まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【新世紀カラオケと俳句①】俳句前史としての1970年代/新俳句入門・特別編

2018-03-09 18:05:16 | 新俳句入門

私の最初の俳句入門は、1979年のことだった。ラジオの深夜放送の俳句コーナーでの入選がキッカケであった。その後、いくつかの結社誌と総合誌への投句を続け、1985年頃には、俳句形式での自己表現に見切りをつけていた。 この間、末黒野を後ずさりして屹立す(小川双々子選)という句が最良のものであった。後に、この選者の結社誌に同人参加した。俳句前史としての1970年代は、ここでは書こうとは思わない。映画の題名のようだが、あらかじめ全てが喪われていたからだ。

この俳句と出遭った1979年という時期は、70年代前半の上京後の遅ればせながらやるだけやったが、やはり何もかもが終っていたという倦怠感の直中にあった。燃え尽きようとする前時代の残り火を、自己の内面において必死に再度燃え立たそうとする想いと【俳句形式】は一体のものであった。その無駄とわかっていた努力が灰燼に帰した時、当然のこととして俳句への情熱も消失した。・・・《続く》

「吉祥寺駅」の画像検索結果

 

 

ハービー・ハンコック 『ROCK IT』  1985

https://youtu.be/XdpaC5RrvWY?t=68


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【藤井舞乃空】やりたいこと好きなように自由に出来る夢・・年齢を超えた普遍感情を《うた》に取り込む!/J-POP論・POP詩の宇宙

2018-03-09 09:22:48 | J-POP論/POP詩の宇宙

浪速の天才少女歌姫こと舞乃空(まのあ)ちゃんは、現在中一(13)でもうすぐ中ニになる。実は、彼女のキッズ・シンガーとしての歌唱表現は小六(11~12)のうちに完成していた。中学校に進学すると共に、声変わりが始まり、それまでのキッズとしての自立性をもった輝きはいつしか喪われてしまった。彼女にとって、今年1年は大人の歌唱に脱皮する正念場である。子どもから大人への進化にとって、最も大事なことは《うた》の本質であるものを決して見失わないことである。彼女は、カラオケバトルなどで母親との二人三脚ぶりを視聴者に見せつけていた。母子密着の弊害などと安直に切り捨てず、母の大きな愛をさらに巨大な愛で包み込むような歌声を期待したい。また、発声の細部の調整も忘れてはならない。小学生時代に、同学年の東京の【佐久間彩加ち】ゃんとデュエットで活動していた。その彩加ちゃんは、今年2月28日のTHEカラオケバトルU-18【四天王】の最後の一人となった。このバトルには、舞乃空ちゃんも参戦していたが、選曲を演歌に変更したのが裏目に出たかっこうだった。より等身大の表現が可能なJ-POPに戻して、再チャレンジして欲しい。それによって、中二、中三・・と自然年齢の成長に伴う普遍感情を歌唱に取り込んでゆくことが出来る。この感情は年齢を超えて共有され、世界に響き渡るに違いない。・・・《続く》

「藤井舞乃空 カラオケバトル」の画像検索結果

 

藤井舞乃空 カバー 『未来予想図Ⅱ』(ドリカム) ~『三百六十五日の紙飛行機』(AKB48)、洋楽・演歌も。

https://youtu.be/N9xyipXMsv0?t=336


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【啓蟄】17度に戻るも終日曇り・・個人の《リアル》を俳壇=結社から解き放つ一人吟行の爽快さ!/俳句再出発(日記)

2018-03-09 08:00:45 | 俳句再出発

*朝カフェ付

啓蟄の俳諧自由は摺り足で   まほろば  最新作  即興

今日は17度に戻るものの、日差しの無い暗鬱な一日となりそうです。明日は14度快晴の土曜となるようで、今夜あたりから晴れて来るのを期待したいものです。10日締め切りの作品の送稿を終え、今日一日で3枚分のエッセーを書き上げなければなりません。今回は、これまで他誌に何度か書いて来たものの延長上に、俳句と【新世紀カラオケ】の接点を体験的に書いておきたいと思っています。このあと朝食の買出しに出かけますが、帰りに梅園の4日の御祭り後の様子を確かめて来ます。まだまだシッカリ咲いているものと思われます。明日はまた都心に出かけ、念願の【一人吟行】にチャレンジします。上野不忍池の枯蓮や鴨たちの様子が句題となります。通常、吟行というものは所属する結社や俳壇を構成する団体などが有料で参加者を募り、意味も無く競わせるもので、前時代の俳句(定型詩)の共同体が《個》のリアルとオリジナリティを奪ってしまいます。まさに文芸ファシズムの権化です。せっかくの同人昇格・新人賞をかなぐり捨てて、自立した個人の仮初めの共同体である【同人誌】に鞍替えしたのも、そうしたリスクを排除するためでした。さて、まずは目の前のエッセーを仕上げることです。ちなみに、この文章に書くことは、あくまでも私自身のモノローグであって、代表夫妻を含め一切の共同性は排除しています。原則、右から左へ書いたものが掲載されることの快感を味わってみると、結社などというものは21世紀の新定型表現(俳句からカラオケまで)にとって障害物でしかないことが身に沁みてわかるはずです。・・・《続く》

「啓蟄 意味」の画像検索結果

 カフェ・ミュージック

https://youtu.be/hJNw9HfEVhE?t=15


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