学力の問題が各方面から出てきて10年ほどになった。その間に、全国学力テストが復活し、その結果をめぐって さらに混迷の度を増したように思える。
現場では、授業時間の確保、総合、選択授業の導入、少人数授業、習熟度別業、IT機器による自学自習システムなどの実施と教育環境は充実してきているようにみえる。
しかし、現場に身をおいて 日々子ども達と接してきた私には 今一つ「これでいいのだ!」というものは 持てなかった。
例えていえば、病気の症状の除去ばかりに目を奪われ、病気そのものの根本的な治療に取り組まない 素人医者の処方みたいである。
それぞれの症状に対する薬を飲み、さらに検査をして個々の細かな数値にふりまわされ、サプリメントを買い求める。結果、病気は快方に向かわず、思ってもみなかった副作用にも悩まされ、それを何とかしようと また別の薬を求めるという悪循環におちいっていく姿とダブルのである。
人間は、生まれた直後から、手厚く保護され、この世は自分の思い通りになる。という感覚を無意識のうちに身につける。大きくなる、成長するということは、この感覚を さまざまな挫折経験によって、打ち砕かれていくことではないかと考える。
同世代の人間が集まる学校という社会の中で、思い通りにならないこと、できないことがある。自分よりすぐれたものを持っている人がいる。という挫折感、劣等感を味わう。それと並行して、自分は、他の人よりこの部分では負けない、まんざらでもないという自己肯定感、優越感も育んでいくのである。挫折感と自己肯定感を絶妙のバランスで内包することこそ 人間の成熟にとって大切な要素の一つである。
そのためには、学校は いろいろな個性を持った子の活躍の場が多い所でなければならない。生徒の居場所が多い学校と言い換えても良い。残念ながら、学力向上の号令のもとに、学校の持っていた多様な場が削り取られているような気がしてならない。
活躍の場が減った、やせ細る学校では 居場所のない生徒、個々の持ち味がお互いわからない生徒が増え さまざまな症状を示す。デスクワーク、会議、研修と多忙で余裕のない教師は 症状だけへの対応に追われる。この悪循環が多くの学校で起こってきている。
現場を離れた人間が 何をのんびりしたことを としかられるかもしれないが、よくよく考えれば、学力を始め教育問題といわれるものは過去、解決したことのない永遠の課題かもしれないしたがって、現場にいるとかいないとか関係なく、それぞれの立場で考え続けねばならないものである。
現場にいた頃、自分を支えてくれた言葉、『徒労に賭ける』をこれからも大事にしていきたい。
現場では、授業時間の確保、総合、選択授業の導入、少人数授業、習熟度別業、IT機器による自学自習システムなどの実施と教育環境は充実してきているようにみえる。
しかし、現場に身をおいて 日々子ども達と接してきた私には 今一つ「これでいいのだ!」というものは 持てなかった。
例えていえば、病気の症状の除去ばかりに目を奪われ、病気そのものの根本的な治療に取り組まない 素人医者の処方みたいである。
それぞれの症状に対する薬を飲み、さらに検査をして個々の細かな数値にふりまわされ、サプリメントを買い求める。結果、病気は快方に向かわず、思ってもみなかった副作用にも悩まされ、それを何とかしようと また別の薬を求めるという悪循環におちいっていく姿とダブルのである。
人間は、生まれた直後から、手厚く保護され、この世は自分の思い通りになる。という感覚を無意識のうちに身につける。大きくなる、成長するということは、この感覚を さまざまな挫折経験によって、打ち砕かれていくことではないかと考える。
同世代の人間が集まる学校という社会の中で、思い通りにならないこと、できないことがある。自分よりすぐれたものを持っている人がいる。という挫折感、劣等感を味わう。それと並行して、自分は、他の人よりこの部分では負けない、まんざらでもないという自己肯定感、優越感も育んでいくのである。挫折感と自己肯定感を絶妙のバランスで内包することこそ 人間の成熟にとって大切な要素の一つである。
そのためには、学校は いろいろな個性を持った子の活躍の場が多い所でなければならない。生徒の居場所が多い学校と言い換えても良い。残念ながら、学力向上の号令のもとに、学校の持っていた多様な場が削り取られているような気がしてならない。
活躍の場が減った、やせ細る学校では 居場所のない生徒、個々の持ち味がお互いわからない生徒が増え さまざまな症状を示す。デスクワーク、会議、研修と多忙で余裕のない教師は 症状だけへの対応に追われる。この悪循環が多くの学校で起こってきている。
現場を離れた人間が 何をのんびりしたことを としかられるかもしれないが、よくよく考えれば、学力を始め教育問題といわれるものは過去、解決したことのない永遠の課題かもしれないしたがって、現場にいるとかいないとか関係なく、それぞれの立場で考え続けねばならないものである。
現場にいた頃、自分を支えてくれた言葉、『徒労に賭ける』をこれからも大事にしていきたい。