ジムは、久保池という灌漑用の池のほとりにある。こじんまりとした庶民的なジムである。池に沿って散策路があり、4月からそこを歩いて通っている。
ソメイヨシノから八重と桜を楽しみ、さつき、あやめ、野生のふじ、きり、あじさい、若葉から深緑と目から季節を感じ、耳からはとりのさえずりと蝉時雨。天気が不安定だったので1週間ほど歩いてなかったが、今日ひさしぶりに歩いてみるとあぶらとくまぜみに混じって、つくつくぼうしの鳴き声が聞こえてきた。あのひときわ せわしい鳴き声を耳にすると、晩夏、夏の終わりを思う。
高校生の時、教科書に、精神病理学者の島崎 敏樹の「心で見る世界」という本の中の一文が載っていて、授業中でなければ「オオー」と声をあげるぐらい新鮮な驚きがあった。全文が読みたくて初めて岩波新書を買った。当時、岩波新書は知的な世界に踏み込むという気負いを若者に与えた。
ものの見え方は、均一ではなく、それに向かう人の心の状態、関与の仕方によってさまざまになる。ということを例を出しながら、解説してくれている。教科書にはもっともかみくだいた部分が使われていて、全体としては難解であった。
今日、ジムへ行く時も、蝉は鳴いていたはずだが、せかせかと急ぎ、頭の中は他のことを考えていたので、まったく聞こえてなかった。帰りは、体は ほどよく疲れ、温泉にもつかり、ゆったりした気分で歩いていたので、蝉の鳴き声が、コーラスをしているように聞こえ、ソリストのように つくつくぼうしの鳴き声がとびこんできた。その鳴き声に、確実に季節は動いていると感じ、1週間前は蝉時雨が暑苦しく感じたことを思い、『心で見る世界』を久しぶりに思い出したのである。
ソメイヨシノから八重と桜を楽しみ、さつき、あやめ、野生のふじ、きり、あじさい、若葉から深緑と目から季節を感じ、耳からはとりのさえずりと蝉時雨。天気が不安定だったので1週間ほど歩いてなかったが、今日ひさしぶりに歩いてみるとあぶらとくまぜみに混じって、つくつくぼうしの鳴き声が聞こえてきた。あのひときわ せわしい鳴き声を耳にすると、晩夏、夏の終わりを思う。
高校生の時、教科書に、精神病理学者の島崎 敏樹の「心で見る世界」という本の中の一文が載っていて、授業中でなければ「オオー」と声をあげるぐらい新鮮な驚きがあった。全文が読みたくて初めて岩波新書を買った。当時、岩波新書は知的な世界に踏み込むという気負いを若者に与えた。
ものの見え方は、均一ではなく、それに向かう人の心の状態、関与の仕方によってさまざまになる。ということを例を出しながら、解説してくれている。教科書にはもっともかみくだいた部分が使われていて、全体としては難解であった。
今日、ジムへ行く時も、蝉は鳴いていたはずだが、せかせかと急ぎ、頭の中は他のことを考えていたので、まったく聞こえてなかった。帰りは、体は ほどよく疲れ、温泉にもつかり、ゆったりした気分で歩いていたので、蝉の鳴き声が、コーラスをしているように聞こえ、ソリストのように つくつくぼうしの鳴き声がとびこんできた。その鳴き声に、確実に季節は動いていると感じ、1週間前は蝉時雨が暑苦しく感じたことを思い、『心で見る世界』を久しぶりに思い出したのである。