syuの日記・気まま旅

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西新井大師 syu散歩

2017-02-01 | syu散歩
「真言宗」 弘法大師・空海開示(774年ー835年)
仏教を、「顕教」と「密教」ー空海の判定(教相判釈)-「顕教」仏が衆生を救済・化身で説かれた教え=浅く。
                          「密教」法身(悟りの根本仏・・)=深い。
804年遣唐使に随行入唐し西安青竜寺「恵果」の弟子となり「密教」伝授、、、天台宗開祖「最澄」も入唐している。恵果没し、帰国して密教を広めよと
遺言ー帰国後高雄山に住んで「真言密教」を広めていく。
醍醐天皇の信任を得て「東大寺・現本山金剛峰寺、高野山の地を賜った」信者数約一千万人と云う。

                    昔の総持寺ー西新井大師・本堂


               西新井大師の正式名称は「五智山遍照院ー総持寺」


                    826年、弘法大師・空海創建


              空海作「十一面観世音像」副仏「弘法大師像・本尊」


              川崎大師と共に「厄除開運の霊場」として有名


 映画「男はつらいよ」の山田洋二監督はロケーションとして西新井大師を考えていましたが、当寺院の住職に断られ葛飾の柴又帝釈天に変更になった経緯があります。

 創建以来いく度かの火災に遭遇した本堂は火事の度に再建,江戸中期に再建された本堂は昭和41年の火災で焼け、

                               現在の本堂は昭和47年に再建


                         塩地蔵


大師、総持寺の門前町中心に西新井1~7丁目・本町・栄町と広がるっている。
天長3年の826年、関東各地を空海は布教し、悪病の流行に悩む庶民の苦しみを救おうと、西新井ここで、十一面観音像を彫り、それを土の中に
埋め、草庵を建て祈願した。
                    流行病気は治まったという。


                       境内の六角堂


                        神水舎


                          水かけ地蔵


                       鐘楼と池


                           本堂


                       奥に三重塔と不動尊                           


                            境内の梅


                     釈迦像と弘法大師像


                      延命寺像と石仏


                 1月21日初大師・節分・藤と牡丹でも知られている。


「千住馬車道」
明治22年、埼玉県北足立郡草加町の高橋荘右衛門ら3名によって千住馬車鉄道が請願され、東京府南足立郡千住町と北葛飾郡幸手町とを結ぶ鉄道として当初計画、幸手までの延伸は日本鉄道久喜停車場(現JR宇都宮線・東武伊勢崎線久喜駅)を利用するため、馬車鉄道の延伸計画を破棄して普通馬車による営業に。
明治26年、千住茶釜橋(現在の荒川土手。現在の国道4号千住新橋)から越ヶ谷町(現在の越谷市大沢付近)までが開通して旅客営業。
貨物輸送の許可をえ、浅草から千住茶釜橋まで と 粕壁から幸手までは通常の馬車で連絡、明治29年、には営業不振により普通馬車鉄道営業を廃止し、されている。
しかし、これを惜しんだ草加周辺の資産家らが草加馬車鉄道を設立し、全線の営業を引き継いだが、東武鉄道(現在の伊勢崎線)の開業によって
明治33年には、廃業に追い込まれている。
昭和59年、春日部市に竣工した古利根公園橋に千住馬車鉄道のモニュメント(記念碑)があると云う。
古利根川西岸・東武伊勢崎線春日部駅東口方面(県道春日部久喜線・県道さいたま春日部線)に千住馬車鉄道がかつて通っていたと云う。