小河大神・三之宮氷川神社・四之宮秩父大神・五之宮金佐奈大神・六之宮杉山大神の六社
平安時代「藤原秀郷」は、近江國山王21神中の二宮を崇拝しており「天慶の乱ー939年」平 将門討伐出陣時、ここ武蔵国二宮神社で戦勝祈願をし
乱平定後は、社殿玉垣を造営し社領百町を寄進したとある。
鎌倉時代は、建久年間に「源頼朝」より社領千石の寄進。ー鎌倉時代には、当地付近に、大石氏中興の祖とされる信重が二宮城館を構え、5代にわたって
居城としたと記録が残っている。昭和47年、境内の一角発掘調査したが資料を得る事が出来なかったと云う。
発掘調査で小型懸仏の金銅製の薬師如来像・中世の瓦が発見され新たな謎を呼んでいる。
戦国時代の1572年、「北条氏政」は、社領五百石を寄進・弟「氏照(滝山城主)」祈願所として崇敬を寄せていたとある。
江戸時代は、1591年徳川家康が代々15石の御朱印地と認め幕末まで続いたとある。
武蔵国二宮神社(9月9日のしょうが祭りは有名、参道にしょうがを売る店が)
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宮殿ー室町時代・末社ー諏訪神社、社宮社、荒波々伎神社、五社合祀 御手洗池、、。
拝殿ー昭和初期 本殿ー江戸時代初期(市文化財指定)
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「玉泉寺」
天台宗の寺、鷲峰山と号し、寛永18年の1641年、上野寛永寺派衆徒吉祥院が開基、霊山院亮海法子全海が中興したという。
1649年、には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領している。
当初は、平井川べりに近い屋城(ヤシロ)にあったものの、いつの頃か高台の当地へ移転、
明治期には二宮小学校の校舎として使用されていた。
仁王門
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本堂
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玉泉寺は、「お十夜」の寺として知られ、お十夜とは陰暦十月六日から十五日にかけての十昼夜のあいだ修される念仏をいうと云う。
十夜念仏、玉泉寺では元禄年間から約三百年近く伝えられてきたもので、浄土宗の法要であるが、玉泉寺は、本尊が阿弥陀如来なので、
お十夜が行われてきたのであろう。十月十五日に行われている。
秋川や五日市、桧原地方にかけて「お十夜講」という講があって、お十夜の日にはたくさんのなくなった人々の霊を弔うお札が寺に納められている。
本堂には明治初年に成田山より遷座されたと伝える木像不動明王坐像がまつられている。脇侍の矜羯羅童子、制吒迦童子ともに優品である。
また本寺は、東秋留小学校の前身である二宮小学校として、明治六年、から同二十四年まで、校舎として使用されていたと云う。(「秋川市史」より)
鐘楼墓地内に22㎡の榎の巨木が
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「瀬戸岡・珠陽院」
臨済宗建長寺派、境内には、梅・桜・ツツジ・牡丹等が
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明治ー平井学校瀬戸岡分教場に使われたと云う。境内には享保12年の1727年、建立 されたと言われる
「巳待(みまち)供養塔」があり、養蚕農家の守護神として祀られたと云う。
本堂
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平井川・草花公園も近い
東京で豊かな自然が同居している町。
平井川とその周辺には、まだまだ多彩な生きものが生息している。
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「尾崎観音・宝蔵寺の三匹獅子舞」
獅子頭には宝暦2年の1752年、の銘があるという。250年からの歴史を有している。
棒術に関しては、宝暦年間からあったとされる棒踊りに武術の型を組み入れたものと云われ、明治の初期に、天然理心流の使い手で、信州高遠の
大西茂十郎が広めたものと云われている。
花掛かり、花笠の周囲を三匹の獅子が連なって回る(毎年9月下旬)
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「光雲山・宝蔵寺」ー曹洞宗 本尊ー薬師如来
JR秋川駅の北、徒歩約25分で、里山にたたずむ寺。-開創の年代は明らかではないが古刹。
本堂の前に赤い観音堂と鐘楼が、観音堂は「尾崎観音」と呼ばれ、安産や子授けの観音様として古くから信仰を集めてきた。
堂内には源頼朝の側室丹後局の守本尊であったとされる如意輪観音を安置。
堂の前には安産を願う女性たちによる数多くの絵馬が奉納されていて、今なお厚い信仰を集めている姿を見せている。
1751-1764年「源頼朝の三男(薩摩守忠国・母丹後の守本尊)
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観音堂 本堂 百日紅の木
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秋川18番札・玉川24番札
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次回は、滝山街道方面へ。