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「東久邇稔彦」 1889-1990 終戦処理にあたった皇族総理
陸軍士官学校・陸軍大学校卒業、太平洋戦争突入持、防衛総司令官、敗戦後、鈴木貫太郎内閣の後、総理大臣に。
就任後の記者会見で、
「全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」という。
いわゆる「一億総懺悔」発言を行い混乱の収拾に努め、当時の日本国民の内、いわゆる大和民族は約六千万人程度、
ここで言及されている「一億」には四千万人足りないが、これは当時、まだ大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)といった主権国家が朝鮮半島に成立しておらず、今後の扱いが不透明であった台湾及び朝鮮半島の住民合わせて約四千万人を含めて「日本国民として太平洋戦争を戦った者が総懺悔」とした表現であり、この時点では未だ国際法上の日本国籍を喪失していなかった台湾及び朝鮮半島住民も含めて、世界に対して敗戦国民として戦争中の過ちを反省し、懺悔するという意味とされている。
この「国体護持」と「一億総懺悔」を敗戦処理と戦後復興に向けた二大方針。
東久邇宮内閣は、省庁再編、軍の武装解除、連合国軍の進駐、降伏文書調印など、次々と重要課題を処理していくことが求められ、いまだ体制の整わない連合国軍最高司令官総司令部ーGHQーからの指令にも対応していった。
このような中で、GHQから、昭和20年10月、に伝えられた、いわゆる「自由の指令」(人権指令とも。「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」)への対処が問題となった。
この指令は、人権確保のため、治安維持法、宗教団体法などの廃止や政治犯・思想犯の釈放、特別高等警察(特高警察)の解体、“日本共産党員や違反者の引き続きの処罰”を明言した山崎巌大臣始め内務省幹部の罷免などを内容。
しかし、東久邇宮内閣はこの指令を実行することによって国内での共産活動が再活発化し革命が起こることを危惧し、指令の実行をためらい内閣総辞職に至り、短命内閣であった。
その後、皇籍を離脱し新興宗教教祖となり話題になった。
陸軍士官学校・陸軍大学校卒業、太平洋戦争突入持、防衛総司令官、敗戦後、鈴木貫太郎内閣の後、総理大臣に。
就任後の記者会見で、
「全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」という。
いわゆる「一億総懺悔」発言を行い混乱の収拾に努め、当時の日本国民の内、いわゆる大和民族は約六千万人程度、
ここで言及されている「一億」には四千万人足りないが、これは当時、まだ大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)といった主権国家が朝鮮半島に成立しておらず、今後の扱いが不透明であった台湾及び朝鮮半島の住民合わせて約四千万人を含めて「日本国民として太平洋戦争を戦った者が総懺悔」とした表現であり、この時点では未だ国際法上の日本国籍を喪失していなかった台湾及び朝鮮半島住民も含めて、世界に対して敗戦国民として戦争中の過ちを反省し、懺悔するという意味とされている。
この「国体護持」と「一億総懺悔」を敗戦処理と戦後復興に向けた二大方針。
東久邇宮内閣は、省庁再編、軍の武装解除、連合国軍の進駐、降伏文書調印など、次々と重要課題を処理していくことが求められ、いまだ体制の整わない連合国軍最高司令官総司令部ーGHQーからの指令にも対応していった。
このような中で、GHQから、昭和20年10月、に伝えられた、いわゆる「自由の指令」(人権指令とも。「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」)への対処が問題となった。
この指令は、人権確保のため、治安維持法、宗教団体法などの廃止や政治犯・思想犯の釈放、特別高等警察(特高警察)の解体、“日本共産党員や違反者の引き続きの処罰”を明言した山崎巌大臣始め内務省幹部の罷免などを内容。
しかし、東久邇宮内閣はこの指令を実行することによって国内での共産活動が再活発化し革命が起こることを危惧し、指令の実行をためらい内閣総辞職に至り、短命内閣であった。
その後、皇籍を離脱し新興宗教教祖となり話題になった。
ー戦後50年 毎日ムックよりー