素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

徒労に賭ける

2009年08月08日 | 日記
 数ある心の『師』の中で、三本の指に入る山本 周五郎55歳の作品『赤ひげ診療譚』の中に出てくる話である。

 主人公は、長崎で三年あまり修行してきた若い医師 保本登。彼は、 “赤ひげ”とあだ名されている 小石川養生所の 新出去定(にいできょじょう)に呼ばれ、医員見習いとして勤めることになる。幕府の目見医になり、御番医から典薬頭への出世を考えていた登にとっては 不本意な勤務である。
 この登を中心に、登との関係における“赤ひげ”、他の医員、患者たちの生き方が、8つの独立した物語で描かれている。「徒労に賭ける」は5番目の物語である。
 自分のことや、心の内を多く語らず、登にとって不可解なことが多かった“赤ひげ”の心情の吐露をからめて、物語が展開され、登の内面に変化がでてくるのである。

 中学校3年間は、心身ともに大きく変化する時である。自分自身の内なるエネルギーに振り回され、時として問題行動という形で現れてくる。それらに対処するのは根気のいる仕事である。同じことの繰り返しにうんざりすることもある。個々ならまだしも、グループ化した場合はなおさらやっかいなことになる。また、本人に責任のない劣悪な生活環境ゆえに諸問題をかかえている生徒を前に無力感におそわれることもある。 そういう時“赤ひげ”の吐露が支えてくれた。

 *この世から背徳や罪悪を無くすることはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。
 「そんなことは徒労だというだろう、おれ自身、これまでやって来たことを思い返してみると、殆ど徒労に終っているものが多い」(中略)人間のすることにはいろいろな面がある。暇に見えて効果のある仕事もあり、徒労のようにみえながら、それを持続し積み重ねることによって効果のあらわれる仕事もある。おれの考えること、して来たことは徒労かもしれないが、おれは自分の一生を自分の徒労にうちこんでもいいと信じている。*

 

 
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