syuの日記・気まま旅

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八王子城と小田原城と北条氏

2019-10-09 | 季節だより

「北条早雲・伊勢氏宗瑞」1432-1519 小田原城北条初代・通称新九郎・駿河国今川氏から興国寺城を・伊豆国奪い一国平定する。小田原大森氏の
小田原城を奪い相模国併合。農民への租税を四公六民の善政を、88才長生きを保った。
「北条氏綱」1486-1541 二代目、鎌倉執権「北条氏」改姓・扇谷上杉朝興を破り「武蔵国」制圧、鎌倉再興・古河公方晴氏に娘を嫁がせている。
小田原名産「外郎」、「勝って兜の緒を締めよ」の言葉は有名。
「北条氏康」1515-1571 北条家発展に導いた三代目ー武蔵国河越で勝利し、関東南半支配する。
北条綱成の「河越城」、天文14年扇谷上杉・山内上杉・古河公方連合軍兵八万に囲まれ、氏康何度も援軍を退却させ連合軍気を緩めている所へ夜襲し
連合軍を撃破ーそれが日本三大夜戦の一つ。上杉謙信は頼りにならない、再び武田と同盟をと遺言。
末娘は、武田勝頼室に。勝頼と共に自害している。
「北条氏政」1538-90 四代目 下総国府台で里見・太田連合軍を破っている。北関東まで勢力を伸ばす。豊臣秀吉上洛要請を断っている。
父氏康は、氏政と食事をした時に、氏政が飯に汁を二度かけるのを見て「汁加減もわからぬようでは、北条家も終わりだ」と落涙したとある。
武田信玄も、麦を知らない氏政に「麦はこき、こなし、ほし、つくして飯にするもので、即食べられないもの」世間知らずを笑ったと云う。
氏政の首は、京で晒されている。
「北条氏直」1562-91 北条家の幕引きの五代目、氏政の長男、本能寺の変後上野国にいた織田信長の重臣「滝川一益」を撃破し、信濃国小県・佐久
を占領する。徳川家康と争うが講和し娘「督姫」を娶る。名胡桃城攻撃し、豊臣秀吉の怒りを買い征伐され降伏した。
その後、高野山へ追放・秀吉とも謁見している。1万石で大阪に住んだと云う。30歳で没した。

「八王子城」 小田原北条氏三代目「氏康」の三男「北条氏照」が築いた山城。
天正15年の1587年までは、八王子市丹木町の滝山城で、その後に拠点を移している。豊臣連合軍は、関東制圧の一環で1590年6月、前田利家・上杉景勝軍に攻められ落城した。この八王子城落城で小田原城は、開城している。
氏照は、この時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹した。
氏照るが構想していた城郭は壮大で、まだ落城時は、未完成であったと云う。