syuの日記・気まま旅

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池袋鬼子母神 syu散歩

2017-02-24 | syu散歩

「雑司ヶ谷」ー北豊島郡雑司ヶ谷村であった。
1889年東部が小石川区(現在の文京区)に、残部は巣鴨村にそれぞれ編入され、小石川区雑司ヶ谷町と巣鴨村大字雑司ヶ谷になる。
1898年小石川区は東京市の一部となり、更に1932年西巣鴨町(1918年町制施行)が東京市に編入された際に豊島区雑司ヶ谷町1~7丁目となったが、1966年に住居表示を実施したため、文京区側が音羽に豊島区側も北半分が西池袋と南池袋にそれぞれ編入されてしまい、町域が縮小した。
現在都電の停留所や霊園が南池袋に立地しているのはこのためと云う。
鉄道は、雑司が谷駅(東京メトロ副都心線)・鬼子母神前停留所(都電荒川線)。

                   「鬼子母神」参道


「鬼子母神」ご尊像は、
室町時代の1561年、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、「山村丹右衛門」が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたもの。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の1578年、
「稲荷の森」と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に。

お堂は、本殿が1664年、徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常公の息女で、安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張され、昭和35年、都有形文化財の指定・昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われた。

             鬼子母神は安産・子育の神様として広く信仰の対象。




                 都天然記念物ー樹齢600年のイチョウ





                    


                             本堂




                     威光山 法明寺参道


往時は、真言宗とも天台宗ともいわれ、吾妻鏡に見える威光寺に比定されていた。
しかし、妙楽寺の日光菩薩像の胎内から墨書銘が発見されたことにより、威光寺ではないことが判明,鎌倉時代、日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、「威光山法明寺」に。
室町時代、鬼子母神が安置されて茶屋などが軒を連ね門前町を形成した。

             旧本山は、身延山久遠寺。通師雑司が谷法縁の縁頭寺となる


810年(弘仁1年)威光寺が創建。1312年、日源が日蓮宗に改宗し、法明寺と改称。1665年、不受不施派の弾圧により、法明寺15世・日了は流罪に。
1923年、関東大震災により、本堂が倒壊。1932年、本堂を再建。1945年(昭和20年)戦災により、全山焼失し、1959年(昭和34年)本堂を再建。



                          本堂




                    目白通り  千登世橋


                   橋から    明治通り


                   橋から  都電荒川線