素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

四季の移ろいを感じる小道

2009年08月11日 | 日記
 ジムは、久保池という灌漑用の池のほとりにある。こじんまりとした庶民的なジムである。池に沿って散策路があり、4月からそこを歩いて通っている。
 ソメイヨシノから八重と桜を楽しみ、さつき、あやめ、野生のふじ、きり、あじさい、若葉から深緑と目から季節を感じ、耳からはとりのさえずりと蝉時雨。天気が不安定だったので1週間ほど歩いてなかったが、今日ひさしぶりに歩いてみるとあぶらとくまぜみに混じって、つくつくぼうしの鳴き声が聞こえてきた。あのひときわ せわしい鳴き声を耳にすると、晩夏、夏の終わりを思う。

 高校生の時、教科書に、精神病理学者の島崎 敏樹の「心で見る世界」という本の中の一文が載っていて、授業中でなければ「オオー」と声をあげるぐらい新鮮な驚きがあった。全文が読みたくて初めて岩波新書を買った。当時、岩波新書は知的な世界に踏み込むという気負いを若者に与えた。
 
 ものの見え方は、均一ではなく、それに向かう人の心の状態、関与の仕方によってさまざまになる。ということを例を出しながら、解説してくれている。教科書にはもっともかみくだいた部分が使われていて、全体としては難解であった。

 今日、ジムへ行く時も、蝉は鳴いていたはずだが、せかせかと急ぎ、頭の中は他のことを考えていたので、まったく聞こえてなかった。帰りは、体は ほどよく疲れ、温泉にもつかり、ゆったりした気分で歩いていたので、蝉の鳴き声が、コーラスをしているように聞こえ、ソリストのように つくつくぼうしの鳴き声がとびこんできた。その鳴き声に、確実に季節は動いていると感じ、1週間前は蝉時雨が暑苦しく感じたことを思い、『心で見る世界』を久しぶりに思い出したのである。
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教育のこと。じゃどうするか。(1)

2009年08月11日 | 日記
 昨日の夕方からは、本当は教育について書くつもりだった。思わぬハプニングに日を超えての復旧作業に追われてしまった。完璧は無理だったが、ほぼ、元に戻ったので、「教育のこと。じゃどうするか?」を考えたい。

 「善さ」を求める人間は 各時代、各地で文化を創り出してきた。その量が少なく、狭い範囲の中で一生が終る頃は、文化は個人から個人(親から子、師匠から弟子、長老から若者など)へ伝えていけば良かった。
 しかし、時がたてば、異文化との交流などで文化の量はどんどん増えていく。また、新しい発見もあり、内容も複雑になっていく。そうなると、社会の中で文化を伝えるための場所が必要になってくる。最初は、寺子屋、個人の塾のようなものであったが、試行錯誤を重ねながら、学校という形ができてきた。

 そこで、問題になるのは、膨大な文化から、何を教えるか?ということである。長い間、日本の中学校では9教科という形に分け、学習指導要領で、内容が規定されてきた。当然、そこに入っていない文化のほうが多い。さまざまな形で不満がでてくるのは当然でる。
 「心の教育はしなくていいのか?」「テストで点を取るだけではだめやろ!」などなど。そこから『道徳』が、「環境のことはいいのか?」「グローバルな時代、もっと国際理解を!」などなど。そこから『総合学習』が、「リコーダーよりギターがやりた~い」「なんで、テニスや卓球、バドミントンは、やらへんの?」などなど。そこから『個人選択授業』が従来の教科の時間をチビチビ削って寄せ集め、これこそ教育改革の切り札とばかり、導入されたと思う。なのに、高校入試制度の根幹は旧来のままである。

 結論、教科としては異質な『道徳』と中途半端な内容にしかならない『総合』と個人の要望に応えるための場所と指導者とお金を全然保障してくれない『選択』は、即やめて、9教科に戻す。特に、削り取られた音楽、美術、技術家庭の時間数を週2時間以上に戻す。
 次に、さまざまな教育改革は、従来からある『生活学習』か『系統学習』かの争いの延長線上にあり、内容も二番煎じのものが大半である。どちらかを選ぶのではなく、どちらも大切である。という視点から考え直すこと。
 『改革』なんて言葉を使うなら、今まで、日本では明治以来やったことがないことをすべきだと思う。

 それは、国(文部科学省)は大枠は決めるが、内容、方法はすべて教師個人と各学校にまかせ『金は出すけど、口は出さない』を徹底する。保護者も、疑問、要望
意見があれば、文科省、教育委員会にたよらず、教師と学校との直接対話で解決を図る。各教師は、地域に根ざした教育を責任を持ってすすめていく。

 昨日からの復旧作業の余燼が脳内にくすぶっているので、どんどん過激になりそうなので、ジムにでかけ、体を使ってバランスをもどそうと思う。

 

 
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大失敗~写真がすべて消えてしまった~

2009年08月11日 | 日記
 素人判断は怖い。ブログに写真をつけるため、画像フォルダにアップロードしていたのだが、量が増えてきたので、もうブログには貼ってあるのだからと思い、「掃除 掃除じゃ」とばかり、全部削除した。朝のこと。
 夕方、ブログを開いてみると、絵手紙の写真が消えている!他を見ると、すべて消えている!!原因は「朝のこと」しか考えられない。急いで『できるブログ』を読む。さりげなく書いてあるではないか
 
 *『画像フォルダ』のページに登録した写真を削除するには、削除したい写真の下の[削除]ボタンをクリックします。*

 朝は、削除したいの一心だったので、ここまで読んで、バンバン削除した。続きがあったのだ。

 *記事に使っている写真を削除してしまうと、当然記事内の写真がなくなってしまうので注意しましょう*

 「ゲッ!これや、そう、当然消えたのだ」

 馬鹿もするけど、立ち直りも早い。とにかく、できるだけのことはしてみようと、もう一度本を読み直し、機械の気持ちを理解し、復帰の作業に入る。最近はのんびりマイペースな生活であったが、久しぶりに崖っぷちに立たされた感じを味わった。脳が高速回転している!まだ動くんやと感心した。

 深夜には、何とか98%復帰した雨が続いたので、いろいろな物を整理整頓していたのだが、ちょっと調子に乗りすぎて勇み足。
 しかし、おかげで今までわからなかったことも理解し、できるようにもなった。アドレナリンも噴出するし、脳は確実に活性化したと思う。
 
 3年生の最後のほうの「学年だより」に必ず載せる言葉『人間万事塞翁が馬』『禍福はあざなえる縄の如し』を思い出した。

思い出の 品々ながめ ルンルンと 整理整頓 思わぬ悲劇


パソコンの 心も知らず ポイポイと 削除の後に ゴミ箱あさる

失敗の おかげで一つ 賢明に この繰り返しの わが人生

大雨と 台風にプラス 地震まで 盆をひかえて マヒする列島 
 
 
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